2019年5月

蛇神はたくらみ龍神は斬る(27)無駄な経験はないⅡ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年05月22日

無駄な経験はない2

 フラクタル心理学にLDPという、感情を基にして自分の進むべき方向が分かるという独自の手法がある。これをやるとき、秋祭りの神輿の巡業をいつも思い出す。祭りに参加したことがあるなら、神輿の一番前を歩く、天狗のような長い鼻のお面を被った猿田彦命という神様を見たことはないだろうか。神輿は祭神を乗せて、何か所かのお旅所を巡って最終的に元の神殿に帰るのだが、猿田彦命はその先頭に立って神輿を道案内する神様だ。実家の神社に祭神の一柱としても祀られている。秋祭りの神輿の巡業には毎年神職として参加して、猿田彦命のすぐ後ろをついて歩いたものだった。

 この神輿の巡業は、LDPそのものじゃないか?といつも思うのだ。先頭で道案内をする猿田彦命は、感情を上手に操って神輿を進むべき方向(目標)に向かわせるフラクタル心理学を学んだあとの表層意識のように私には思えるのだ。神輿を担ぐのは感情脳のエネルギーなのだが、感情脳は子どもの脳なので根気がなく、飽きやすい。それでもお祭り騒ぎが大好きなので、自分に何の責任も生じないニュースやスポーツイベントなどで盛り上がり、他人の神輿を一時的に担いだ気になってばかりいる。もし自分が乗った神輿を担いで次の目標(お旅所)までいけと言われれば、「つまらない、退屈だ、キツイ、シンドイ」などと言って抵抗するのだ。だが、他人の神輿をいくら担いだふりをしても、うっぷん晴らしになるくらいで、自分の現実には何一つ積み上らない。自分の乗った神輿を次の目標(お旅所)まで担いでこそ、達成感が得られる豊かな人生になるのだが、表層意識にフラクタル心理学の一元の理論が入っていない場合、外側に見えるものばかりに心を奪われ、自分に集中することが出来ないのだ。

 

 そもそも感情とは地縛霊のようなものだと思う。感情的になると、地球に呪縛された月のように、いつも同じ面だけを固定して見てしまう。強迫観念で行動するので、抽象度が低い視野の狭い状態だ。一歩目線を上げて別な角度から全体を見るということが出来なくなるのだ。フラクタル心理学を学んだ表層意識は、LDPや誘導瞑想で感情脳に一つ高い目線を与え、そのパターンとなっている固定された感情の呪縛を解くことが出来る。すると、これまでとは違う広い視野ができ、別の行動がとれるようになるのだ。そうやって呪縛を解いた感情エネルギーが増えていけば、自分を乗せて目標まで辛抱強く神輿を担ぐようになり、やっと達成感を味わう人生に変わることが出来るのだ。

 

 

 フラクタル心理学では、私のような末子は、保護が欲しくて末子を選んで生まれて来るという。末子にとっては保護=愛なのだ。確かに振り返ってみれば、私のこれまでの人生はいつも大きな後ろ盾に守られていた。大家族の末子として家族に守られ、神社の娘という家柄に守られ、神職の父に仕事で守られ、自営の夫に金銭で守られ、成功した彫刻家の義父の肩書に守られているように、常に誰かの後ろ盾があった。つまり、保護をいつも得ていたのだった。

 私の場合、保護は空気と同じくらい、努力しなくても常に手に入れている。つまり、保護を得ることが自動操縦になっているのだ。だが、保護されていると限定的な自由しか手に入れられないし、地位も手に入らない。だから自分にはない自由や地位が欲しくなり、現状に不満が生まれるのだが、保護を手放さなくてはそれらが手に入らないことがわからない。しかも、空気のようにいつも手にしているので持っている自覚すらない。両手に保護を抱えたまま自由や地位が欲しいと思うから、常に葛藤を繰り返すしかなかったのだ。守られることが愛になっている末子である私は、長子のように責任をとって地位を得れば誰からも守ってもらえなくなると感じるし、中間子のように自由に行動すれば一人ぼっちになってしまうと感じる。だから一旦手に入れようとしても、やっぱり愛がない!と途中で放り投げてしまうのだった。

 そもそも自分の中に「保護を得る」という感情(思考)があることにすら気が付けないのだから、表面上の心(表層意識)で懸命に自由や地位を求めて行動しても、地表が地殻に逆らって動くようなもので、そのうちずれた分だけを元に戻すような大きな出来事が起きて(思考の地殻変動が起きて)、元の状態に引き戻されていたのだった。それを繰り返す度に頑張ることに疲れ、少しづつあきらめの人生に向かっていく。

 それがいつも問題を起こしていた。ものには必ず表と裏があるように、同じ思考を続けていると裏面ばかりが見えてくる。保護ばかりを得ていると、そのうち保護を束縛と感じるようになり、自由を求めるようになる。そもそも大人になったら自立する必要があるのに、いつまでも誰かの保護を得ようとすれば、それが親であっても、相手にとっては大変な重荷になってくるのだ。砂糖や塩でも大量にとると毒に変わるように、思考も大量になると出世魚の様に呼び名が変わり、誰かを束縛して利用していることと同じになる。それでも保護を求め続けていると、そのうち「自分の利益の為に人を利用するな!」と言いたくなるような、お金にならない行動ばかり要求する誰かに自分自身が振り回される人生になっていく。もっと大量になると、それは支配される恐怖へと変わっていく。保護に限らず、同じ感情に呪縛され続けると最終的にはそこに行き着くのだ。今自分が味わっている感情こそ、実は周囲に自分が味あわせていたのだと気がつくことが出来れば目の前の問題は解決するのだが、感情の呪縛を解かない限りそこに気がつくことは出来ない。

 

 

 だが、保護を得る為に手に入れた能力もある。保護を得る為には人の機嫌を取る必要があった。場を和ませたり、人の顔色を読んだり、相手によって態度を変えるのも、話題を振って笑いをとるのも無意識でやっていた。それは少量であれば社会で役立てる能力になる。だが、無意識ということは自動操縦なので自分では止めることも加減することも出来ない。どんなこともやり過ぎれば意味合いが変わり、必ず悪い影響を及ぼすようになる。だから一旦自動操縦から抜け出して、自分の意志で加減出来るようにならないと能力として使うことは出来ないのだ。その為にもフラクタル心理学理論を表層意識に入れ、神(思考の現実化の構造、仕組み)の知恵を持った猿田彦命にする必要があった。

祭りの先頭で榊を持って歩く猿田彦命

 

 

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