蛇神はたくらみ龍神は斬る (9)東の龍と西の虎1

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年11月18日

東の龍と西の虎1

 

 長女の死が私にもたらしたものは、将来を自分の頭でしっかり考えていた次女と三女とは違い、頭をもがれた大蛇(おろち)のような状態だった。姉が生きていた頃は、大蛇の頭が長女で、胴体は次女と三女、さながら私はいつ切り捨てられてもよい尾の部分だと感じていたのだ。だから何も考えず前の動きに従って後ろをついて行くだけでよかった。だが頭がもがれたため、自分の胴体に自分の頭をつけなくては前に進めない状態になってしまっていた。

 

 末子の私は、小さい時から当然のように母に一番甘えていた。狭い山間の集落に同性の同級生が5人もいたので遊び相手に困らなかった私は、外で遊んで帰ると畑にいる母のもとにいき、よくおやつをねだっていた記憶がある。母は仕事の手を止め、家に帰っておやつを与えてくれたものだ。一つ上の姉はおばあちゃん子で、母にあまり面倒をみてもらった記憶がないと言うが、私は祖母に面倒をみてもらったという記憶があまりない。それでも気がつけば近くで草取りをしている祖母をよく見ていたので、きっと友達と遊ぶのを見守ってくれていたのだろう。そのうち祖父が病気になると祖母は孫の面倒どころではなくなり、母は祖父に栄養をつけてもらう為にヤギを飼い始めた。複数頭いたヤギの世話も、母について乳しぼりをしたり、小屋から畑まで移動させたりしていたのは、姉妹では私だけだったと思う。一番小さいせいもあってか、当り前のように母を独占していた。

 母は、私にとって気安く何でも言える存在だった。空気のように気を使わず、言いたいことを言い、当り前のように世話をしてもらっていたのだ。それは、幼児のときなら当然だと感じる人もいるかもしれない。だが、世話をしてもらうことはもちろんだが、気安く何でも言えることが良いことだと思っている思考回路を大人になっても使い続けると、依存的な自分を変えるのは難しい。何でも言いやすい人間関係が一番だと思うから、社会の厳しい上下関係や横のつながりの乏しい無言が求められるような職場環境は耐えられなくなるのだ。しかも、幼い頃につくった感情のパターンは、耐えられない環境の方を「悪」と認識して、自分を環境に合わせて成長させるべきとは思わないのだ。そのうち傍若無人な言葉使いをする無礼な人に悩まされるようになるだろう。それは大人になっても母親に言いたい放題のままの自分の姿が鏡のように外側に投影され、母親に感じさせている嫌な想いを自分が受け取っているだけなのだが。

 

 

 これまで私は、父が祖父の代わりにやりたくもない神職をやらざるを得なくなったころ、農業では必要なかった人間関係に苛立ち、母に八つ当たりしていたと思っていた。だが、父と母との当時の会話を思い出すにつれて、なぜ今まで目の前に見えていたのに気がつかなかったのだろうと思うくらいに、父に従順な母というイメージとはかけ離れていたことに気がついた。母は、東の龍と西の虎のように、父に対抗していたのだ。そういえば大人になってからも父への愚痴を随分聞かされていたな、と思いあたる。

 ひとは自分の脳を通してしか外側を認識できない。幼児といえども、同じなのだ。私は未熟な自分を母に投影して、父に対抗していたのだった。(続く)

 

 

 

 

 

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