蛇神はたくらみ龍神は斬る(21)場の神様

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年03月03日

 

場の神様

 

 現実逃避は私の感情脳がつくった思考パターンだった。嫌なことがあるとすぐに空想に逃げていた子どものときの癖が、大人になってもそのまま嫌なことから逃げる思考パターンになり、いつも無意識の領域で動いていた。だがここに来て、生長の家の教えから、自分の心の目の曇りを払うことでしか嫌なことからは逃れられないとわかっていた私は、少しずつ現実に立ち向かう覚悟を決めるしかなかった。

 神職の学校に入ってから後は「生長の家」の組織からは遠のいていた私だったが、教祖が書かれた本「生命の実相」だけは苦しい時は何度も読み返していた。

 当時一番苦痛だったのは、自分が神職として扱われることだった。神職になるとそれに相応しい立ち振る舞いが求められる。感情脳が理性脳より優位にたっている私には、それは自分らしい生き方ではないと感じられるのだ。神職らしく振る舞うことは、感情の自分に嘘をつくことになる。それでは世間に嘘をつき、見栄を張っていることになると感じるのだ。それは子どもの私が父に下してきた評価でもあった。

「感情を殺した父(子どもの自分にはそう見えた)は自分に正直ではなく、嘘をついて見栄を張っている。嘘つきの父は神職には相応しくない。」と思ってきたから、自分が父と同じ立場になると人からそう思われると感じ、怖くなるのだ。

 

 これは感情脳優位な人の特徴ともいえる。感情的な自分が本当の自分だと思うので、理性的な大人の脳を優先している人が自分の感情に正直ではない嘘つきに見える。なので、なかなか理性脳の言うことを聞けず、いつも感情的な自分のほうを優先してしまうのだ。そのせいでいつまでたっても大人としての理性的な行動を選ぶことが出来ない。

 だがこれは、知識も経験も足りない自分が、努力や責任をとることから逃げようとする感情脳の誤魔化しに過ぎないのだ。実際、神職としての立場を長いあいだ経験してきた父は、神様の名前から神事に関してとてもよく勉強しており、氏子のどんな質問にも答え、信頼されていた。私が聞かれて答えられないことは、父に聞けばすぐに答えを得ることが出来た。

 要するに私は、まだ知識も経験も足りない自分への周囲からの評価を恐れているだけなのだ。こればかりは経験や勉強を重ねて自分に能力をつけるしか解決の道はないのだが、それをしたくない感情脳は、なんだかんだと逃げる為の屁理屈を考えるのだ。

 

 このときも生長の家の「人は神の子」という考え方はとても役立った。周囲の人が全て神なら、そう見えない自分に問題があるということだ。いくら人の顔色を伺っても意味がない。自分が置かれた場に意識を集中して動ければ、周囲とも調和出来るはず。そう考えた私は「場の神様の為に働く!」と決め、余計な感情を動かさずその場で求められていることに意識を集中して動くようにすると、しだいに自分がどう思われているかが気にならなくなり、神社の総代(世話役)の方々にも馴染んで神職の仕事が面白くなっていった。

 

 

巫女舞を秋の大祭で舞うようになり、人前で行動する度胸がついた。

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