蛇神はたくらみ龍神は斬る  ⑶神話と伝説に埋もれた里 

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年09月08日

神話と伝説に埋もれた里父尾(ちちお)と猿が城

 私が生まれたのは備後地方、広島県福山市新市町の山の中、白滝山の麓父尾(ちちお)である。先祖は、中腹の月入りの森に建立する高龗(たかおかみ)神社の神主として代々神社を守ってきた。父は62代目にあたる。ご神体は少し離れた山の谷間の三つの瀧(闇龗(くらおかみ))で、最初にこの地に神社が建立されたのは天平勝宝7年(西暦755年)と記録されている。霊験あらたかな祈雨の龍神様として福山藩主の代官が毎年幣を手向けに来ていたと公の記録にも残っている。江戸時代に建てられたという当時住んでいた家は、代官用の広い玄関、湯殿や厠がある藁ぶきの日本家屋で、祭りには近隣の村落からも人が集まり、出店(でみせ)が並び、賑やかだったことを記憶している。

 この地にあったもう一つの神社、国高依彦(くにたかよりひこ)神社は、延喜式神名帳(西暦927年)に記載された延喜式内社である。金山銀山のお蔭で、この土地が最も栄えていた頃には4千五百戸余りもある、父(ちち)母(も)市(し)と呼ばれる一大鉱山町だったことを知る人は、今ではほとんどいない。この地方の一の宮より大きかったとされるこの神社は、1463年の大火で鉱山町もろとも消失している。その前の年には、長雨の影響で坑道が落盤し、多くの鉱夫が生き埋めになったまま掘り出すことが出来ず、千人塚として今にいい伝えられている。

 

 私が生まれた頃には25戸あまりの過疎集落になっており(現在4戸)、賑やかな鉱山町の名残は、あちこちに開いた坑道の横穴の入口と、屋号や土地に残る名前(新町、湯屋町、市町、女郎屋敷、など)、畑からでるカナクロ(鉱石をふかした溶石)くらいしか偲ぶ影はなかった。

 そんな伝説のような歴史に埋もれた、山に囲まれたすり鉢の底のような集落で、私は8人家族4人姉妹の4女として生まれ育った。地域は過疎化し、神職一本の仕事では生活出来ず、父は農業を学んでコンニャクや梨を生産し、生活の糧にしていたが、松村家の家風には、まだ神話や伝説のなかで生きているかのような高いプライドが息づいていたと思う。上から順に二つ違いの姉妹同士が派手な喧嘩をしているのを見た記憶も、した記憶もない。大きな声を荒げるなんて下品だ!そう感じる位プライドが高い家族だったのだと思う。そういえば、社会人になって同僚の家に食事に招かれたとき、友人の父親への遠慮のない物言いにショックを受けたのを覚えているが、友人は私が家族と話す他人行儀な言葉使いにショックを受けたといったことがある。

 いかにプライドが高かろうが、過疎集落である。保育所や小学校には往復で8キロの道のりを毎日歩いて通うしかなかった。その片道4キロのうち3キロの間には民家も灯りもない、川に沿った一本道だった。

 そして、その山道を囲む山には猿の群れが集団で暮らしていた。赤滝山の猿として古い文献に「数万の猿が住む」と載るくらい昔から猿の多い場所だったらしい。神社のある白瀧山から尾根伝いに「猿が城」という山があり、その山頂には猿田彦命が祀られていた。その山裾の道を通っての幼稚園からの帰り道、山一面見渡す限り猿の群れに遭遇したときは、さすがに怖くなり、友人と二人隠れたのを思い出す。

 農業で生計を立てる父にとって、猿との戦いは死活問題だった。猟銃の免許を取って猟犬を飼い、猿を捉える檻を置き、日夜格闘していた。以前水上スキーをする猿のモモコがテレビで話題になったことがあるが、あの猿は父尾で父が仕掛けた檻に捉えられた子猿だとよく父が話していたが、本当だろうか?

 猿はよく集団で現れては農作物を荒らしたが、大人を警戒しても子どもは無視して相手にしなかった。頭がよく、相手が何も出来ないと判断すると、すぐ近くで追い払っても、恐れることも逃げることもなく悠然とやりたい放題だった。年上の男の子たちが、石を投げたら猿も投げ返してきた!と興奮して話していたのを覚えている。

 社会人になっても猿では忘れられない記憶がある。朝早く私の部屋へ父が偲び足で入ってきた。手には猟銃を持っている。気がついて起きようとすると父は「シッ」と口の前で指を立てた。家の裏の柿の木に猿が来ているとサインで知らせると、ゆっくりと銃の先が出るくらいだけ窓を開け、狙いを定めてぶっ放したのだ。目の覚めるような轟音とともに薬莢が飛んできたのを覚えている。確か、その時は「猿は落ちたが、逃げられた」と父は言ったと思う。

 今思うと可笑しいが、当時から父の姿を借りて私は猿と戦っていたのだ。父は未来の私だったとわかる。

 私の中で猿と蛇と蔓と子どもは相似形(フラクタル)だ。高龗神社の祭神は龍神だが、完全な龍ではなく蛇と龍の間、と聞いたことがある。蛇神とは邪心につながる。穴にこもって人目を避け、じっと外を伺い、ネチネチと陰湿なことを考える、そんなイメージだ。子どもというのは、大人から怒られたときや、兄弟姉妹で喧嘩したとき、心でネチネチと相手を悪者にし、自分を正当化するものだ。猿くらいの知恵やずる賢さはあるが、誰かに寄りかかり、何かに巻き付いていないと自立できない蔓のような思考回路の持ち主だ。

この思考回路が感情のパターンとなって、同じような問題をつくり出す人生から抜け出せなくなっていたことに、後にフラクタル心理学を学んで気づいたのだった。

高龗神社の闇龗の一つ (二の降り)

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