蛇神はたくらみ龍神は斬る (15)神々の出雲

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年01月07日

神々の出雲

 

 神職の学校に行くことに決めたのは、長女が亡くなって4年後、銀行に勤めて5年目のことだった。岡山で看護師をしていた次女が家を継ぐつもりで帰って来ていたが、本人も父も本心では気が乗らないようだった。権威的で古い考えの父と、自由で行動的な次女は、もともとそりが合わなかった。姉は恐らく父の妹の、尊敬する叔母様(当時川崎医科大学附属病院で総婦長をしておられた)に説得されたのだろう。父は自分の性格と似ている3女に継がせたいようだったが、3女にはその気がまったくないのは明らかだった。当時の私は姉達を父から解放したかった。長女と同じように運命を父に決めさせたくなかったのだ。父に任せればまた姉が不幸になると思い込んでいた。自分が継ぐつもりで神職の学校に行くと言えば、姉達は父から解放され、すべてが丸く収まるような気がしたのだった。

「親に感謝出来ない者はこの世で幸せになれない」という生長の家の教えを知らなければ、とても考えられない決断だった。当時の自分には、どうすれば父に感謝出来るのかまったくわからなかったが、そこにこだわり続けることで出した結論でもあった。

 

 

 出雲大社にある神職養成学校での2年間の寮生活は、他では経験できない、なんとも特別な時間だった。それは団体訓練という軍隊さながらのⅠ週間から始まる。上下関係は徹底していた。私は当時24歳で社会人経験者だったが、ひとり自衛隊員だった年上の上級生がいただけで、他は全員年下の社会経験がない者ばかりで、ほとんどの者が社家の出(神社の跡取り)だった。毎年生徒数は異なるが、この年は上級生5人下級生6人の、総勢11人でのスタートだった。

 

 1週間の団体訓練の間は、午前中は東京の国学院大学から来られた教授の講義に始まり、午後は稲佐の浜までランニングし、砂浜でのダッシュ、声出し、規律正しく行動が出来るように号令に合わせて整列、行進する訓練が夕方まで続く。声出しは声帯が潰れ、喉から血が出るまで大声で叫ぶことを繰り返す。そうすることで祝詞を読む声が、腹から出るよく通る声になるのだそうだ。上級生が下級生をしごく感じとでもいうのだろうか。毎年最初のⅠ週間でその厳しさに逃げだす者がいると聞いたが、私達のときも1人が脱落した。男性ばかりの中に私以外に女性が一人いたのが救いだった。もし女性が私一人だったら、とても2年間は持たなかっただろう。ついこの間まで銀行業務をしていた自分が、稲佐の浜で軍隊のように整列して、軍歌を歌い、年下の上級生にしごかれながら訓練していることがなんとも不可思議で現実離れしており、内心可笑しかったのを思い出す。

 

 ここでも、親元を離れて、早朝から決められた規則正しい生活をする生長の家の道場での経験が役に立った。この頃はもう自分の中に神がいると信じていた私は、出雲大社にいることも決して偶然ではなく、内なる神様のお導きだと感じていた。(続く)

 

出雲大社の拝殿

巫女舞の笛と太鼓は生徒に担当させてもらえる

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