蛇神はたくらみ龍神は斬る(29)過去が書き変わる

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年07月19日

過去が書き変わる

 

 昨年から今年にかけて、「ボヘミアンラプソディー」という映画が大ヒットしたが、あの曲の歌詞をご存知だろうか?

かいつまんで書けば

「お母さん、僕は人殺しをしてしまった。人生は始まったばかりなのに、もうだめにしてしまった。ごめんなさい。、、、いっそのこと僕なんか生まれてこなければよかった、、」

 そんな内容の歌詞が、あの切ないメロディーに乗って歌われているのだ。クイーンは私が高校1年生のとき、大ファンだという友人から「凄くいいから聞いて!」と次々とレコードを渡されて、面食らいながら聞いた懐かしいグループだった。当時は確かに、映画の題名に使われたこの曲が、一番印象に残る好きな曲だった。

 映画を見ながら私は、この歌詞のような感情を自分の内側に持っていることに気がついた。それは、「取り返しのつかないことをやってしまった!」という子どものときの感情だ。

 

 

 子どものとき、私は神(父)を自分の方から裏切っていた。それは祭りで子どもたちに配るために父が用意していたお菓子を、父の目を盗んでは食べていたのだ。小学校に通うようになると、お菓子はお金に変わった。ちょっとづつくすねては、お菓子や文房具を買っていたのだ。そのことで父から怒られることはなかったので、気がついていたのかどうかも、今はもうわからない。

 父はお金に関しては厳しかった。母が生活費を要求する時も、子どもが学校から持ち帰った集金袋を渡すときも、父の前で正座して「お願いします」と頼まなくてはならなかった。父は、「お前たちは使うことしか考えていない!」と、ひとしきり説教しないとお金を出してくれなかった。「父はケチ!だからお金をくすめてもかまわない!」と泥棒の自分を正当化する理由にしていた。ある日一つ上の姉が父がケチだと文句を言うのを聞いて、思わずお金をちょっとづつくすねていることを言ってしまった。姉も賛同してくれると思ったのだが、その時の姉の目を見た瞬間、そのとき姉が何をいったかも、どんな目をしたのかもまったく思い出せないが、とにかく自分がやっていることは、絶対にやってはいけない悪いことなのだと一瞬で自覚した。その日以来きっぱりとその行為は止まり、姉とそのことについて話した記憶もない。ただ、自分の中に深い罪悪感が残った。

 その罪悪感から「私はこの家から絶対に出ることは出来ない。」という呪いを自分にかけたのだ。本当は、この山の中から出たくて仕方がなかった。もともとは都会に出て派手な生活に憧れるような子どもだったのだ。結婚して家を出る決心をしたのは、、このまま結婚も決まらずにこの家に居続けたら、心底父を憎むようになると感じたからだ。それでも、神職の仕事は辞められなかった。これは父と神様への罪滅ぼしだということを深いところでは自覚していた。「絶対に辞められないよ。」と父も言っていた神職の仕事を辞めることが出来たとき、やっと自分の罪滅ぼしは終わった(許された)と感じたのだった。

 だが考えてみれば、その罪滅ぼしの気持ちがあったからこそ、浪費癖があり、本来派手好きで、努力や辛抱が嫌いな自分が、曲がりなりにも世間の型にはまって生きることが出来たのだ。好きなように生きていたら、今の自分はない。25年も神職という、私生活まで型にはまることを要求されるような生活を送っているはずがなかった。嫁ぎ先で、6人家族の家事や育児をやってこられなかっただろう。

 

 物事には裏と表があり、自分にとっては嫌で仕方がなかった経験が、次は自分を助けてくれた素晴らしい経験に変わる。すると、それまで素晴らしいと思っていたことが、マイナスの意味合いに変わるのだ。表と裏はいつでも碁盤の目の様に入れ替わる。それは現在の自分が決めているのだ。つまり、過去はいつでも現在の自分の捉え方次第で書き変わるのだった。ということは、人生に無駄な経験はないということなのだ。

 

 

 

 

 深層意識にある感情脳の中には、恨みと呪いが詰まったブラックボックスが存在する。表層意識はその存在を認めようとしないが、うすうす気がついているので、いつ箱の中身が現実に浮き上がってくるかもしれない不安から逃れられない。霊や悪魔が存在するとしたら、自分の深層意識のブラックボックスの中にいるといえる。一度払ってもまた次が現れるのはブラックボックスをブラックボックスのままにしているからだった。

 感情豊かな世界は一見素晴らしい世界に見える。優しさや思いやりに溢れ、弱い人を世話し、見守る、義理と人情の世界だ。だが、それが素晴らしいものに見えるのは最初だけで、すぐに際限のない要求が始まり、要求が通らないと恨む。自分を正当化する戦いに明け暮れ、生産する側に立つための努力からは逃げる。それは、子どもが家庭の中でしか通用しない我儘を言うように、内輪の中だけで、人の世話やいざこざばかりを相手にし、社会で活躍することからは目を反らしている状態なのだ。それこそが、ブラックボックスの箱が開いた状態であり、感情を使うとはそういうことなのだ。

 

 

 フラクタル心理学は、そのブラックボックスを開けて光をあてる。私がこのブログを書いているのは、自分の深層意識の中のブラックボックスの中身を表層意識の前に取り出し、確認する作業だったのだ。どんな恨みも呪いも、最初につくった時点に戻らなければ解消出来ない。自分では気づかない深い意識の中でまだ恨みとして存在し続けているのだ。私はこのブログを書くことで、様々な脅迫観念からインナーチャイルドを解放してきたのだった。子どものときの盗みという失敗から、神の様に完璧にならなくてはならない!という強迫観念を持ち、これまでずっと自分の中に神を探し続けてきたのかもしれない。その底には常に自分は罪人だという呪いがかかっている。そう呪縛することで、我儘で欲望のままにやりたいようにするインナーチャイルド(子ども心)の自由を縛っていたのだ。その縄を解いても、子どもがやりたいように行動せず、素直に大人の言うことを聞けるようになった時点で、呪縛は解ける。解ければ、もう見えない何かに怯えることはないし、神の様に完璧になろうと膨大なエネルギーを使うこともないのだった。

 

 人はいつもなにか出来事が起きると、まず感情で反応する。それは、ものごころついたときから当り前に使ってきた脳の回路だからだ。当り前のことは無意識の回路になっているので、意識することすらない。だが、その回路を意識的に切り替えないと、同じような出来事を繰り返す輪の中から抜け出すことが出来ない。クルクルと自分の前に同じような人や出来事が繰り返し現れるのは、出来事に感情で反応している脳の回路があるせいだと、今更ながらに気がついた。

 

 私がずっと願ってきたのは、人生を自分が望む方向へ創造して生きることだ。それは感情を感じながら生きていたのでは手に入らない。感情を使う前に理性を使う新しい回路を意識的につくる必要があるのだ。

 所詮感情とは、起きた出来事を受け取る、消費する脳なのだ。感情を感じることで消費にエネルギーを使っていたのでは、創造にエネルギーは使えない。そもそも、起きた出来事の入口と出口とでは、知覚の反転が起こり、真反対の感情を感じているのだから(〇〇された!は自分が先に〇〇したから)。感情を真に受ければ、自分の望みとは真逆の未来しか手に入れられない。

 自分が望む未来を創り出す為には、日々目標をたて、コツコツ行動し、達成感を積み上げる必要がある。その一日の積み重ねが、フラクタル構造で夢を叶えた未来を創り出すのだから。

 過去のカウンセリングで一色先生が、「常にここ(前頭葉)に神(理論)をもってくるのよ。」と言われた言葉の意味が、やっと「でも、、」といいたくなる感情を伴わずに腑に落ちた。

 

この世界はフラクタル構造だからこそ一日一生を生きる意味が理解できる

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