蛇神はたくらみ龍神は斬る (12)龍の教え

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年12月07日

 

 

龍の教え

 神職の家に生まれて、なぜ他の宗教に入る必要があるのだろうかと思われるかも知れない。実は神道には教義が存在しない。古くは山や岩などをご神体とする自然崇拝から始まっているからかもしれない。「大和は言挙げしない国」と言われるように、もともと理屈を好まない国民性もあると思う。教義はなくとも、日本人の祭りや清浄を好む意識、伝統や家庭のあり方、生活、神話(古事記など)の中に、神道の持つ教義的なものが息づいている。明治の文明開化で海外の価値観がどっと入ってきたために、それまでの生活習慣が急激に変わり、日本人の精神性を維持することが危ぶまれた結果、大本教から始まる新興宗教が次々と世に出てきたのではないだろうか。そう思えるくらい宗教「生長の家」の教えは自分の肌になじんだ。

 生長の家では「人は神の子」というが、神道では生まれると百日祝い(ももかのいわい)として氏神様にご報告にいく。その後も七五三、成人式、厄払い、還暦と、亡くなるまで氏神様との付き合いは続く。亡くなると名前に命(みこと)の文字を入れて神として祀る。まさに人は氏神様の子なのだ。毎朝神棚に御神撰を供えて手を合わせるのは、我が家では子どもの役目だった。そのご神前には中央に御神鏡が置かれ、神前を拝む行為は鏡に映った自分を拝むことでもあった。「かがみ」の中の「が」を取れば「かみ」となるように、人が神に見えないのは我があるからだとは、父に聞いた記憶がある。誰が見ていなくてもお天道様が見ているともよく言っていた。

「人は神の子」というフレーズには、今さら当たり前のようで、やっと故郷に戻ってきたような懐かしささえ感じて、心底納得できるのだった。それまで、自分の性格を散々嫌っていたが、生長の家の教えから、自分の実相は神なのに自分にはそう思えないのは、曇った眼鏡(我の眼鏡)をかけて自分を見ているからで、いくらメガネが曇っていようがその奥には完全な神の実相がある、と思うことが救いになった。日々、曇りを取るために神想観という座禅をして、神のエネルギーが自分の中に流れ入り、満たされていくのをイメージするのだった。そして、人と向き合うときは「有り難うございます」と手を合わせて、相手の神性を拝むのだ。

 最初のうちは「親に感謝出来ない者はこの世で幸せになれない」という言葉には抵抗があった。感謝行に参加して、親への感謝の言葉を一日中繰り返し唱えると、「なんで私が親に感謝しなくてはならないのだ!?こんな想いをするのは親(父)のせいなのに!!」と歯ぎしりするほど悔しさがこみ上げてきたものだった。だが、私はどうしてもこの世で幸せになりたかった。

 

 

 銀行勤めを続けながら、生長の家の様々なセミナーに参加し、本を配り、神想観をする生活を4~5年続けるうちに、向かい合う相手が神に見えないとしたら、自分の方に問題があるのだと自然と考えられるようになった。相手を一方的に責めるのではなく、自分を変えようと努力するようになったのだ。自分の我(眼鏡の曇り)を取り去ることが出来れば、相手は神の様に見えるはずだった。だが、自分のどこをどう変えればいいのかを自分では自覚しづらく、相手を否定したい感情は動き続ける。なので、否定的な感情が強く動くときほど絶対に逃げないと決め、相手を鏡にして、良い人だと思えるまで自分の内面を変える努力をやり続けるしかなかった。

 このやり方は、生長の家から離れて、30年後にフラクタル心理学に出会うまで続けていた。3年、5年、ときには十年以上も時間をかけて、確実に相手が変わるようになっていった。一度その実感を持つと、その度に「やっぱり人は神なのだ。相手に問題がある訳ではない。自分の迷い(我)を相手に映して見ているだけで、自分の迷いを取れば相手も良い人に変わる!」という思いは強くなる一方だった。そして、誰の中にも神性があるという実感も深まるのだった。

 

 

 ところで、フラクタル心理学では、問題となる部分をピンセットで摘まみ上げ、ここをこう変えれば相手だけでなく現実もこう変わるとわかる「LDP」という方法がある。それは、的確な部分さえ摘まみ上げれば、あっという間に、ときには一瞬で変わることすらある。そういうときは、大嫌!怖い!というような強い感情も、狐が落ちたように一瞬で消えてしまうのだ。それは霊能力のような不思議な力によってではない。数式のように矛盾のない、現象学を元にした心理学理論によって可能なのだった。更に、将来の方向性まで的確に見通せるのだから、この心理学に出会ったときの私にとっては、まるで一家に一台あった電話機がいきなり最新機能付きの携帯電話にバージョンアップしたようなものだった。この理論を一から創り上げられた一色先生にお会いしたとき、「スサノオノミコトの草薙の剣を手に入れたような気分です!」と興奮して話したことを覚えている。本当にそれが実感だった。だが実際、多機能の携帯電話を手に入れたとしても、使いこなすまでには訓練が必要なのだった。(続く)

 

高龗神社のご神体である三つの瀧(闇龗)の一つ 二の降り

各地にある高龗(たかおかみ)と闇龗(くらおかみ)は対の神様といわれ、必ず高龗は山の上の高い場所に、闇龗は日が差さないような低い暗い場所にある。心理とフラクタルに考えれば、高龗が表層意識で闇龗が深層意識という言い方も出来る。

 

 

 

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