2019年6月

蛇神はたくらみ龍神は斬る(28)感情脳の正体

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年06月18日

 

猿脳(感情脳)の正体

 

感情を感じる為に生れてきた!

 以前の私は感情を満たすことが幸せにつながると信じていた。だが、「感情脳は猿くらいの知恵はあるがあまり良いものではない」と聞いたときのショックは大きかった。それまでの自分には、感情を感じない状態など想像もできなかった。もし、そういう状態の脳が一般的だというなら、私はジャンキー中毒ならぬ感情中毒ではないか!?と、当時は思ったものだ。それくらい常に感情を感じていたかったし、感じていた。それに、フラクタル心理学では過去に無駄な事はしていないと学ぶではないか。だったら、感情を感じる人生も無駄ではなかったはず。人間よりも猿の群れの方が多い自然の中で育った子ども時代にも何か意味があったはずだ、とこだわり続けないと、それまでの人生を全否定されたような気持ちになるのだった。

 だが、この納得できないことに「でも、、」とこだわり続け、自分を全否定されたと感じるのが、自分の持っている思考パターンだとはまさか思いもしなかった。「でも、」と思うことで、納得できない出来事を現実化し、自分を否定された感情を味わい続けていたのだ!以前書いていたアメブロ「モンキートレーナーたまこ」も、そんなこだわりから書き始めたのだった。当初「私サルですけどそれがなにか?」という題にしようかと思っていたが、さすがにそれでは挑発的だと改めたのだ。この、反発すると挑発的になるのも私の心理パターンだったのだ!

 そして、難しいことに直面すると、「出来ない!無理!わからない!」と思う思考パターンがあることにも、最近はっきりと気がついた。これも、いつも当り前に空気の様に思考していた。苦手なことに直面すると「出来ない!無理」だという感情が動くから、頭に血が上って失敗し、「誰も私を認めてくれない!」という感情を味わっていたのだ!

 なんというバカバカしさだろう。自分の持っているパターンには、なかなか気がつくことが出来ない。特に空気のように馴染みのある感情ほど、修正したつもりになっていても手放しきれていないことが多い。

 自分を全否定されているような惨めな気持ち、誰も認めてくれないという悲しい気持ち、それの何が悪い!と思う反抗的な気持ち。どれも生まれた時から上の姉妹には何をやっても叶わず、いつも命令される側にいる末子にありがちな思考パターンだと分かる。自分を憐れんでいる内はまだ保護を手放さず、コツコツ努力して能力をつけ、責任をとる生き方から逃げている。この感情を味わい続けることで何を現実化しているかを理解し、心底バカバカしいと思えるようになって初めて、心理パターンを手放す気になれるのだ。

 自動操縦の感情は、赤ちゃんから小学校に上がるころまでの意味付けのままで動いている。なので私は、赤ちゃんのように優しく扱われることが好きだし、フワフワとした柔らかいものが大好きだ。反対に、厳しい、キツイと感じることからは逃げようとする。だが、筋肉も圧がなければつかないように、成果を出すには必ず圧(プレッシャー)が必要なのだ。この圧(プレッシャー、ストレス)が子どもの頃に「悪いもの」に意味付けされていると、修正してもなかなか動き出せない。「やってもやってもきりがない」と思うのは、私が諦めるときの思考パターンだ。高校を卒業する頃には「私はこの藤尾の山の中からは絶対に出られない!」とまるで見えない鎖に繋がれているかのように感じていたことを覚えているが、そう思うことで、プレッシャーのかかる世界に自から飛び込もうとせず、居心地の良いぬるま湯のような現状の中にずっと居続けようとしていたのだ。

 もう一つ、私の中では、自立=見捨てられる=猫との別れを意味していた。以前、カウンセリングを受けたとき、自分の方から唐突に「猫だけは、まだ手放せません!」と言ったことがある。自分でもなぜそんなことを言ったのか不思議だった。猫は私にとっては孤独を癒してくれる単なるペット以上の存在だった。子どものときには忙しい母の代わりに猫がいつもそばにいた。姉達がしだいに一緒に遊んでくれなくなっても、猫を相手によく遊んでいた。独身時代にも猫を飼っていたが、貴重な彫刻が沢山置いてある嫁ぎ先に連れて行くことが出来なかったことが、何よりも辛かった。結婚して初めて実家に顔を出したとき、猫を抱きしめて「ごめんね」と、泣いたことが思い出される。次に今の猫を飼うことになった時に、「もう絶対に見捨てたりしない!」と心に誓った。それが、カウンセリングのときの唐突な言葉になったのだった。

 私は、置いて行かれた猫に子ども時代の自分を投影していたのだ。今思えば、自分の中に自立=置いて行かれる=見捨てられる、という信じ込みがあった。どうせ見捨てられるなら、代わりのもの(猫)に慰めてもらう、と決めたのだった。そういえば、長女が結婚して家を出たときも、次女が高校卒業と同時に家を出たときも、見捨てられたような気持ちがしていたのだった。こんな信じ込みがあると自立しようとすら思わないものだ。かりに表層意識が自立しようとしても、深層意識の中の見捨てられたと思っている自分(インナーチャイルド)が、それを許さないのだ。

 だが、実際は見捨てられたわけではない。自分が親の手伝いを無視して、部屋で猫とゴロゴロしていたかっただけなのだ。ある意味、手伝いを求める親や姉を無視して、猫を口実に遊んでいたのだから、見捨てたのは自分の方なのだ。

 面白いことに被害者意識を抱くとしたら、必ずその前に加害者の自分が存在する。被害者意識とは加害者の自分を誤魔化す為の感情エネルギーなのだ。つまり、被害者の感情が動く人ほど、内側に矛盾する加害者のエネルギーを持っている。そして、それを誤魔化す為に膨大なエネルギーを使っている。フラクタル心理学を学ぶと罪悪感に囚われる時期がある。だが、罪悪感を抱いている内はまだ本当に反省して加害者を止めたわけではない。罪悪感とは、加害者の自分に気がついているという段階にすぎないだからだ。これまで人から得ていたエネルギーを、自分を動かして得られるようになって初めて、罪悪感から解放されるのだ。

 

 

 実は、フラクタル心理学でも人生の目的は感情を感じることだという。だが、その感情は、達成感という感動を伴う感情で、幼児の頃の被害者意識を元にした波のように揺れ動く感情ではない。怒りを土台にしたこの感情は、周囲を動かして欲しいものを得ようとするので、自分の思い通りに動いてくれるものは善で、そうでない者を悪にして、正義の戦いに明け暮れる。だから、いつまでたっても自分自身の人生に集中して、目標を達成し、達成感を味わう方向へ向かえないのだ。

 

 人は外側に凄い人を見ると自分も上に向かっていきたいと願う。「いいなあ、素敵だなあ」と感じるのは上に行こうとするエネルギーだ。夢を持つのも、目標を決めるのも上に行こうと思うからだが、そこに行くまでの努力の過程で感情を使うと、真逆の方向にエネルギーを使うことになる。楽しいことや面白いことばかりに目を奪われ、人間関係のゴタゴタをつくっていく。

 

 社会に序列があるように見えるのは、自分の中に努力や能力がある人を認め、敬う思考があるからだ。一方で、平等で競争がない社会がいいと思うのは、努力が嫌いで能力がなくても、能力がある者と同じに扱え、と思う思考があるからだ。これも真逆のエネルギーなので、前に進もうとすると心に葛藤を生み、進むことが出来ない。

 

 

 フラクタル心理学の素晴らしさは自己完結に向かうことにあると思う。この理論を体系的に学ぶと、この世界は100%自分が創っているのだから、答えは自分の中にあると分かって来るのだ。なぜ作ったのかわからなければ、LDPという手法で、自分で答を見つけ出すことが出来るし、この世界はフラクタル構造なので、どこからでもヒントを得ることが出来る。だが、感情を主に使ってきた私のようなものが突然自己完結の言語を聞いても、最初のうちは宇宙人の言葉のように理解出来ない。しかも翻訳すると、被害者だったはずの自分が加害者になってしまっているのだから、狐に化かされたような気分になったものだ。

 これは、表層意識と深層意識とでは思考の量が逆転するせいだ。それは、鏡で見ると自分の姿が左右逆に映って見えるようなものだ。だが、そんなことを聞いたとしても、実際目で見たものしか信じようとしない表層意識は、なかなか納得しない。自分では「1パーセントくらいはあるかもね」と思う意識が、実は深層では大半を占め、「100%そう思っています!」と感じていても、深層意識に入ると2,3パーセントにすぎなかったりする。すると現実化するのは、ちょっとくらいは感じてたかもね、の方なのだ。そのときに、人生は自分では制御不能で、思いもかけないことが起きると感じるのだ。

 フラクタル心理学で深層意識の捉え方を学ぶと、理論通りに理路整然と思考が現実化していることに納得出来るようになる。今どんなに嫌な思いをしていても、過去に自分が何を望んだから今こんな気持ちを味わっているかに気がつけるようになる。そして、気がつくことができれば、変えることも出来るのだ。

 

 

 

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