2018年11月

蛇神はたくらみ龍神は斬る(10)東の龍と西の虎Ⅱ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年11月22日

東の龍と西の虎Ⅱ

 

 私の母は、上に二人の兄、下には妹と弟の5人兄妹の長女で、母の母親は教員を退職したのちに地元の婦人会から支持を受けて、広島県内では初めての女性の県議会議員となり、地元神石ではその名を知らぬ者がいないくらいに活躍されていたと聞いている。母の父親は市の職員で、母が高校を卒業する頃に結核で亡くなっていた。

 この祖母は、長く議員として地域に貢献された立派な人だったが、短気でもあった。当時はどこの家でもそうだが、お盆や正月に家族で母の実家に墓参りに行くと、母の兄妹弟が子ども同伴で集合し、大人数だった。そのときの大人達が祖母の機嫌を損ねないよう緊張していたのが子どものわたしにも伝わってきたものだ。父もこの祖母には頭が上がらないようだった。

 母もこの祖母の性格と似たところがあった。普段は朗らかでおっとりとして夫にも従順で、祖母とは正反対の性格に見えるが、お正月やお盆や祭りが近づきその準備が始まると、人が変わったように命令して人を動かすようになる。そういうときの母は取り付く島もないくらい次から次へと仕事を指示し、言葉使いまで祖母そっくりになった。父はそうなった時の母を「のぼせとる」と表現していた。

 引退後は広島市で一人暮らしをしていた祖母が、我が家に一度だけ遊びに来たことがあった。そのとき、母と祖母がそっくりだなと感じた瞬間があった。祖母が家に来てゆっくりするのは、私の記憶の中ではこの時が最初で最後のことだったと思う。祖母が議員になって地元の若者に流行らせたという「百人一首」を、わたしが読み手となり、母と祖母がとりあったときのことだ。読み手の私がちょっとでも詰まろうものなら、容赦なく双方から罵声が飛んできたものだ。お互いの集中力と闘争心の凄まじさに、怖さを通り越して呆れるくらいだった。祖母はその後老衰で亡くなったが、母は90歳近い今も百人一首の歌をよく覚えており、孫たちが集まると一緒にとるのを楽しみにしている。最近ついに二十歳を越えた孫に敵わなくなったが、今も2番手を維持している。

 

 

 

 母が父と対抗するときは、当時独身のまま広島女学院大学の理事長をされていた母の父方の叔母や、県議会議員を務める自分の母親の大物ぶりを自慢するのだった。そして自分の父親がいかに優しく、地域や職場で信頼されていたかを話すのだ。それは地域の住民と言い争ってばかりいるプライドの高い父への皮肉も込められていた。それに対して父はいつも「女性が男を差し置いて仕事をするのはダメだ!家庭を守ってこそ女性の真価だ!」と対抗していた。するとすかさず母は父の妹の独身の看護婦長を持ち出し、「それじゃあ彼女はどうなのだ⁈」と迫る。すると父は「社会で結婚もせずに活躍する女性は、人間としては半端ものだ!」と言い放ったものだ。そして「強い女は男を食う。」と祖母の夫が亡くなった原因を、あたかも祖母のせいのように話すのだった。その会話は度々繰り返されていたが、私は子ども心に、父の言い分にいつも反発を感じていた。

 

 これはフラクタル心理学の一元の理論からみると、どういうことだろうか。

 人は常に自分の脳を通してしか外側を認識できない。小さい時の記憶は、未熟な子どもの脳を通して認識したものを事実として記憶している。だが、それは本当に事実といえるのだろうか。もし私の姉達に同じように記憶をたどるようにいうと、恐らく全く違うことを言うだろう。父や母への認識も異なるはずだ。もちろん同じ体験をしていないのだから違うに決まっていると言いたくなるかもしれない。だが、三日前に食べたものさえ覚えないのに、何十年も前の記憶の一点を捕まえて絶対的な事実だと言い張りたい自分がいるとしたら、それは何故だろう。

 

 自分の脳を通してしか認識できないということは、過去を語るときも、他人を語るときも、今の自分の脳が語っている。過去に問題があったというなら、それは現在にも同じ問題があるから脳はそう認識するのだ。必ず今の自分の中にあるものでしか、過去も未来も、他人のことも語ることは出来ない。

 ということは、母の様に短気ですぐに怒っていたのはわたしであり、自分以外の人の業績を自慢して張り合うのも、忙しくなるとすぐに頭に血が上り、のぼせるのも私だ。「女は家庭の中に納まり男が養うべきだ!」と父に言わせて、一見従順なふりをしながら、なんだかんだと父にケチをつけていたのも私なのだった。それは、今現在の自分の現実の中にも存在する自分の問題だから、過去にも同じ問題があったといいたくなるのだった。

 実際の母は、何も知らないところから兼業農家の社家に嫁ぎ、神職で留守がちの父に代わって、人を雇って梨農園を切り盛りし、家族が食べる野菜作りから、祭りの準備、果ては本家の親戚付き合いから近所付き合いまで立派にこなしていたのだった。朝は早い時には4時前には畑に入り、夜は夜なべして誰よりも遅く寝ていた。私が小さい頃はまだ洗濯機がなく洗濯板と足をつかっていた。ということはそれ以外にも家族の洗濯をし、掃除をし、食事を作り、動物(山羊、猟犬、猫、鶏)の世話までしていたのだ。時には山へ薪を拾いに行くのについて行ったりもしていたが、子どもの私の記憶には、いつも生き生きと動いていた母の姿があった。夜なべして子どもの衣類や靴下のほつれを縫いながらうたた寝している母の顔に、父が墨で〇☓を描いてからかっていたのを思い出す。

 

 いつも働いている両親の姿を見ると、夢見がちな子どもの私は、苦しくなるのだった。その苦しさの原因を、「両親が働き過ぎだからだ!そんなに働いたら祖父のように病気になって死んでしまう!」と思うことで、働くのが嫌いで家業を手伝いたくない怠慢な自分の中にある、両親への罪悪感を誤魔化していただけなのだ。そして、普段は猫のように振る舞っているが、隙あらば主人に牙で噛み付こうとする虎のような自分を母に投影し、両親が対抗する姿を見ているのだった。

 「父が言うように、自分が頑張り過ぎたら男性を食ってしまうかもしれない。だから頑張らずに、男性の後ろをついて行った方が良いのだ」と、まんまと自分の人生の責任を放棄する理由をつけて、いつまでも空想や本や漫画の世界で遊び、何かあったら父に責任を押し付けて責めるのだった。

 子どもの頃の両親への被害者意識は、必ず子どもの自分にとって怠慢、傲慢な自分を正当化できるというメリットがあるから、被害者を選んでいるのだ。それは、現在の現実の中にも同じメリットが存在するので、脳は過去の記憶を手放そうとせず、「絶対にこうだった!」と言い張るのだ。だが被害者意識は攻撃のエネルギーだ。結局は自分の首を絞めることになる。私の場合は、大人になっても自分で決めることができず、責任がとれず、常に上からの許可がないと動けず、いざ自分が人の上に立とうとしても立てないという事態を引き起こす。そして、その度に被害者意識に囚われて誰かを責めることを繰り返すのみで、現状を変える力を持てないのだ。そして、被害者意識の裏に隠れた罪悪感があるから、自分が幸せになることを阻まれる不安から常に逃れられない。

 さらに、頑張り過ぎたら男性(上)を食う!という言葉は、自分への呪いとなって生き続ける。身の回りでそういう現実を度々見ることになるのだ。それくらい私たちの感情のパワーは現実化の力を持っている。だからこそ、父にそういわせることで自分のパワーを封印したともいえるのだった。

 その呪いは、物語「眠りの森の美女」のように、いつか未来で解くことが出来る。だがそれは、王子様が現れて解いてくれるわけではない。感情のパワーから攻撃のエネルギー(被害者意識)が抜けてもう安全だと未来の自分が認めたとき、やっと封印が解け、本来のパワーを全力で解き放つことができるのだ。(続く)

 

白滝山の中腹にある高龗神社の第2の鳥居

鳥居は結界となってエネルギーを封印しているという説もある

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (9)東の龍と西の虎1

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年11月18日

東の龍と西の虎1

 

 長女の死が私にもたらしたものは、将来を自分の頭でしっかり考えていた次女と三女とは違い、頭をもがれた大蛇(おろち)のような状態だった。姉が生きていた頃は、大蛇の頭が長女で、胴体は次女と三女、さながら私はいつ切り捨てられてもよい尾の部分だと感じていたのだ。だから何も考えず前の動きに従って後ろをついて行くだけでよかった。だが頭がもがれたため、自分の胴体に自分の頭をつけなくては前に進めない状態になってしまっていた。

 

 末子の私は、小さい時から当然のように母に一番甘えていた。狭い山間の集落に同性の同級生が5人もいたので遊び相手に困らなかった私は、外で遊んで帰ると畑にいる母のもとにいき、よくおやつをねだっていた記憶がある。母は仕事の手を止め、家に帰っておやつを与えてくれたものだ。一つ上の姉はおばあちゃん子で、母にあまり面倒をみてもらった記憶がないと言うが、私は祖母に面倒をみてもらったという記憶があまりない。それでも気がつけば近くで草取りをしている祖母をよく見ていたので、きっと友達と遊ぶのを見守ってくれていたのだろう。そのうち祖父が病気になると祖母は孫の面倒どころではなくなり、母は祖父に栄養をつけてもらう為にヤギを飼い始めた。複数頭いたヤギの世話も、母について乳しぼりをしたり、小屋から畑まで移動させたりしていたのは、姉妹では私だけだったと思う。一番小さいせいもあってか、当り前のように母を独占していた。

 母は、私にとって気安く何でも言える存在だった。空気のように気を使わず、言いたいことを言い、当り前のように世話をしてもらっていたのだ。それは、幼児のときなら当然だと感じる人もいるかもしれない。だが、世話をしてもらうことはもちろんだが、気安く何でも言えることが良いことだと思っている思考回路を大人になっても使い続けると、依存的な自分を変えるのは難しい。何でも言いやすい人間関係が一番だと思うから、社会の厳しい上下関係や横のつながりの乏しい無言が求められるような職場環境は耐えられなくなるのだ。しかも、幼い頃につくった感情のパターンは、耐えられない環境の方を「悪」と認識して、自分を環境に合わせて成長させるべきとは思わないのだ。そのうち傍若無人な言葉使いをする無礼な人に悩まされるようになるだろう。それは大人になっても母親に言いたい放題のままの自分の姿が鏡のように外側に投影され、母親に感じさせている嫌な想いを自分が受け取っているだけなのだが。

 

 

 これまで私は、父が祖父の代わりにやりたくもない神職をやらざるを得なくなったころ、農業では必要なかった人間関係に苛立ち、母に八つ当たりしていたと思っていた。だが、父と母との当時の会話を思い出すにつれて、なぜ今まで目の前に見えていたのに気がつかなかったのだろうと思うくらいに、父に従順な母というイメージとはかけ離れていたことに気がついた。母は、東の龍と西の虎のように、父に対抗していたのだ。そういえば大人になってからも父への愚痴を随分聞かされていたな、と思いあたる。

 ひとは自分の脳を通してしか外側を認識できない。幼児といえども、同じなのだ。私は未熟な自分を母に投影して、父に対抗していたのだった。(続く)

 

 

 

 

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (8)龍の目

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年11月13日

 

龍の目

 

 しばらくは職場で涙が出そうになると、こっそり抜け出して「生命の実相」をむさぼり読んだ。すると心が落ち着いて、何気ない顔をして職場に戻って仕事を続行出来るのだった。

 

 

 フラクタル心理学の一元の理論から読み解けば、自分がこうなってしまったのは、すべては与えられるものだと思い込んでいる蔓の思考ルートのせいだった。蔓はいつも巻き付く木を探している。子どものときは親に巻き付いて生きている。親が与えてくれる栄養で生きるのが当たり前なのだが、大人になるにつれて自分の足で立つことを覚えていかないといけない。それが分かっている大人の自分もいるのだが、いつまでたっても誰かに巻き付こうとし、与えて貰おうとする蔓のルートが残ったままなのだ。それは無意識の思考ルートなので、なかなか自分で気がつくことも、変えることも難しい。

 理性の脳を使っているときは確かにそれが当り前だと思うのだが、感情の脳に切り替ると途端に依存的な6歳児に戻ってしまうのだ。脳は頻繁に切り替わっていることを当時の私は知らなかった。しかも感情脳で考えたり行動したことを、理性脳は数に入れない。時にはないものとし、時にはあるものとして、自分の都合よく利用することはあっても。

 私の感情脳は、「父は、私のほしいものをもっと与えてくれるべきなのにくれなかった!」と、責めていた。本やテレビを見て派手できらびやかな世界に憧れ、空想の世界を楽しむことばかりしていれば、いつか自分も自動的にそうなれると思っていたのかもしれない。実際は自分が地道に努力し、手に入れた能力だけが、自分の未来に満足や豊かさをもたらすことを知らなかった。父に従って銀行に勤めても、実際は事務をこなす地味な毎日の繰り返しだった。将来結婚したとしても、幸せよりも思いどおりにならない苦労の方が多いことは、亡くなった姉を見ていて感じていた。地道に生きたとしても楽しいことは一つもありそうになかった。

 当時の私は、自分が欲しいものが何ひとつ手に入っていないじゃないか!と父に対して怒り、思い通りにならない人生にヒステリーを起こしていたのだった。

「生まれたまま(自然のまま)が一番でしょ!」

「楽しいのが人生!」

「生れたままが一番」とは、何も努力する必要がないと感じているのだ。「楽しいのが人生」とは、楽しいことしかやろうとせず、それ以外のことはつまらなく無意味にしか感じられないのだ。

これが6歳の私がつくった感情の思考パターンになっていた。

 

なぜこんなに能天気な依存脳になってしまったのか、それは、私が4人姉妹の末子に生れたことも大きく影響していた。(続く)

 

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (7)龍の目

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年11月09日

 

龍の目

 姉に続くように祖母もその翌年亡くなると、私は銀行での仕事が手につかなくなるくらい精神的に追い詰められた。仕事中涙が止まらないのだ。誰にも気づかれないように度々誰もいない更衣室まで抜け出して、心を落ち着かせなくてはならなかった。

 私は自己嫌悪の極地だった。夢に向かって自分の将来を自分で掴むという気概がまったく持てない。何よりも、誰からの評価も高かった長女が亡くなったのに、自分が生きている意味がわからなかった。自分は生きる価値がない人間に思えた。

「死にたい」

 そう思っては涙がこぼれた。

こんな状態の自分を、まだ誰にも気づかれないうちに早くなんとかしなくてはと焦っているとき、家にあった、以前母から「良い内容だから読んでみたら?」と勧められたことがある本を、手に取ってみた。

それは、「生長の家」という宗教の教祖が書いた「生命の実相」という本だった。読むなり引き込まれ、貪るように読んだ。

 本の内容の中で、今でも特に心に残っているのは、この言葉だ。

 

「人は神の子」

「父母に感謝出来ない者はこの世で幸せになれない」

 

今思うと、当時の私は、父への恨みで一杯だった。

父の言う通りにしたから姉が死んだ!父は間違っていたじゃないか!

姉が死んでも自分が姉の代わりにはなれない。父にとって私はやっぱりどうでもいい存在なのだ!

自分なんか生きている価値がない!

 

自己嫌悪と怒りと罪悪感で、身動き出来なくなっていた。

だが、当時の私は、自分のどこがどう間違っているから、今の状態になっているのかがわからなかった。

ただ、この「生命の実相」という本に書いてあることは真実だと思えるのだった。(続く)

 

 

 

 

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