蛇神はたくらみ龍神は斬る(24)罪悪感

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年04月02日

罪悪感

 

 父が亡くなる7,8年前に不思議な現象に遭遇した。当時私は、「自分は父の為といいながら、実際は父に復讐したいだけなのではないか?」と感じ、焦り始めていた。父が亡くなる前に、必ず自分の中にある父に対するマイナーな想いをひっくり返してみせる、と思っていた。その頃スピリチュアルの世界では「アセンション」について書かれた本が盛んに出回り始めていた。私もそういう本を貪るように読んでは、アセンション(次元上昇)して父への想いを昇華出来るはずだと信じていたころだった。

 それは、同じ出雲の学校を卒業して神職の資格をとった甥(亡くなった長女の忘れ形見)と一緒に実家の神社のご神体の一つ、三の降り(滝)で龍笛という横笛を吹いていた時のことだった。季節外れにも関わらず桜の花びらが滂沱と降ってきたのだ。滝の淵の、木々に覆われて薄暗い中で、木漏れ日に光りながらひらひらと舞い落ちてくる桜の花弁を「なんて美しいのだろう!」と思いながら龍笛を吹いていた。「そういえば今年、福山城に花見に行ったときは桜吹雪だったなあ。あれもきれいだった。」とそこまで考えてハッと我に返った。それはもう一か月以上も前のことで、季節はすでに青葉茂れる初夏に入っていることに気がついたのだ。じゃあ、この桜の花びらはどこから落ちてきているのだ?と見上げても、見渡す限り桜の木は見当たらず、若葉が茂る木々の間からわずかに青空が見えるだけなのだ。

「ねえ、この桜の花びらはどこから落ちてきていると思う?」と思わず甥に声を掛けると、甥も笛を置いてしばらく不思議そうに見上げていたが、すぐに立ち上がって、走って桜の木を探し始めた。散々周囲を走りまわって息を切らせて帰ってきた甥は、「桜の木なんか1本もないよ!」といった。私達は、もう今は降ってはいないが、滝の淵にたまった桜の花びらを、声もなく茫然と眺めるしかなかった。

 家に帰って父に確認しても、三の降りの周辺に桜の木はない、といっていたが、その後も年が変わると、桜の開花前後にあわせて何度か足を運んで、桜の木がないか確かめに行ったものだった。信じがたい不思議な体験だった。

 

 私はこの現象の意味を、甥と一緒にいたせいか、亡くなった長姉が「これでいい!」と背中を押してくれたと感じていた。なので「必ずアセンション(次元上昇)出来る!だったら私は神職を辞めて、次は次元上昇の橋渡しをする仕事をするのだ!」と心に決めたのだった。

 そこから先は迷うことなく神職の仕事を引き継いでもらえる人を探し、地域の神社関係者に、私が神職を辞めることを理解して頂く為に動き始めたのだった。父は、「神職を辞めることは絶対に出来ないよ。自分も若い頃は辞めたくて仕方なかったが、結局辞めることは出来なかった。」とよく私にこぼしていた。確かに当時は難しく思われたが、私の決意は固く、父が動けなくなり神職を退くと同時に、私も周囲と摩擦を起こすことなく、なんとか神社を次の神職に引き渡すことが出来たのだった。

 

 この時はもの凄い安堵感を得ることが出来たが、父や先祖に対しては、申し訳ない!という気持ちでいっぱいだった。そう感じる度に「必ず将来次元上昇の橋渡しを仕事にして、日本中を飛び回って活躍します!」と心に誓い、決意を固めるのだった。

 父が亡くなる前、滅多に褒めない父が病院のベッドの上で「お前の良いところは、決めたことは信念を持ってやり遂げることだ」と言ってくれた。意外だった。絶対に出来ないと思っていた神職を辞めたことを言っているのだとしたら、父は長女を嫁に出したときに、子どもに実家を継がせることを半分諦めていたのかもしれない。もしかしたら、女の子しか産まれなかったと分かったときに、すでにそう思っていたのかもしれない。それは、父と一緒に仕事をするようになってからも時々言葉の節々にふっと感じてきたことでもあった。その度に少なくとも父は、私が父の神社を引き継がなくても、「先祖に申し訳ない!」と切腹したくなるほど落胆はしないようだと安堵したものだった。

 

 

 父が亡くなったとき、私はまだアセンションといえるものに出会っていなかった。父が亡くなる前に絶対に出会い、心から父に感謝出来ると思っていた私は、父の死に直面し、茫然自失してしまった。自分の内側には神がいると信じていたのに、その信念がガラガラと足元から崩れていくようだった。このまま何事もなく日々が過ぎていくだけならば、父や先祖に申し訳なく、自分が生きている意味がないとさえ感じていた。

  その半月後にフラクタル心理学に出会い、「これだ!ついに出会った!やはり私の中に神は存在した!!」と感じたときの安堵感と感動は、言葉にできないくらい大きなものだった。なぜ、父が生きている間に出会えなかったのだろう?という疑問も、フラクタル心理学を勉強するうちに理解できたのだった。

 それは、傲慢な自分に向き合うことが出来ないからだ。今では過疎集落といえども、何百年も続いた神社の神主の娘を現実化した私は、生まれながらに「自分は特別」という色眼鏡をかけているようなものなのだ。「生まれながらに特別」という思考は、あたり前に人を見下し、努力をしようとしない。自分の傲慢さに気がつくことが出来ないのだ。緑色の色眼鏡をかけて生まれ、いつもそれで世界を眺めていれば、自分が緑色の世界にいることにすら気が付けない。あたり前の思考とはそういうものなのだ。

 だが、それではフラクタル心理学を理解することは出来ない。一旦自分が掛けている色眼鏡を外し、ありのままの現実を見ることが出来ないと、世界を創り変えられないからだ。一度外すことさえできれば、あとはどんな色の眼鏡をかけるか自分で好きなように選べばいい。そうすれば、そこから色々な色の人生を楽しむことが出来るのだから。

 もし、父が生きていたら、傲慢な私には自分が色眼鏡をかけていることを認めることが出来なかっただろう。依存や傲慢が強いと、外側から変われと言われても、受け入れ難いものなのだ。大袈裟にいうなら「無礼者!拙者をなんと心得る!!この印籠が目に入らぬか!?」というくらいの感情が動くのだ。父は自分の死によって、傲慢な私の鼻をへし折って、小さくなることを教えてくれたのだった。

 そう考えると、自分のそれまでの人生のすべてが、フラクタル心理学に出会い、この理論を理解する為には必要だったのだと、今では完璧に理解出来る。

 

「天変地異が起こる」という父の言葉が印象に残ったのも、自分の中の罪悪感のせいだと気がついた。それはいまもまだ、自分が日本中を飛び回って活躍する!といえる状態になれないからだ。もっと家族で楽しく生活を楽しみたい、忙しいのは嫌、自信がない、、、なかなか前に進めない感情を罪悪感で誤魔化そうとしているからだ。罪悪感が貯まれば、自分を滅ぼそうとする。それが大災害を現実化する思考につながるのだと、今になってやっと気がつくことが出来たのだった。

 

桜が降った三の降りの淵

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