2019年4月

蛇神はたくらみ龍神は斬る(26)無駄な経験はない

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年04月25日

 

無駄な経験はない

 父の祭りの手伝いを続けながらアルバイトを転々としていくうちに30歳近くなっていた私は、父が結婚相手にと離婚経験のある神社関係者を強引に引き合わせたことが引き金となって、当時アルバイト先で出会い、付き合っていた相手と結婚して家を出る決意をする。結婚して家を出ることは、両親だけでなく、神社関係者の期待も裏切ることになると分かっていたが、このまま意に染まない相手と結婚したとしても決して幸せになれない!自分が幸せになることが一番の親孝行になるのだ!と言い聞かせながらの結婚だった。

 だが、これも子どものときの思考パターン通りに人生を創り上げたに過ぎない。羨ましがって自分もやりたいと手を上げるが、いざやってみるとそこには自由がなく、責任が重くのしかかって来るのがわかってくると、誰かに押し付けて逃げてしまうのだ。私の人生は、このパターンを何度も繰り返しているのがわかる。

 

 夫の父親は彫刻家だった。まだ独身の頃初めて義父のアトリエを訪れたとき、「こここそ私の本来いるべき場所だ!」と感じたことを今もはっきりと覚えている。義父のアトリエは、子どもの頃から憧れていた自由と才能と創造の象徴のように感じられた。絵を描いたり、本を読んだりするのが好きで、儀式や社交儀礼が苦手だった私は、自分は生まれる場所を間違ったのだとずっと感じていたので、「本来居るべき場所にやっとたどり着いた!」と思えたのだった。

 結婚してひと月もたたないうちに、義父は待望だった日本で一番大きな美術展の審査員になり、翌年には広島県で最初の県民栄誉賞も受賞した。夫は同じ年に仕事を独立し、収入は3倍にも4倍にも増え、長男も生まれた。そこから先は、その2年後に生れた娘も加えて、毎年アジアのリゾート地でダイビング三昧の旅行を楽しむのが恒例となった。モルディブ、プーケット、グアム、サイパン、ニューカレドニア、グレートバリアリーフなど、アジアの主要なダイビングスポットにはほとんど家族4人で行き、現地で多くの方と関わり合うことができ、まさに子どもの頃の夢がすべて叶ったような生活だった。

 結婚を機に習い始めた生け花の華展では、毎年義父との合作のような作品を仕上げて出品した(それは今も続いている)。人の背を越えるような大作を作る時、義父に相談すれば、彫刻で使った残りの廃材を使って、すぐにその土台の部分をイメージ通りにつくってもらえるのだ。私が頭の中にあるイメージを義父に伝えると、義父はすぐに理解し、互いにああでもないこうでもないとイメージだけで会話しているのに、確かに同じイメージを共有していると思えることが不思議だった。

 

 気がつけば19歳の頃の自分とは比較にならないくらい幸せな生活を手に入れていた。嫁ぎ先の義父母は、天気がよいとふらっと一緒にデッサンや旅行に出かけ、私と夫の生活にあまり干渉しないので、肩の凝らない自由な家風だった。夫は真面目で優しく働き者で、私は宝物のような子どもを得ていた。

 その半面、型にはまり自由が許されない神職の仕事と、嫁ぎ先とは対照的な家風の実家とを行き来する生活に、何故私の人生はこうも両極端を行ったり来たりするのだろうと納得がいかなかった。早く神職を辞めて自由にやりたいことだけをしていたかった。35歳を過ぎてから10年間漫画家を目指したことも、神職を辞めたい一心からだったが、東京の色々な出版社に持ち込んで、たまに良い手ごたえを感じたことはあっても、結局は実力不足を痛感して諦めるしかなかった。

 今ならわかるが、もともと漫画家になって成功したい気持ちなどなかったのだから、なれるわけがなかった。人は本当に欲しいものは必ず手に入れるからだ。「なるぞ!なるぞ!」と思考すればそのうち空気のように当り前に手に入れているものなのだ。もし、10年間必死でやり続けても手に入れられていないなら、それは感情の部分では欲しくないのだ。私が漫画家を目指したのは、型にはまり、責任をとる神職の仕事を辞めて、自由にやりたいことだけをしていたかったからだ。もし漫画家になってしまえば、今度は漫画家として型にはまり、責任をとらなくてはならない。つまり、私の本当の願いは「自由にやりたいことをする」ことで、それはもう叶っていたのだった。空気のように当り前に手に入れていたので、自分では気がつくことが出来なかっただけなのだ。

 だが、10年間漫画家を目指して頑張ったことも決して無駄にはならない。それが結果的に自分のイメージ脳を鍛え、自分の中からどんな感情でもひょいと掴み上げることができる能力として、今役に立っているからだ。誰もがフラクタル心理学の理解が深まれば深まるほど、過去に頑張った経験が未来に生きてくることを実感するはずだ。どんなに嫌な出来事も、その経験が欲しいから自分で創っているのだということも。

 両極端を行ったりきたりする度に、八方塞がりのように感じていた私の人生は、責任を放り投げて自由にやりたいことだけをやろうとする自分と、人生を思うように創造する神のようになりたい自分とが、常に葛藤していたからだった。

義父との合作?作品

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る(25)龍神

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年04月15日

 

(25)龍神

 

 不思議な現象はもう一つあった。桜が降る5,6年前、祭りの前の掃除を終えて高龗神社から下ろうとしていたとき、姪が大きな声で「あっ!龍がいる!」と叫んだ。指さす方向を見ると、本当に龍がいた。皆、興奮して口々に「龍がいる!」といい合った。近くにいって下から見ると、それは枯れた松の枝の先が、本殿から眺めると、龍そっくりに見えるのだとわかった。

 

 

 

 

 人は神の子、内側に神性を持っている、アセンションして誰もがその神の力を発揮して人生を思うように創造していく時代が始まるのだから、神社は必要なくなる。もしかしたら、神社にある鳥居は神を閉じ込めておくための結界なのかもしれない。当時そう思っていた私は、「神社に閉じ込められていた龍神が外界へ飛び立とうとしている」と感じたものだった。そして、桜が降った一か月後頃、強風が吹き荒れた一夜が明け、その龍に見えた枝が折れて落ちた、と聞いたとき「龍が放たれた!」と確信したのだった。

 その頃の私は、神社を継がず、人に明け渡す行動にでる決心をしても、「本当にこれでいいのだろうか?」と日夜悩み続けていた。桜が降っても、龍神が空に放たれた!と確信しても、一方で心は常に揺れ動いていた。このままいけば自分の故郷も、その歴史も消えていくことになる。それが何よりもつらかった。

 よく眠れない日が続いていたころ、朝方印象的な夢を見た。夢の中で自分の育った里があっという間に木々に覆われていく様を見ていた。心の中で「寂しい」とつぶやくと、「元の姿に戻るだけ」という声が返ってきた。「そうか。元の状態に戻るだけなのか。」と、妙に納得し、目覚めたのだった。それ以来迷いがなくなり、神職を辞すために行動する決心が決まったのだった。

 今考えてみれば、フラクタル心理学を知る前は、脳は気がつけば受け身の思考パターンになっていた。「いつも(邪魔者に)される」「どうせ(いらない子)なんだ」。()の中身は人それぞれだが、このパターンの中に毎回登場人物を当てはめては自分を憐れむ受け身の人生を生きていた。だが、フラクタル心理学を知ってからは、この受け身の思考パターンを修正することで、誰も憐れむ必要がない能動的な人生に少しづつ変えてきた。すると、面白いことに脳が自分で答えを出し始めるという感覚に何度も陥るのだ。「ああ、そういうことか!」この感覚を得る度に、脳にとっては受け身ではなく能動的な方が自然(あるべき状態)なのだな、と納得するのだった。

 

 

 ところで、不思議な現象を創り出す思考とは、フラクタル心理学で考えるとどういうことだろうか?当時の私は、神とは超常的な存在で、どんな不可能なことでも出来ないことは何もないと思っていたのだ。だからアセンション(次元上昇)すれば、自分が魔法の様に願い通りの人生をあっという間に創り出せる存在になると思っていた。(実際は、時間をかけて思考を貯め、法則通りに現実化する。そのルールを知って使いこなすようになるということなのだ。)だから、もうすぐアセンションするぞ!するぞ!と思考すればするほど不思議現象を創り出していたのだった。

 不思議を創り出す人は、自分は特別な存在だと周囲からも思われたい欲求が強い。だが、社会で特別な存在になって尊敬を得るには、社会に通用する(お金になる)能力をコツコツと身に付ける必要がある。それには人の下について学ぶ必要があり、時間もかかり、労力も忍耐もいる。元来特別だと思っている人にとっては、苦手なことばかりなのだ。だから、手っ取り早く不思議現象を創り出して、今のままで周囲から特別扱いされ、敬われようとするのだ。

 だが、この不思議思考も最初のうちは狙い通りの結果を得られるが、いき過ぎる(思考の量が増えすぎる)とマイナスの結果を生むようになる。例えば、霊能者と呼ばれるような人は、最初のうちは病気を治してもらったとか、事故を未然に防いでもらえたなどと感謝されるが、やり過ぎると必ず裏を見ることになる。外側に「なんて嫌な奴なのだ!」といいたくなる人を見るようになったら、その時が止め時なのだが、やめることが出来ないと必ずトラブルに見舞われ、自分自身が制御出来ない力を畏れ(恐れ)、従わざるを得なくなっていく。自分には特別な力があると周囲に信じ込ませ、畏れ(恐れ)させることで人を従わせようとする行為は、思考のエッセンスにすれば「傲慢」であり「怠慢」なのだ。自分の未来は、抽象化された思考のエッセンスで創造され、過去に人に与えた感情を次は自分が味わうことになるのだ

 すべての思考は法則に従って現実化するだけなので、傲慢な人には傲慢が返って来るし、怠慢な人には怠慢が返って来る。返って来るとは、「なんて○○なのだ!!」といいたくなる相手が現れ、苦しめられるということなのだ。これ以上苦しめられたくないと思うのなら、相手に言いたいことを自分が止めればいいだけなのだが、思考を抽象化し、エッセンスに戻す能力がないと、どこで自分が同じことをやっているのか、見つけだすことが出来ないのだ。

 この受け身の思考ルートは、もともとは本来やるべきことから逃げるために、外側に敵をつくって、逃げる自分を正当化したことから始まっているので、上に従って、本来やるべきこと(コツコツと能力をつける)を素直にやる自分にならない限り、問題は次々と湧きおこることになる。心の底でこの誤魔化しに気がついているので、戦いを続けるかぎり深層意識の中に罪悪感が貯まり続ける。この罪悪感が自分を苦しめ、不幸をつくりだす種なのだが、インナーチャイルドが戦いを止めることは、自分の負けを認めて、怠慢、傲慢な自分に向き合わなくてはならなくなるということなのだ。

 深層意識のインナーチャイルドを方向転換させることが出来、罪悪感から解放させられるのは、表層意識の自分だけである。だが、思考の現実化の法則を知らない無知な表層意識では、自分(創造主)の夢を叶えるエネルギーであるインナーチャイルドの信頼を得ることも、納得させることも出来ない。インナーチャイルドの納得が得られなければ、どんなに叶えたい夢があってもそこに向かってエネルギーを使うことが出来ないのだ。

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る(24)罪悪感

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年04月02日

罪悪感

 

 父が亡くなる7,8年前に不思議な現象に遭遇した。当時私は、「自分は父の為といいながら、実際は父に復讐したいだけなのではないか?」と感じ、焦り始めていた。父が亡くなる前に、必ず自分の中にある父に対するマイナーな想いをひっくり返してみせる、と思っていた。その頃スピリチュアルの世界では「アセンション」について書かれた本が盛んに出回り始めていた。私もそういう本を貪るように読んでは、アセンション(次元上昇)して父への想いを昇華出来るはずだと信じていたころだった。

 それは、同じ出雲の学校を卒業して神職の資格をとった甥(亡くなった長女の忘れ形見)と一緒に実家の神社のご神体の一つ、三の降り(滝)で龍笛という横笛を吹いていた時のことだった。季節外れにも関わらず桜の花びらが滂沱と降ってきたのだ。滝の淵の、木々に覆われて薄暗い中で、木漏れ日に光りながらひらひらと舞い落ちてくる桜の花弁を「なんて美しいのだろう!」と思いながら龍笛を吹いていた。「そういえば今年、福山城に花見に行ったときは桜吹雪だったなあ。あれもきれいだった。」とそこまで考えてハッと我に返った。それはもう一か月以上も前のことで、季節はすでに青葉茂れる初夏に入っていることに気がついたのだ。じゃあ、この桜の花びらはどこから落ちてきているのだ?と見上げても、見渡す限り桜の木は見当たらず、若葉が茂る木々の間からわずかに青空が見えるだけなのだ。

「ねえ、この桜の花びらはどこから落ちてきていると思う?」と思わず甥に声を掛けると、甥も笛を置いてしばらく不思議そうに見上げていたが、すぐに立ち上がって、走って桜の木を探し始めた。散々周囲を走りまわって息を切らせて帰ってきた甥は、「桜の木なんか1本もないよ!」といった。私達は、もう今は降ってはいないが、滝の淵にたまった桜の花びらを、声もなく茫然と眺めるしかなかった。

 家に帰って父に確認しても、三の降りの周辺に桜の木はない、といっていたが、その後も年が変わると、桜の開花前後にあわせて何度か足を運んで、桜の木がないか確かめに行ったものだった。信じがたい不思議な体験だった。

 

 私はこの現象の意味を、甥と一緒にいたせいか、亡くなった長姉が「これでいい!」と背中を押してくれたと感じていた。なので「必ずアセンション(次元上昇)出来る!だったら私は神職を辞めて、次は次元上昇の橋渡しをする仕事をするのだ!」と心に決めたのだった。

 そこから先は迷うことなく神職の仕事を引き継いでもらえる人を探し、地域の神社関係者に、私が神職を辞めることを理解して頂く為に動き始めたのだった。父は、「神職を辞めることは絶対に出来ないよ。自分も若い頃は辞めたくて仕方なかったが、結局辞めることは出来なかった。」とよく私にこぼしていた。確かに当時は難しく思われたが、私の決意は固く、父が動けなくなり神職を退くと同時に、私も周囲と摩擦を起こすことなく、なんとか神社を次の神職に引き渡すことが出来たのだった。

 

 この時はもの凄い安堵感を得ることが出来たが、父や先祖に対しては、申し訳ない!という気持ちでいっぱいだった。そう感じる度に「必ず将来次元上昇の橋渡しを仕事にして、日本中を飛び回って活躍します!」と心に誓い、決意を固めるのだった。

 父が亡くなる前、滅多に褒めない父が病院のベッドの上で「お前の良いところは、決めたことは信念を持ってやり遂げることだ」と言ってくれた。意外だった。絶対に出来ないと思っていた神職を辞めたことを言っているのだとしたら、父は長女を嫁に出したときに、子どもに実家を継がせることを半分諦めていたのかもしれない。もしかしたら、女の子しか産まれなかったと分かったときに、すでにそう思っていたのかもしれない。それは、父と一緒に仕事をするようになってからも時々言葉の節々にふっと感じてきたことでもあった。その度に少なくとも父は、私が父の神社を引き継がなくても、「先祖に申し訳ない!」と切腹したくなるほど落胆はしないようだと安堵したものだった。

 

 

 父が亡くなったとき、私はまだアセンションといえるものに出会っていなかった。父が亡くなる前に絶対に出会い、心から父に感謝出来ると思っていた私は、父の死に直面し、茫然自失してしまった。自分の内側には神がいると信じていたのに、その信念がガラガラと足元から崩れていくようだった。このまま何事もなく日々が過ぎていくだけならば、父や先祖に申し訳なく、自分が生きている意味がないとさえ感じていた。

  その半月後にフラクタル心理学に出会い、「これだ!ついに出会った!やはり私の中に神は存在した!!」と感じたときの安堵感と感動は、言葉にできないくらい大きなものだった。なぜ、父が生きている間に出会えなかったのだろう?という疑問も、フラクタル心理学を勉強するうちに理解できたのだった。

 それは、傲慢な自分に向き合うことが出来ないからだ。今では過疎集落といえども、何百年も続いた神社の神主の娘を現実化した私は、生まれながらに「自分は特別」という色眼鏡をかけているようなものなのだ。「生まれながらに特別」という思考は、あたり前に人を見下し、努力をしようとしない。自分の傲慢さに気がつくことが出来ないのだ。緑色の色眼鏡をかけて生まれ、いつもそれで世界を眺めていれば、自分が緑色の世界にいることにすら気が付けない。あたり前の思考とはそういうものなのだ。

 だが、それではフラクタル心理学を理解することは出来ない。一旦自分が掛けている色眼鏡を外し、ありのままの現実を見ることが出来ないと、世界を創り変えられないからだ。一度外すことさえできれば、あとはどんな色の眼鏡をかけるか自分で好きなように選べばいい。そうすれば、そこから色々な色の人生を楽しむことが出来るのだから。

 もし、父が生きていたら、傲慢な私には自分が色眼鏡をかけていることを認めることが出来なかっただろう。依存や傲慢が強いと、外側から変われと言われても、受け入れ難いものなのだ。大袈裟にいうなら「無礼者!拙者をなんと心得る!!この印籠が目に入らぬか!?」というくらいの感情が動くのだ。父は自分の死によって、傲慢な私の鼻をへし折って、小さくなることを教えてくれたのだった。

 そう考えると、自分のそれまでの人生のすべてが、フラクタル心理学に出会い、この理論を理解する為には必要だったのだと、今では完璧に理解出来る。

 

「天変地異が起こる」という父の言葉が印象に残ったのも、自分の中の罪悪感のせいだと気がついた。それはいまもまだ、自分が日本中を飛び回って活躍する!といえる状態になれないからだ。もっと家族で楽しく生活を楽しみたい、忙しいのは嫌、自信がない、、、なかなか前に進めない感情を罪悪感で誤魔化そうとしているからだ。罪悪感が貯まれば、自分を滅ぼそうとする。それが大災害を現実化する思考につながるのだと、今になってやっと気がつくことが出来たのだった。

 

桜が降った三の降りの淵

 

 

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