2020年7月
「でも」といいたくなる半人前の自分
2020年07月27日
「でも、」と思うときや、言葉にするとき
親に反発した子どもの頃の脳(感情脳)に切り替わっています。
感情脳は6歳以下の子どものときにつくられた脳なので、視野が狭く、自分の能力を制限しています。
本人はいつも辿っている思考ルートなので違和感なく使い続けますが、この感情脳を使い続けている限り、「でも、私は違う、でも自分はそうは思わない。でも自分のほうが」と
「小さな我」に凝り固まって、
成長する方向へ向かうことが出来ません。
感情脳のみで生きていた子ども時代は、いつも当り前に尊大で依存的です。
社会の中で、一人で生きる力(能力)は持っていなくても、大人から大切に保護されています。自分でお金を稼いでいなくても、それを非難する者はいません。
やることなすこと半人前でも、大人はそれを大目にみていますが、
子どもにとってはそれが当たり前の周囲の反応です。
そもそも子どもは、自分を完璧だと思っています。
「自分は半人前だ」とは思っていないので、親を平気で批判し、ジャッジします。
「でも!」は親を批判したり、反発するときに身に付けた脳の回路なのです。
ところが、大人になるとそうはいきません。
いつまでも社会で役に立つ能力を身につけようとせずにいると、大切に扱ってもらえないのはあたりまえだし、
自分の方から周りに合わせていかなくては、すぐに居場所はなくなります。
それを理性脳では理解していても、感情脳は納得しません。6歳児のころのままに、今のままの自分で十分保護されてしかるべきだし、周りは自分に合わせて、多少のことは大目にみるべきだと当然のように思うので、周囲の対応に不満を感じます。
今のままじゃだめだ!なにか能力を身につけろと言われただけで、
自分は完璧だと感じている感情脳は、自己否定をされたと被害者意識を感じます。
その被害者意識は、子どものとき、親から自立を促されたときに受けた気持ちと相似形です。親からの躾けをどれくらい「でも!」と反発し、その後どう行動したかが、
その後の人生の思考パターンとなっているのです。
この反発が大きければ大きい程、理性と感情の葛藤が大きくなり、
社会の中で生きることに、ストレスがたまる一方になります。
つまり、ストレスの原因は、目の前の問題や、相手ではなく、
自分の大人の脳(親)とそれに反発する感情脳(子どものときの自分)との戦いなのです。その思考が目の前の現実に投影されて、自分に自立を促す嫌な相手や、
それに抵抗する為につくりだした困った問題となって見えているのです。
自分の怠慢な脳(感情脳)との戦いに終始する人生からは、そろそろ卒業しませんか?
葛藤を終わらせれば、
脳は効率よくエネルギーを使って、人生を行きたい方向へ創造する次のステージが始まります。
勝ちパターンを手放す
2020年07月20日
誰もが子どものときからあたりまえにやり続けてきたやり方をもっています。
そのやり方は感情脳がつくったやり方なので、自動操縦になっています。
つまり、おとなになっても無意識にやっているということ。
こどものときからこのやり方で、メリットを得ていました。
長子なら、長子らしく命令して下の兄弟を動かすとか。
中間子なら、親の目の届かないことろで、自分の自由に、やりたいようにやるとか
末子なら、誰かに手伝ってもらえるとか。
そのメリットがあったので、大人になってもこのやり方をやり続けてしまいます。つまり、自分のとっては欲しい結果が得られる勝ちパターンのやり方なのです。
ことろが、同じやり方をやり続けていると必ず上手くいかなくなってきて、自分を非難する誰かが現れてくるのです。
自分ではこれまで上手くいっていたので、「おかしいな?」と思ってもやめることが出来ず、自分を非難する相手を敵に回して勝とうとしますが、
それをすると必ず、自分の社会的立場が悪い方向に向かいます。
つまり、自分の方が社会的に弱い立場になっていくのです。
これは何故かというと、
このとき戦っているのは感情脳(子ども脳)なので、
弱者の立場を利用して勝とうとするからです。
つまり、勝っても弱者としての立場が大きくなるだけなのです。
上手くいかないことが現実化したときは
自分にとっての「当り前」を見直すとき
どんなことでもやり過ぎるとエネルギーのバランスが崩れ、
過ってはメリットが得られていたやり方でデメリットばかりを得ることになっていきます。
そういうときは勝とうとするのではなく、負けて勝つときなのです。
相手の言葉を聞いて、自分を反省し、相手の言うやり方を受入れる。
自分がこれまであたりまえに手に入れていたメリットを手放して、
次のメリットを得ていくのです。
すると、
いつのまにか次元を乗り換えたかのように、
過去のやり方を思う存分能力として活かしながら、
新しい目標に向かっていく自分に気がつくのです。
脳の中は一元
2020年07月13日
脳の中は一元の世界
わかりやすく言うと
自分の本音と建て前
すべてを目の前に現実化して見ている世界です。
もちろん、誰しも本音だけで生きていることはないし、
建て前だけで生きてもいないのですが
自分の人生が制御不能になるのは
この本音と建て前、すべてが現実化していることを知らないからなのです。
本音と建て前というくらいだから
この二つは真逆の思考といっていいいのですが、
実は本音が感情脳で
建て前が理性脳なのです。
相手が目の前にいるときはいい顔をして
目の前からいなくなれば悪口をいう
言わないとしても心の中では批判しているとか
仕事をしながら、遊びを夢想したり
運転しながら誰もみていないからとちょっとだけ交通違反をするとか
そんなことは誰もがあたりまえにやっているとは思いませんか?
「あたりまえ」「ちょっとだけ」と思うとしたら
それは、空気のようにいつもあたりまえに真逆を思考し
「ちょっとだけ」と言いわけしながらいつも真逆を行動しているということなのです。
「ちょっと」は、実は膨大な量の思考なのです。
フラクタル心理学を勉強し、思考の現実化理論を理解すればするほど
脳の中に真逆の思考があるとエネルギーは相殺されてなにも積みあがらないということがわかってきます。つまり人生になにも積みあげられないのです。
この本音と建て前をつくったのは子どものときです。
こどもは本音で生きています。
まだ理性脳は発達していません。子どもにとっての理性脳(建て前)の思考は、
親にあたります。
親が子どもに向けて言う言葉
「お片付けしなさい。掃除をしなさい。勉強しなさい。手伝いなさい。静にしなさい。いうことを聞きなさい。」
それらの言葉を子どものときどう認識し、どう行動したかが、
今現在大人になって、本音(感情脳)が建て前(理性脳)に従って行動できるかどうかを決めているのです。
親のやり方をあまたの中で批判してきた子どもは、
子どもの自分の方が親よりも偉いと認識しています。
それは感情の自分の生き方が正しく、親のような建て前(理性)で生きている生き方が間違った生き方だと認識しているということなのです。
すると、理性的な生き方をバカにして、本音で生きようとするので、
社会のルールに従えない自分を正当化し、それを自分らしさだと思います。つまり、本音で生きる=我儘な子どもの感情を優先して生きる、ことが正しい生き方だと思っているのです。こうなると世の中の大人が本音を隠して生きている嘘つきにしか見えません。つまり、自分だと認識している部分(感情脳)が自分の大人の脳(理性脳)を拒絶して、感情脳だけで生きようとするのです。
それは成長しようとしない、ということなので、脳は進化しません。
そうなると、感情的で、わがままで、気が変わりやすく、仕事嫌いで、親や社会のルールを守ろうとしない本音の自分の思考ばかりが現実化するようになるので、人生は次々に問題が起き、不安や心配事に振り回されるようになっていきます。
一元の世界に「本音と建て前」という言葉は存在しません。
それがあると自分の人生のコントロールを失うからです。
誰もが多重人格者
2020年07月06日
目標があるから、スケジュールを自分で決めて、やる気で行動できます。
行動が積みあがれば自己評価が上がります。
結果がでれば達成感が得られます。
そして、大人の脳が機能し始めます。
誰もが多重人格者で、頑張る自分、頑張れない自分、自分が好きな自分。相手を悪者にしたい自分。自分が嫌いでダメ出しばかりする自分。楽しみたい自分。地道な努力は苦手な自分。寂しい自分。お茶目な自分、、、。
これまで思考した分だけの様々な自分がいるのですが、ここがバラバラのままだと、目標を決めて行動することが出来ません。
いくら、
豊かになれる
能力がつく
自己評価が上がる
自分軸で生きられる
と聞いても、これまで通りの自分から抜けだそうとはしない感情脳(インナーチャイルド)
の量が多いと、なにを聞いてもそっちが良いものに思えないし、良いと思ったとしても行動することが出来ません。
フラクタル心理学は、統一性のない過去の思考の集合体だった深層意識を、表層意識の望む方向にむけて動かすことが出来るようになります。
自分が多重人格者で、感情脳の自分と理性脳の自分がいることも知らなければ、自分の中の葛藤を終わらせることが出来ません。内側の葛藤が外側に投影されて自分の身の周りの現実となって現れている思考の現実化の構造を知らなければ、自分自身を本気で変えようとも思えません。
思考の現実化の理論を知れば、深層意識に方向性をもたせて人生を創造することが出来ます。
これまでの感情脳主体の
内側に抱えた恨みがフラクタルに投影され
疫病神となって現れ
祟り神となって現れる
そんな生産性のないドラマを繰り返す人生からの卒業です。
自分で決めて、自分で行動し、自分で評価する。
次は、自分だけと勝負する創造の時代です。
そこにはもう、怨みも疫病神も、祟り神も存在しません。