融通がきかない!これくらい察しろよ!と思う回路
2020年08月10日
最近誰かに
「気が利かないなあ。このくらい察しなさいよ」とか
パソコンに向かって、「これくらい人間だったら察してくれるのに、機械は融通の利かない」と、こぼしたりしていませんか?
そういえばちょっとはあるかも、と思った人は、実は自分が思っている以上に大きな依存の感情を隠し持っています。
自分では、外側に甘えた依存的な人を見ているので、自分が依存的だとは感じていないかもしれませんが、外側に見るということは自分の中にあるからなのです。
この「察してよ」というのは感情の言葉。
6歳までに感情脳がつくったパターンで、自動操縦でいつも動いています。
「誰か私を見て!私に気がついて!ほら、手伝ってよ!」
そんな感情が元に作られているので常に周囲のひとを見てしまいます。
この、人を見るというのは、困った時に助けてくれるひとを求める依存心(甘え)なのです。
大人になったら自分で出来ることが増えているので、自分の中にそんな依存心が残っているとはなかなか思えませんが、実は大人になっても感情の量は減っているわけではなく無意識の領域では常に子どもの頃と同じ流れで動き続けているのです。自分が意識出来ているのは、感情とは別の、理性で考えた部分だけなのです。
この「察して欲しい」感情があると、わかるまで何度も繰り返す努力が続かず、すぐに誰か周囲のひとに頼ろうとして電波を張り巡らせます。そんな依存的な自分に潜在意識の自分は気がついているので、誰かに非難されていないかと心配になり(感情の記憶の中に依存的な自分を非難する親がいるので)ますます周囲に電波を張り巡らせ、非難される前に先にケチをつけたり、逃げ道を探し始めます。そうやって依存的な自分を正当化する為に膨大なエネルギーを使っているのが、感情脳の特徴なのです。この甘えの感情がある限り、人の反応ばかり窺うので自分軸で生きることはできません。つねに人からの評価を気にして、望む評価が得られない失望や怒りの感情を繰り返し味わいます。
ひとは様々な感情の回路をつくって、コツコツと繰り返し努力することから逃げています。それは親から何度も言われた言葉「顔を洗いなさい。手を洗いなさい。歯を磨きなさい。etc.」毎日繰り返された言葉に子どもの自分がどう感じ、どう行動したかでつくられた脳の反応の回路なのです。出来るまで同じことを何度も何度も繰り返す回路が脳の中にあるかないかで、大人になった時の能力に大きな差が生まれます。フラクタル心理学は感情修正をすることで、子どもの頃から同じパターンで反応する回路を変えて、わかるまで何度も繰り返す回路を、何歳になっても自分でつくっていくことができます。
「棚からぼた餅思考の怠慢サル」
「感情は屁理屈の回路」