その他

未来サポートメッセージ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2020年02月10日

未来サポートメッセージ

 

おりしも今、ニュースはコロナ一色。

世の中は様々な不安が交錯しているように見えます。LDPを複数ですると、同じニュースでも、人のよって、どこにどう不安を感じているかが全く違うということに驚かれるでしょう。それぞれが自分の内側の指示通りに方向転換出来れば、次から同じニュースを見ても不思議なくらい不安を感じなくなります。もし、まだ以前と同じように不安を感じるとしたら、上手くサインを読んで方向転換できていないからなのです。

 

 「ひとを変える魔法」ワークの場合も同じで、もし相手が変わらないとしたら、自分の内側の指示通りに自分が方向転換できていないからなのです。

これまで無意識に身につけた思考回路を、新しい回路に定着させるには時間がかかります。一度だけ自覚したからといって、方向転換することに慣れていないと、やったつもりになっているだけでやらなかったり、いつのまにか自分が正しいと思う従来のやり方に戻ってしまいます。

 

そうならない為にも、新しい思考回路が定着し、相手が変わったと自覚出来るまでは、しばらくはワークに参加し続けて頂くことをお勧めします。

 

そして、何よりおススメしたいのは、このフラクタル心理学理論を学んで、頭に入れて頂くこと。

それは、これまで使っていたパソコンの古いOS(脳の古い感情で動く部分)を最新のものに変えるような効果を得られるからです。

やればやるほど新しい境地を実感できるフラクタル心理学!

 

 

 

 

 

 

 

未来サポートメッセージ

 

人間関係が上手くいかない。

「ひとを変える魔法」を読んでも、よく理解できない、

としたら、ウインウインという考え方がわからないからかもしれません。

 ウインウインとは、相手にとっても、自分にとっても、良い結果をもたらす行動をするということ。でも、それが出来ていないから相手が変えたい人になって表れているといえるのです。

 

自分にとっては当り前で、いつもどおりに反応することが正しい行動だと思いこんでいますが、実は子どもの頃に身に付けた自分本位な「我」のルートである場合が多いのです。

この「我」のルートで

「私はこう思っているのに、、」

「私はこうしたいのに」

「私は嫌なのに」

「私は好きなのに」

「私は間違っていないのに」

自分を先に考え、自分本位に行動する子どもの頃の癖が、思考ルートの中に残っているのです。

すると、相手がどう思っているかを考えず、常に自分を優先して考え、行動するのが癖になっています。

相手が嫌な思いをしていることに気がつかないので、そのうち必ず人間関係に摩擦がおきます。

 

いつも自分本位に考え、相手を思いやる気持ちになれない「我」のルートは、子どものときに身に付けた感情のルートです。一度身に付けた感情のルートは、いつも同じような出来事には、無意識で同じ感じ方をし、同じような行動をとっています。今回はこう感じよう、次は別の感じ方をしてみよう、などと一々感じ方を選んだりはしません。無意識に同じルートで感情は流れ、同じような行動をとるだけなのです。

 

フラクタル心理学の「人を変える魔法」は、この無意識の「我」のルートを意識にあげて、いつも同じルートで流れる「我」の感情の流れと一連の行動を、ウインウインの行動がとれるルートに変えるのです。

 

フラクタル心理学の「LDP講座」でも、同じようなルートを脳に創り出すことが出来ます。

この「人を変える魔法」や「LDP講座」を繰り返しやるうちに、自分本位だった感情のルートを止め、相手にとっても自分にとってもウインウインの答えが出せる大人の脳へと成長させていくことが出来ます。

 

 

 

未来サポートメッセージ

変えたいひとがいるということは、ひとに振り回されている感をもっているということ。

この状態が長く続くと、いつもひとに振り回されて、自分らしい人生を生きられない!と感じ始めます。

 

自分らしく生きたい!

 

誰かの都合にいつも合わせながら生きるしかない人生から脱却したい!

 

と切実に望むようになります。

その為に心理を勉強したり、様々な講座に通ってもスッキリと自分らしい人生に変えることが出来ないとしたら

やっぱり誰かに振り回され、誰かの都合に合わさなくてはならないと感じて生きているとしたら

 

これは何故なのでしょうか?

 

思考が現実化する!100%例外なく!

自分が現実を創っているとしたら、これには明確な理由があります。

 

先ずひとつは、自分自身がひとを振りまわしていることに気がつかないからです。

そういう場合、特に、自分にとっては当たり前の感覚で身近な誰かを振り回しています。

例えば夫を。妻を。親を。兄弟姉妹を。子どもを。

 

自分にとっては当り前でも、相手は振り回されていると感じています。

脳には主語がなく、上か下かの立ち位置だけを変えながら、同じ立ち位置では同じ感情を感じる、という思考の現実化には構造があるのです。弟を振り回していれば、自分が同じ立ち位置についたとき(誰かの下についたとき)振り回されると感じます。そのとき上の立ち位置の相手を「なんて身勝手なんだ。こんな奴は皆から嫌われてのけ者にされるぞ!」と心の中で罰するから、弟を振り回す自分が罰せられる(皆から嫌われ、のけ者にされる)ことになるのです。

 

 もうひとつは、自分の都合に合った行動をとらない相手に不満を感じるからです。こんな心理があるとひとの行動を常に見張って、心で裁いているので、自分が見張られ、裁かれていると感じます。

どちらも6歳以下のこどものときにつくられた、受け身で動く感情の思考回路なので、自分ではなかなか気がつきません。

でも、変えるには無意識を意識の上にあげる必要があるのです。

 

ひとは自分の中にあるものしか外側に見ることが出来ません。

自分の一面を外側に投影して相手を罰すると、次に自分が無意識に同じ立ち位置で同じことをしたとき(必ずしています)、自分がつくった法律(例えば上記の例では、上は下を身勝手に振り回してはいけない)で罰を受けることになるのです。 

 

フラクタル心理学の「人を変える魔法」ワークは、自分の立ち位置が変わったときに、矛盾した思考で相手を裁いていることに気がつき、立ち位置が変わっても思考と行動を統一させることで問題を解決する方法です。

二元の思考(そこに他人がいて私がいる)では一生涯解決できないことが、一元(相手は自分の思考の投影)が理解できると簡単に解決できます。

 

フラクタル理論をあたまに入れ

自分の感情と向き合い、修正した先には

 

周りに振り回されない

自分の目的に向かって、周りを動かす人生が待っています。

それは必ず周囲とウインウインの関係です。

 

 

 

未来サポートメッセージ

思考が現実化するには、理論や法則があります。

 

誰もが、知っていようがいまいが、その法則通りに今も現実を創っているので、誰もがその法則を使って現実を変えていくことができます。

 

ところが、「自分が嫌いです!」という人でも「変えられる」と聞くと、なんだか今の自分を否定されたような気がして、ムッとしたりします。

実はそれには理由があるのです。

そもそも、誰にとっても今が最高の状態なのです。

 

 

自分が嫌い、変えられるものなら変えたい自分と

変えられると聞くとムッとする自分は違う自分なのです。

もっとわかりやすく言うと脳の違う部位が反応しているのです。

 

別の言い方をすると

自分が嫌いと言っているのは自分だと思っている表層意識の自分

今の自分が最高の自分だと思っているのに変えろと言われてムッとするのが、自分には見えていない深層意識の感情の自分です。

 

表層意識は全体の3~5%のエネルギーしかなく、

深層意識は95%以上のエネルギーを占めています。

だから、いくら今の自分を変えたいと思っても、感情に邪魔されて上手くいかない!という経験は誰にでもあると思います。気がついたらいつも同じような状況を繰り返すのも、感情の思い通りに生きているからです。

 

だから、感情にとっては今が最高の状態と言えるのです。

 

 

自分の感情を騙し騙し、やるべきことを選択しても、

ストレスが膨らんで上手くいきません。

結局、感情のいいなりになるしかなかった経験が

自己評価を下げ、自分嫌いの原因になります。

 

 

でもフラクタル心理学は、感情の自分を修正し、

表層意識と同じ方向に向けることができます。

感情の抵抗エネルギーを減少させて、自分の行きたい方向へそのエネルギーをプラスして向かわせることが出来るのです。

 

「ひとを変える魔法」白石美帆著 同文舘出版にはそのやり方がわかりやすく書いてあります。

未来サポートメッセージ

目の前の困った相手を、自分が思考を修正するだけで変えるなんて、出来るわけがない!と感じられている方の為に、もう少し詳しくお話しますね。

 

 ある程度の能力が身に付き自分の中に少し余裕が出来て、次に進む段階になったとき

 

 主婦であるならば、子どもが成長して少し手が離れて、自分自身が次に進む段階になったとき

 

無我夢中のときには気にならなかった身勝手な誰かが気になり始めるときがあります。

 

 そういうときは、もっとチャレンジして次の段階に行こうとする自分と、「めんどうくさい。責任取りたくない。もっと好きにしていたい」と次の段階に進みたがらない子ども心の自分との葛藤が内面で始まっているのです。

 

 内側での葛藤が大きくなると、外側にいつまでも行動したがらない自分(インナーチャイルド)を吐き出して、投影してみるようになります。

ちっとも人の気持ちを察しない上司

自分勝手に飲み歩く夫

嫌なことがあると感情的になって暴れる子ども

 それは、成長したくない自分の投影であり、子どもの頃の自分が成長を促す親にとっていた態度なのです。そして、その頃の自分を叱る親の目線で、相手を叱り飛ばしたくなるのです。

 

 こういうとき、本当の葛藤の相手は自分の中の子どもごころ(インナーチャイルド)なのですが、それを外側の誰かに投影して戦っている限り、その相手は消えません。消えないどころか戦えば戦うほど思考の量が増えるので、相手はエネルギーチャージされていきます。その戦いに明け暮れている限り、あなたはそれを理由にして成長するための行動から目を反らしていられるのですが、そのうちエネルギーが大きくなり過ぎた相手に苦しめられるようになるのです。

 

すべては自分の思考の量を外側に見ているだけなので、相手の嫌な態度を自分に戻して、自分を成長の方向へ向かわせることことで投影先の相手の態度も変わるのが、「ひとを変える魔法」ワークなのです。

 

私はあんなに自分勝手じゃありません!

あんな浮気者じゃない!

あそこまで仕事嫌いじゃない!

 

といっている限り相手はやり方を変えません。そして、その相手を外側に見て戦っている限り、あなたも成長する行動を選ぼうとはせず、そのうち巨大化する相手に本当に苦しめられるようになるのです。

 

相手も自分もいっぺんにウインウインの関係に変わる!

それがフラクタル心理学の「ひとを変える魔法」講座の、魔法のように感じられる効果です!

 

 

輝く未来へサポートするフラクタルメッセージ

 

ひとを変えるなんて傲慢な考え方だ!

 

という方が時々おられますが、そういう方は、周りに困っているひとを置いて、自分は困っているひとの世話をするか、助ける役まわり、もしくは一方的な被害者だけを演じている可能性があります。

実はこれは、自分だけは違う(特別)、と思っている傲慢な思考がもとなので、そのうち周りの傲慢なひとに振り回されるようになっていきます。

自分が誰かについて発する言葉には、必ず自分自身が持っている性質が現れています。でも、「私は違う」と自分だけを例外にするところから問題が生じていることに気がつきません。

その仕組みも同文舘出版 白石美帆著「ひとを変える魔法」を読めば理解出来る内容になっています。

 

 

フラクタル心理学は

必ず変えたい相手も、自分も、ウィンウィンの状態にもっていきます。

つまり、自分だけは違う、間違っていない、と思う一人勝ちの思考から、心の視野が広がり、相手の気持ちが理解できるようになり、周りに困っている人をつくらなくなるのです。

 

私たちは、子どもの頃から当り前に「自分が、自分が」という我(依存)のルートを持っています。

この自分のことしか見えない、考えない「我」の思考を減らし、相手の気持ちを受入れられるルートを脳に創りあげていくのが「人を変える魔法」ワークです。

 

これをやり続けるその先には、深層意識を最大限活用して、新しい創造の未来が花開いていきます。

 

 

 

 

未来サポートメッセージ

 

 

やりたいことがいっぱいあっても

 

大嫌いな人がいると

 

出来る行動が制限されて、次第に自分の未来まで制限されていきます。

 

学校に行きたくない

仕事に行きたくない

 

無意識に心の中で

「なんて図々しい奴なんだ!」

「なんて無神経なんだ!」

「なんて自分勝手なんだ!」

と相手を裁いてしまい

「あんな嫌な奴はいなくなってしまえばいいのに」と願うので、

自分のほうが学校を辞める、仕事を辞める羽目になります

 

思考は現実化する!100%例外なく!

 

人は自分の中にあるものでしか外側を認識できません。

嫌な相手を外側に見るということは、自分の中にもあるから認識出来るのです。

自分の中にないものは例え目の前にあっても認識できません。

 

自分の中にあると認めたくないものは外側に投影して、相手の欠点としてみるという仕組みがあるのです。

 

外側に投影した相手が目の前からいなくなれば自分に返ってきて、無意識に同じことを自分が誰かにやっています。

なので、自分が相手を裁いたように次は自分自身が裁かれ、学校をやめる、仕事をやめる、羽目になるのです。

 

そんな自分を正当化し、言いわけし続けると、また次の大嫌いな人が現れ、また相手を裁いて下した法に自分自身が裁かれ、行動や居場所が制限されます。こうやって嫌いな人がいるだびに行動が制限されて、自分の夢や目標から遠ざかっていきます。

 

そんな心の仕組みを知らないととっても損!

大嫌いな人がいない世界に乗り換えられれば、自分が自分にかけた制限が外れて、夢は大きく広がります!

 

 

 

未来サポートメッセージ

 

心の中に依存心があると無意識に周囲の人を自分の思い通りに動かそうとします。

そのやり方には

⓵勝った気になって自分のいいなりにする

⓶負けた気になって人のいいなりになる

 

⓵は一見強引で強い立場の人にみえ、⓶は従順で弱い立場の人に見えますが、どちらも相手を自分の思うように動かすやり方の違いにすぎません。

 

⓵は、相手の弱さを攻撃して自分を正当化し、強引なやり方で人をコントロールします。これをやり過ぎると、そのうち反発され、そっぽを向かれたり、反撃を受けたりします。

 

⓶は、相手の強さを攻撃して自分を正当化し、弱い立場を装って人をコントロールするのですが、これをやり過ぎると、弱い立場に甘んじて能力をつけないので、社会的にもどんどん弱い立場になっていきます。

 

⓵と⓶は互いに依存関係でプラスとマイナスのように引き合い、ときには立場を入れ替えながら、相手をコントロールし合いますが、相手が思うようにコントロールできなくなるとストレスとなり、問題だと感じ始めます。

 

 世界には絶対的な悪も善もないのですが、やり過ぎることが悪い人を存在させる心理を創り出します。無意識の中にある依存心には、自分ではなかなか気がつかず、止めることができないので、やり過ぎてしまうのです。 

 

フラクタル心理学の「人を変える魔法」講座

 この自分ではなかなか止められない依存心を、独自のやり方で、自分で気がつき、自分で止めて、相手をコントロールしない新しい関係をつくりだすことが出来ます。無意識の中にある思考パターンを止める時は、表層意識でいくらもがいてもだめで、むしろ無意識の領域に任せる気持ちが必要なのです。

 すると、相手を自分の思うようにコントロールしようとする心理が消え、まずは相手の気持ちを理解しようと思えるようになります。相手も同じようにあなたを理解しようとし始め、そのうちパラダイムシフトが起きたかのように、互いを高め合うウインウインの新しい関係をつくりだすことが出来るようになるのです。

 ウインウインの関係は自立に向かい始めるからこそ体験出来ます。依存関係の中からは決して生まれてきません。

 

 あなたもフラクタル心理学の「人を変える魔法」ワークで依存のタネを手放し、ウインウインの新しい人とのかかわりの世界に踏み出していきませんか?

 

 

輝く未来へサポートするフラクタルメッセージ

いつも異性に悩まされる。

いつもお金の問題がついてまわる。

いつも嫌な上司や部下に悩まされる

 

 まるで右にしかハンドルが切れない車のように、同じような問題に悩まされ、同じところをグルグル回り続けるような人生になるのは何故だろうと思ったことはありませんか?

 

 実は誰しも、無意識であろうがなかろうが、本当に欲しいものは決して手放さないし、繰り返しやっていることの中には自分のやりたいこと(能力)が隠れています。でも、それを、イヤイヤやらされていると感じているあいだは人生が上向かず、同じところをグルグル回るしかないのです。

 

 本当は好きなことだけしていたいのに

 誰もしないからやらざるを得ない

 いつもやりたくないことを押し付けられる

 

 

「やりたくないのにやらされている」という被害者意識をもって、嫌なことから逃げることばかり考えていると、分の中の感情と戦うだけの人生になってしまいます。

 

思考は現実化する!100%例外なく!

 

 不満の感情にエネルギーを使っている限り、次々と不満の元をつくり続けるので、感情に振りまわされる現実しかつくれません。その状態では、結果を得たいとも思わないし、ましてや、達成感を得る人生なんて想像すらしません。ただ外側につくった敵との戦いに明け暮れるのです。

 自分の欲しいものはすでに手に入れていることに気がつけば、人生は一変します。

 フラクタル心理学で、不満をエネルギーにして回るメリーゴーランドから脱出し、創造の世界に飛び出しませんか?

 

 無意識に自分にかけている制限をはずせば、才能に目覚め、社会で活かそうと動き始めます。

 

 

 

輝く未来へサポートするフラクタルメッセージ

 

どんなに頑張ったつもりでもなんだか満たされない。

 

自分のことを好きになれない。

 

 

そんな想いの裏にも、実は親への不満が隠れています。

親への不満が大きいと、親に不満を持っていたように、自分に不満を持ちます。

 

「親は○○してくれなかった」という不満を心の奥に抱えていると、親が毎日地道に働き続けてくれたこと(仕事にいく、食事を作る、掃除洗濯をするなど)に価値を感じられず、それが、自分自身が地道に働くことにも価値を感じられないことにつながるのです。「親は自分の都合に合わせるべきだった」という脳の回路になっているので、自分にとって都合が悪いと感じる度に周囲の誰かに「私に合わせるべき!」と不満を感じ、責めるようになります。これでは、頑張ることが出来ないし、頑張ったとしてもストレスや虚しさを感じます。感情の回路は6歳までにつくられ、その後、理性脳が発達しても、無意識の中に潜って人生を左右し続けます。このままでは、

 

 誰かの望むものを提供することができる能力を身につけることで、仕事になり、豊かに活躍できる社会の中では、何をやっても上手くいかない、という思いを抱えて悩むことになります。

 

 この親への不満のエネルギーを手放すことが出来れば、今まで全く見えていなかった世界が見えてきて、人生は一変します。コツコツと地道に努力することが出来るようになり、自分を愛せるようにもなります。周囲に敵がいなくなり、年齢に関係なく今までやりたくても諦めていたことにも挑戦する意欲が湧いてきます。フラクタル心理学ではこれを「次元が変わる」と表現したりしますが、自分が変われば周囲もフラクタル(相似形)に変わるので、本当に世界が変わったように感じられるのです。

 

 思考は(フラクタルに)現実化する!100%例外なく!

 

ここが見えてくると自分をいかようにも周囲の変化に対応させて、成長させていけるようになります。

 

 

 

 

輝く未来へサポートするフラクタルメッセージ

 

自分軸で生きる!

 

 子どもの頃は、親や周囲が決めたスケジュールで動かされていた覚えがありませんか。

 

 このときの振り回された感を大人になっても持ち越し続けると、いつも周りの都合で動かされている感が消えません。

 

 思考は現実化するので実際その通りになり、自分がやりたいことが出来ない不満を抱いたまま周囲の都合に合わせていきることになります。それだといつまでたっても夢は叶わないし、それを周囲の誰のせいにして不満だらけの人生になってしまいます。

 

 大人になったら、これを意識的に自分軸(自分のスケジュール)で生きるようにきり変えていく必要があるって知っていますか?

それは、自分でやり始めないかぎり勝手には切り替わりません。

自分の中に軸(目標、目的)が決まらないと始りません。

 

まずは

自分の未来への目的や目標を決める!

決めたら期限を切る!

自分で決めたルールを守る!

完璧主義をやめる!

 自分を裏切らない自信がついたら人生はどんどん豊かになっていきます。

 

 

 

輝く未来へサポートするフラクタル心理学講師の松岡千賀子です。

 

 フラクタル心理学の脳の新しい使い方は、自分だと思っている意識と、自分には見えない深層意識を車の両輪のように使うことです。

 

それは今の自分がイメージ脳を駆使していきること。

 

私たちは普段でもイメージ脳を無意識に使っています。

 例えば「梅干し」と言葉にするだけで、脳には梅干しのイメージが浮かび、自然に唾液が出てきます。

身体が勝手に反応するくらいイメージの力は大きいのです。

 

実はこのイメージの力で私たちは人生を創造しています。

 怖いことが起きたから恐れるようになると思っているかもしれませんが、実は違います。

 先に恐れがあるから、「こうなったらどうしよう!どうしよう!、、、、」とイメージを繰り返し、恐れの思考を大量に貯めるから、怖いことが現実に起きるのです。

 

必ず思考が先なのです。

 

問題は無意識に怖いこと、嫌なことをイメージしてしまうこと。

 イメージするだけで身体はまるで今自分の身に起きたことの様に反応します。そのイメージを繰り返すのでいつか自分の現実に引き寄せてしまうのです。

 

 こうならない為のイメージ脳の使い方は、目標、目的を決めること。

 自分の何年か先の目標を決め、それを繰り返しイメージすることで脳はそっちを現実化しようと動き出します。未来の自分と今の自分とのギャップを埋めることに脳はフル回転し始めるのです。すると今何をするべきかのアイデアが浮かび、それを実行することで、車の両輪のように脳は人生を創造し始めます。

 

 これが、イメージ脳を駆使して生きること。目標を決めてもアイデアを実行しなければ、脳はまたすぐに恐れをつくり始めるのです。

 

輝く未来へサポートするフラクタルメッセージ。

 

気がつくと自分にダメ出しばかりしていませんか?

ダメ出しは今の自分をジャッジしているのと同じ。

自分はこれ以上成長しないと決めつけることなのです

つまり自分の未来の可能性を自分で潰す思考なのです。

この思考が自分に制限をかけていることに気がつきましょう。

 

人は努力をしたくなくなると自分の未来の可能性を信じられなくなり、自分へのジャッジが始まります。

どうせダメに決まっている。

上手くいきっこない。

人生なんてこんなもんよ。

私って駄目な奴。

どうせわたしなんか

 

そういいながら努力することから逃げる言い訳にします。

それだけではなく、脳はフラクタル構造(相似形)なので、自分にダメ出しする人は必ず周囲の人にもダメ出しするようになります。つまり、周囲の人の成長を信じることが出来ず、ジャッジして今の状態に決めつけてしまうのです。

 

子どもに「だからあなたはダメなのよ!」

夫に「あなたなんかに何も期待していませんから!」

 

それは相手を今の状態から成長しない、と決めつけることと同じ。未来を制限して見ていると相手はその通りになっていきます。思考は現実化するからです。

 

相手の成長を信じられるかどうかは、まず自分が自分の未来を信じて努力出来ているかどうかなのです。

自分の未来を信じて何も行動していないのに、夫やこどもだけは成功して欲しい!と願ったとしても、それは上手くいきません。

 

思考は現実化する!100%例外なく!

 

その思考とは自分から発せられる思考のこと。

自分の中にないものを外側に見ることは出来ないのです。

自分が未来を信じて努力していくから、周囲の人の未来もきっとよくなる!と信じることが出来、努力して成長する人を外側に見るのです。

 

輝く未来へサポートするフラクタルメッセージ

 

脳にはミラー細胞があって、見ている環境を真似るということがわかっているそうです。

 

どんなに自分を変えて成長しようと思っていても、毎日目にする環境が変わらなければ脳は同じところにいようとする、ということなのです。そうはいっても今いる場所を引っ越すわけにもいかないと思われるかもしれません。

こういうとき今すぐできる環境の変え方は、掃除です。

つまり、自分を成長させたいときは自分が見ている家の中の環境を整えるのが手っ取り早く効果的なのです。

 

 

先ずは整理整頓していらないものを捨て、必要なら新しいものをいれる。次に、見えている家具の配置を変え、廊下に置いてあるものを取ってスマートな動線を確保する。次は掃除をしてゴミや埃をとる。その次は、見えている家具や廊下などをぴかぴか光るまで磨く。

 

もちろん最初から全部を目指す必要はありません。出来るところから始めるだけで、とても良い影響があります。

 

なぜ良い影響があるかをフラクタル心理学で説明すると、環境と心理はフラクタル(相似形)だからです。

 

フラクタル心理学を学び始めると電気製品が壊れ、新しいものに取り換えるということが頻発します。断捨離も何度も繰り返してやることになります。それくらい心理が急激に変わるからです。自然と掃除の仕方も変わっていきます。

 

とくに、家の何処かの箇所が壊れているけど、ほったらかしにしているような場合は要注意。

フラクタル心理学では家と身体は相似形なので、早く直さないと身体に病気をつくるといいます。

 

もし、夫の出世を望むなら、

子どもの社会での活躍を願うなら、

自分の輝かしい未来を望むなら、

整理整頓して、掃除した場所をぴかぴか光るくらいまで磨く!まずは手の届く範囲から始めてみてください。

効果絶大ですよ!

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (31)最終章

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2020年01月07日

 

(31)最終章

 しばらくは、自分の中からインナーチャイルドが姿を消してしまったかのようだった。これまで自分を動かしていたワクワクするエネルギーや、自負というものが消えてしまった。華やかな色彩がある感情の世界から抜け出て無色透明の無機質な世界にいる気分だったが、そのせいで自分にとって当たりまえだった神職62代という、自分の骨格だと思っていたことさえ思考パターンだったのだと気がついた。ドラマの水戸黄門のように、神職62代を印籠の様に掲げて、世間に「はは~」とひれ伏してほしい、それをもって世間を渡り歩きたいという、傲慢な思考があったから社会に出ていくのが怖かったのだ。いつまでも穴の中に籠っていたい最大の理由が、それだったのだと気がついた。

 「特別な存在」という思いは、それほどまでに強く私の人生を支配していたのだった。末子に生まれ、「まだ小さいから」と特別扱いされたことが、この勘違いの思考を余計に深めたのだろう。それがわかれば龍も神話も伝説も、もう必要なかった。このブログを書き始めた頃の、遠くの花火に憧れる感情や、幻影への焦りは消え、やっとコツコツと能力を積み上げ、自分の足元の現実を動かすことだけに興味が動き始めた。

 

 それにしても、これまで散々インナーチャイル脳にダメ出しばかりしてきたが、インナーチャイルドは完璧に望み通りの人生を私に与えていた。いつでも読みたいだけ本が読め、片手間に漫画を描き、好きな趣味の生け花や園芸を楽しみ、芸術に日常的に接して、毎年海外のリゾートホテルで家族とともにダイビングを満喫し、経済的な不安を感じることなく、芸術家としての地位のある義父を中心にユーモアと笑いのある家族と複数のペットに囲まれた生活。小さいときに憧れた生活を完璧なまでに手に入れていた。それでもそんな生き方に満足できず、次の新しい生き方を模索していた私にフラクタル心理学を現実化したのだから、完璧で非の打ちどころがなかった。このブログを書いたことで、自分のアイデンティティまで失ってしまったと感じた瞬間もあったが、気がつけばなに一つ失っていないばかりか、自分がいかに多くのものを手に入れているかに気づき、唖然とする思いだった。

 

 そう思うと、あれほど修正を繰り返し、ダメ出しばかりしていたインナーチャイルド脳に感謝の念しか湧いてこない。フラクタル心理学で表層意識と深層意識が車の両輪となって人生を創造する新しい脳の使い方を学んだが、むしろ、その主導をとるべき表層意識(理性脳)の働きが全く足りていないじゃないか!とインナーチャイルド脳に申し訳なくなるのだった。

 

 

 小さい頃から自分の内側に神がいるとずっと信じていた。その思いはこれまでの人生で一貫していたが、それを実感することが難しかった。

 

だが、今まさに深層意識は神だと実感していた。

 

 本当は、だれもがインナーチャイルド(子ども心)の望むものをあたりまえに手に入れている。手に入れないでいることを絶対に許さない、と言いかえてもいい。インナーチャイルドとはそういうエネルギーだからだ。もし手に入れていないと感じるとしたら、感情の自分に表層の自分が誤魔化されているだけのことなのだ。心の奥にしまったブラックボックスの蓋をあけて自分の感情を正直に見ることが出来れば、欲しいものは全て手に入れていたことがわかるだろう。

 

 

 私は、深層意識との信頼関係を築くためにこのブログを書いたのかもしれない。一色先生が言われていた「脳がコネクトする」というのはこういう意味だったのだろうか。

 

 フラクタル心理学のいう、表層意識と深層意識が車の両輪となって人生を創造するには、自分(表層と深層双方向)への信頼がなければならないのだ。深層意識の中にブラックボックスがあれば、どんなに頑張っても、いつどんな不幸に巻き込まれるかわからない不安を消せないし、表層意識がグズグズしていては、いつまでたっても夢や目標に向かって進むことができない。

 

 やっとスタート地点に立った気分だった。今よりもっと先を見据えた自分が内側に存在するかぎり、これからも現状の自分への不満は持つだろう。それは成長したい自分がいるかぎり当然であり、むしろ先に進むための原動力なのだ。今はそれを叶える力が内側に存在することを知っている。欲しいものは絶対に手に入れるインナーチャイルドのエネルギーだ。今後は、深層意識に映る本体の自覚をもって「今」を生きよう。そうすれば次々と創造の扉が開き、まだ味わったことがない感動をインナーチャイルと共に味わえるはずだ。

(終わり)

一元でとらえれば、日本神話の岩戸開きとは、自分こそが太陽(すべてを生み出すもと)だという自覚に目覚めることなのかもしれない。

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (30)過去が書き変わるⅡ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年08月26日

過去が書き変わるⅡ

 深層意識の中のブラックボックスをひっくりかえすことは、自分にとっては見たくもない自分の醜さに気がつくことでもある。見ることを抵抗する感情があるということは、強迫観念がまだあるということだ。自分が持っている強迫観念にはなかなか気がつけない。だが、強迫観念がある限り、ものごとを中庸で見つめることができないのだ。内側に怒りの感情があるので、いつも曲がった受けとり方をしているにもかかわらず、それが当たり前なので自分では気がつけない。そして、膨大なエネルギーを注いで、怒りの基になっている信じ込みを現実化してしまう。それでは、自分の人生をコントロールできないのだった。

 

 今回ブラックボックスをひっくり返して最後にみつけたのは、父を恐ろしいと感じる感情だった。小さい頃、父に震え上がっていた記憶が蘇ってきた。それは別に記憶の彼方に埋もれていたわけではないのだが、感情が伴わない記憶の一つとしてしか見えていなかったのだ。

 

 小さいとき、一つ上の姉は頑固で、薬を決して飲もうとしなかった。そういうときに父は、泣き叫ぶ姉を2階の窓から足を持って逆様に吊るしたり、お灸をすえたりして、何とか言うことを聞かそうとしていた。その様を近くで見て、泣き叫ぶ姉の声を聞きながら、私は父の剣幕が恐ろしくてしかたがなかった。父が力ずくで弱い者を思い通りにする悪代官のように見えていた。

当時、母が父のことを「江戸の敵を長崎で討つ」人だと言うのを記憶しているが、それは私が決めたやり方だった。

 自分の中にある頑固さを姉に見ていた私は、いつ自分が姉と同じ目に合うかわからない恐怖を感じていた。そして「江戸の敵を長崎で討つ」ことに決めたのだ。元々は自分の欲望を押さえられないところから始まった父のお金を盗ることも、いつの間にか復讐にすり替えていた。神職として世間体ばかリ気にする父の娘は泥棒なのだ。それは、お金を出す度に正座させて説教するケチな父、大きくなるにつれて自分を可愛がらなくなった父への復讐でもあった。そこへいつのまにか、姉の為の復讐という大義名分まで加わっていた。だから姉にいったのだ。「父のお金を盗んでいる」と。姉は喜んでくれると思ったのに、喜ぶどころか非難の目を向けられて、当時の私は愕然としたに違いない。だが、姉にしてみれば、勝手に仲間扱いされて、とんだとばっちりを受けた気分だったことだろう。

 

 家を継ぐと言ったときも、自分の中では姉を父から助ける為だったが、本当は父への復讐だったのだ。江戸の敵を長崎で討つために着々と父を裏切り、落胆させる思考を貯めていたということになる。もちろん無意識なのだが、深い心のどこかで、父に復讐しているのかもしれないと感じている自分も確かに存在していたのだ。

 父への恐怖が底にあったから、いつも上司が怖かったのだ。怖いという実感はないが、苦手だった。思いどりに周りが動かないと感情的になり、力ずくでも従わそうとする性格は自分の中にもあるからこそ、父の中に見ていたのだ。姉達はまた違う性格を父に重ねて見ていたに違いない。何度修正してもなかなかたどりつけなかった元の出来事にたどり着き、姉の泣き叫ぶ声を聞き、父の剣幕を恐れて震えている子どもの自分を暗い場所からやっと救い出すことが出来た。

 

 そもそも父が支配者に見えていたのは、私があまりにも依存的だったからなのだ。父は、祖父が病気になってからは家族7人を父1人で養っていたのだ。それがどんなに大変なことか、今なら理解できる。巨大な依存は支配の裏返しなのだ。相手が支配者として映るとしたら、実際に支配しているのは依存している者の方だ。それでも父は逃げずに、日々黙々と働き続けてくれたのだ。それこそが父の愛なのだが、それを当然のように思う依存心があるから、父が支配者のように見えていたのだ。

 

 今の私は、父の深い愛に感謝の念しかない。底にぬぐえない恐怖があったときも、父が大好きな自分や、父に愛されていると実感したくてたまらない自分、父が私を愛してくれているとわかっている自分もいたのだ。だから父を何度も裏切って、父の愛を試していられたのだった。

 

 1,2年前、姉に当時の父とのことを覚えているか聞いたことがある。すると「まったく記憶がない」と言われ、驚いた。つまり、これは私だけの記憶なのだった。

 今となっては、真実はどこにあるかわからない。そもそも真実などというものはないことを知っている。記憶の大部分は感情がつくっている。その感情が書き変わるとき記憶も書き変わる。つまり、過去は簡単に書き変わるのだと今では経験から知っている。

 少し前、「当時の相談内容は覚えていないが、2、3年前にカウンセリングに来たことがあります。」という方が、2度目のカウンセリングに来られた。今回は職場の人間関係の相談だった。その方が帰られたのち過去の内容を書き留めたメモを読み返して、驚いた。初回では「死にたい」とまで思い悩んでおられたからだ。だが、もうその記憶が本人にないとしたら、それは事実といえるのだろうか。

 このブログを書くことを一色先生から勧められた時、「私(一色先生)にはもう(過去を振り返って)書けない。忘れたから」と言われたことを思い出し、記憶が書き変わるとはそういうことなのか!と改めて驚いた出来事だった。

 

 「自分は悪い子だから、いい子だと証明しなくてはならない!」という強迫観念がなくなったとき、まるで流れが止まったかのように心が凪いでいた。もう自分を大きく見せる必要も、自分の中に神を探す必要もないのだ。重いローラーをやっと肩から外して、次に何をすべきかわからず、佇んでいるような気分だった。これまで遠くの景色ばかりを追っていたが、見えるのは自分の足元の愛おしい現実だった。

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る(29)過去が書き変わる

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年07月19日

過去が書き変わる

 

 昨年から今年にかけて、「ボヘミアンラプソディー」という映画が大ヒットしたが、あの曲の歌詞をご存知だろうか?

かいつまんで書けば

「お母さん、僕は人殺しをしてしまった。人生は始まったばかりなのに、もうだめにしてしまった。ごめんなさい。、、、いっそのこと僕なんか生まれてこなければよかった、、」

 そんな内容の歌詞が、あの切ないメロディーに乗って歌われているのだ。クイーンは私が高校1年生のとき、大ファンだという友人から「凄くいいから聞いて!」と次々とレコードを渡されて、面食らいながら聞いた懐かしいグループだった。当時は確かに、映画の題名に使われたこの曲が、一番印象に残る好きな曲だった。

 映画を見ながら私は、この歌詞のような感情を自分の内側に持っていることに気がついた。それは、「取り返しのつかないことをやってしまった!」という子どものときの感情だ。

 

 

 子どものとき、私は神(父)を自分の方から裏切っていた。それは祭りで子どもたちに配るために父が用意していたお菓子を、父の目を盗んでは食べていたのだ。小学校に通うようになると、お菓子はお金に変わった。ちょっとづつくすねては、お菓子や文房具を買っていたのだ。そのことで父から怒られることはなかったので、気がついていたのかどうかも、今はもうわからない。

 父はお金に関しては厳しかった。母が生活費を要求する時も、子どもが学校から持ち帰った集金袋を渡すときも、父の前で正座して「お願いします」と頼まなくてはならなかった。父は、「お前たちは使うことしか考えていない!」と、ひとしきり説教しないとお金を出してくれなかった。「父はケチ!だからお金をくすめてもかまわない!」と泥棒の自分を正当化する理由にしていた。ある日一つ上の姉が父がケチだと文句を言うのを聞いて、思わずお金をちょっとづつくすねていることを言ってしまった。姉も賛同してくれると思ったのだが、その時の姉の目を見た瞬間、そのとき姉が何をいったかも、どんな目をしたのかもまったく思い出せないが、とにかく自分がやっていることは、絶対にやってはいけない悪いことなのだと一瞬で自覚した。その日以来きっぱりとその行為は止まり、姉とそのことについて話した記憶もない。ただ、自分の中に深い罪悪感が残った。

 その罪悪感から「私はこの家から絶対に出ることは出来ない。」という呪いを自分にかけたのだ。本当は、この山の中から出たくて仕方がなかった。もともとは都会に出て派手な生活に憧れるような子どもだったのだ。結婚して家を出る決心をしたのは、、このまま結婚も決まらずにこの家に居続けたら、心底父を憎むようになると感じたからだ。それでも、神職の仕事は辞められなかった。これは父と神様への罪滅ぼしだということを深いところでは自覚していた。「絶対に辞められないよ。」と父も言っていた神職の仕事を辞めることが出来たとき、やっと自分の罪滅ぼしは終わった(許された)と感じたのだった。

 だが考えてみれば、その罪滅ぼしの気持ちがあったからこそ、浪費癖があり、本来派手好きで、努力や辛抱が嫌いな自分が、曲がりなりにも世間の型にはまって生きることが出来たのだ。好きなように生きていたら、今の自分はない。25年も神職という、私生活まで型にはまることを要求されるような生活を送っているはずがなかった。嫁ぎ先で、6人家族の家事や育児をやってこられなかっただろう。

 

 物事には裏と表があり、自分にとっては嫌で仕方がなかった経験が、次は自分を助けてくれた素晴らしい経験に変わる。すると、それまで素晴らしいと思っていたことが、マイナスの意味合いに変わるのだ。表と裏はいつでも碁盤の目の様に入れ替わる。それは現在の自分が決めているのだ。つまり、過去はいつでも現在の自分の捉え方次第で書き変わるのだった。ということは、人生に無駄な経験はないということなのだ。

 

 

 

 

 深層意識にある感情脳の中には、恨みと呪いが詰まったブラックボックスが存在する。表層意識はその存在を認めようとしないが、うすうす気がついているので、いつ箱の中身が現実に浮き上がってくるかもしれない不安から逃れられない。霊や悪魔が存在するとしたら、自分の深層意識のブラックボックスの中にいるといえる。一度払ってもまた次が現れるのはブラックボックスをブラックボックスのままにしているからだった。

 感情豊かな世界は一見素晴らしい世界に見える。優しさや思いやりに溢れ、弱い人を世話し、見守る、義理と人情の世界だ。だが、それが素晴らしいものに見えるのは最初だけで、すぐに際限のない要求が始まり、要求が通らないと恨む。自分を正当化する戦いに明け暮れ、生産する側に立つための努力からは逃げる。それは、子どもが家庭の中でしか通用しない我儘を言うように、内輪の中だけで、人の世話やいざこざばかりを相手にし、社会で活躍することからは目を反らしている状態なのだ。それこそが、ブラックボックスの箱が開いた状態であり、感情を使うとはそういうことなのだ。

 

 

 フラクタル心理学は、そのブラックボックスを開けて光をあてる。私がこのブログを書いているのは、自分の深層意識の中のブラックボックスの中身を表層意識の前に取り出し、確認する作業だったのだ。どんな恨みも呪いも、最初につくった時点に戻らなければ解消出来ない。自分では気づかない深い意識の中でまだ恨みとして存在し続けているのだ。私はこのブログを書くことで、様々な脅迫観念からインナーチャイルドを解放してきたのだった。子どものときの盗みという失敗から、神の様に完璧にならなくてはならない!という強迫観念を持ち、これまでずっと自分の中に神を探し続けてきたのかもしれない。その底には常に自分は罪人だという呪いがかかっている。そう呪縛することで、我儘で欲望のままにやりたいようにするインナーチャイルド(子ども心)の自由を縛っていたのだ。その縄を解いても、子どもがやりたいように行動せず、素直に大人の言うことを聞けるようになった時点で、呪縛は解ける。解ければ、もう見えない何かに怯えることはないし、神の様に完璧になろうと膨大なエネルギーを使うこともないのだった。

 

 人はいつもなにか出来事が起きると、まず感情で反応する。それは、ものごころついたときから当り前に使ってきた脳の回路だからだ。当り前のことは無意識の回路になっているので、意識することすらない。だが、その回路を意識的に切り替えないと、同じような出来事を繰り返す輪の中から抜け出すことが出来ない。クルクルと自分の前に同じような人や出来事が繰り返し現れるのは、出来事に感情で反応している脳の回路があるせいだと、今更ながらに気がついた。

 

 私がずっと願ってきたのは、人生を自分が望む方向へ創造して生きることだ。それは感情を感じながら生きていたのでは手に入らない。感情を使う前に理性を使う新しい回路を意識的につくる必要があるのだ。

 所詮感情とは、起きた出来事を受け取る、消費する脳なのだ。感情を感じることで消費にエネルギーを使っていたのでは、創造にエネルギーは使えない。そもそも、起きた出来事の入口と出口とでは、知覚の反転が起こり、真反対の感情を感じているのだから(〇〇された!は自分が先に〇〇したから)。感情を真に受ければ、自分の望みとは真逆の未来しか手に入れられない。

 自分が望む未来を創り出す為には、日々目標をたて、コツコツ行動し、達成感を積み上げる必要がある。その一日の積み重ねが、フラクタル構造で夢を叶えた未来を創り出すのだから。

 過去のカウンセリングで一色先生が、「常にここ(前頭葉)に神(理論)をもってくるのよ。」と言われた言葉の意味が、やっと「でも、、」といいたくなる感情を伴わずに腑に落ちた。

 

この世界はフラクタル構造だからこそ一日一生を生きる意味が理解できる

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る(28)感情脳の正体

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年06月18日

 

猿脳(感情脳)の正体

 

感情を感じる為に生れてきた!

 以前の私は感情を満たすことが幸せにつながると信じていた。だが、「感情脳は猿くらいの知恵はあるがあまり良いものではない」と聞いたときのショックは大きかった。それまでの自分には、感情を感じない状態など想像もできなかった。もし、そういう状態の脳が一般的だというなら、私はジャンキー中毒ならぬ感情中毒ではないか!?と、当時は思ったものだ。それくらい常に感情を感じていたかったし、感じていた。それに、フラクタル心理学では過去に無駄な事はしていないと学ぶではないか。だったら、感情を感じる人生も無駄ではなかったはず。人間よりも猿の群れの方が多い自然の中で育った子ども時代にも何か意味があったはずだ、とこだわり続けないと、それまでの人生を全否定されたような気持ちになるのだった。

 だが、この納得できないことに「でも、、」とこだわり続け、自分を全否定されたと感じるのが、自分の持っている思考パターンだとはまさか思いもしなかった。「でも、」と思うことで、納得できない出来事を現実化し、自分を否定された感情を味わい続けていたのだ!以前書いていたアメブロ「モンキートレーナーたまこ」も、そんなこだわりから書き始めたのだった。当初「私サルですけどそれがなにか?」という題にしようかと思っていたが、さすがにそれでは挑発的だと改めたのだ。この、反発すると挑発的になるのも私の心理パターンだったのだ!

 そして、難しいことに直面すると、「出来ない!無理!わからない!」と思う思考パターンがあることにも、最近はっきりと気がついた。これも、いつも当り前に空気の様に思考していた。苦手なことに直面すると「出来ない!無理」だという感情が動くから、頭に血が上って失敗し、「誰も私を認めてくれない!」という感情を味わっていたのだ!

 なんというバカバカしさだろう。自分の持っているパターンには、なかなか気がつくことが出来ない。特に空気のように馴染みのある感情ほど、修正したつもりになっていても手放しきれていないことが多い。

 自分を全否定されているような惨めな気持ち、誰も認めてくれないという悲しい気持ち、それの何が悪い!と思う反抗的な気持ち。どれも生まれた時から上の姉妹には何をやっても叶わず、いつも命令される側にいる末子にありがちな思考パターンだと分かる。自分を憐れんでいる内はまだ保護を手放さず、コツコツ努力して能力をつけ、責任をとる生き方から逃げている。この感情を味わい続けることで何を現実化しているかを理解し、心底バカバカしいと思えるようになって初めて、心理パターンを手放す気になれるのだ。

 自動操縦の感情は、赤ちゃんから小学校に上がるころまでの意味付けのままで動いている。なので私は、赤ちゃんのように優しく扱われることが好きだし、フワフワとした柔らかいものが大好きだ。反対に、厳しい、キツイと感じることからは逃げようとする。だが、筋肉も圧がなければつかないように、成果を出すには必ず圧(プレッシャー)が必要なのだ。この圧(プレッシャー、ストレス)が子どもの頃に「悪いもの」に意味付けされていると、修正してもなかなか動き出せない。「やってもやってもきりがない」と思うのは、私が諦めるときの思考パターンだ。高校を卒業する頃には「私はこの藤尾の山の中からは絶対に出られない!」とまるで見えない鎖に繋がれているかのように感じていたことを覚えているが、そう思うことで、プレッシャーのかかる世界に自から飛び込もうとせず、居心地の良いぬるま湯のような現状の中にずっと居続けようとしていたのだ。

 もう一つ、私の中では、自立=見捨てられる=猫との別れを意味していた。以前、カウンセリングを受けたとき、自分の方から唐突に「猫だけは、まだ手放せません!」と言ったことがある。自分でもなぜそんなことを言ったのか不思議だった。猫は私にとっては孤独を癒してくれる単なるペット以上の存在だった。子どものときには忙しい母の代わりに猫がいつもそばにいた。姉達がしだいに一緒に遊んでくれなくなっても、猫を相手によく遊んでいた。独身時代にも猫を飼っていたが、貴重な彫刻が沢山置いてある嫁ぎ先に連れて行くことが出来なかったことが、何よりも辛かった。結婚して初めて実家に顔を出したとき、猫を抱きしめて「ごめんね」と、泣いたことが思い出される。次に今の猫を飼うことになった時に、「もう絶対に見捨てたりしない!」と心に誓った。それが、カウンセリングのときの唐突な言葉になったのだった。

 私は、置いて行かれた猫に子ども時代の自分を投影していたのだ。今思えば、自分の中に自立=置いて行かれる=見捨てられる、という信じ込みがあった。どうせ見捨てられるなら、代わりのもの(猫)に慰めてもらう、と決めたのだった。そういえば、長女が結婚して家を出たときも、次女が高校卒業と同時に家を出たときも、見捨てられたような気持ちがしていたのだった。こんな信じ込みがあると自立しようとすら思わないものだ。かりに表層意識が自立しようとしても、深層意識の中の見捨てられたと思っている自分(インナーチャイルド)が、それを許さないのだ。

 だが、実際は見捨てられたわけではない。自分が親の手伝いを無視して、部屋で猫とゴロゴロしていたかっただけなのだ。ある意味、手伝いを求める親や姉を無視して、猫を口実に遊んでいたのだから、見捨てたのは自分の方なのだ。

 面白いことに被害者意識を抱くとしたら、必ずその前に加害者の自分が存在する。被害者意識とは加害者の自分を誤魔化す為の感情エネルギーなのだ。つまり、被害者の感情が動く人ほど、内側に矛盾する加害者のエネルギーを持っている。そして、それを誤魔化す為に膨大なエネルギーを使っている。フラクタル心理学を学ぶと罪悪感に囚われる時期がある。だが、罪悪感を抱いている内はまだ本当に反省して加害者を止めたわけではない。罪悪感とは、加害者の自分に気がついているという段階にすぎないだからだ。これまで人から得ていたエネルギーを、自分を動かして得られるようになって初めて、罪悪感から解放されるのだ。

 

 

 実は、フラクタル心理学でも人生の目的は感情を感じることだという。だが、その感情は、達成感という感動を伴う感情で、幼児の頃の被害者意識を元にした波のように揺れ動く感情ではない。怒りを土台にしたこの感情は、周囲を動かして欲しいものを得ようとするので、自分の思い通りに動いてくれるものは善で、そうでない者を悪にして、正義の戦いに明け暮れる。だから、いつまでたっても自分自身の人生に集中して、目標を達成し、達成感を味わう方向へ向かえないのだ。

 

 人は外側に凄い人を見ると自分も上に向かっていきたいと願う。「いいなあ、素敵だなあ」と感じるのは上に行こうとするエネルギーだ。夢を持つのも、目標を決めるのも上に行こうと思うからだが、そこに行くまでの努力の過程で感情を使うと、真逆の方向にエネルギーを使うことになる。楽しいことや面白いことばかりに目を奪われ、人間関係のゴタゴタをつくっていく。

 

 社会に序列があるように見えるのは、自分の中に努力や能力がある人を認め、敬う思考があるからだ。一方で、平等で競争がない社会がいいと思うのは、努力が嫌いで能力がなくても、能力がある者と同じに扱え、と思う思考があるからだ。これも真逆のエネルギーなので、前に進もうとすると心に葛藤を生み、進むことが出来ない。

 

 

 フラクタル心理学の素晴らしさは自己完結に向かうことにあると思う。この理論を体系的に学ぶと、この世界は100%自分が創っているのだから、答えは自分の中にあると分かって来るのだ。なぜ作ったのかわからなければ、LDPという手法で、自分で答を見つけ出すことが出来るし、この世界はフラクタル構造なので、どこからでもヒントを得ることが出来る。だが、感情を主に使ってきた私のようなものが突然自己完結の言語を聞いても、最初のうちは宇宙人の言葉のように理解出来ない。しかも翻訳すると、被害者だったはずの自分が加害者になってしまっているのだから、狐に化かされたような気分になったものだ。

 これは、表層意識と深層意識とでは思考の量が逆転するせいだ。それは、鏡で見ると自分の姿が左右逆に映って見えるようなものだ。だが、そんなことを聞いたとしても、実際目で見たものしか信じようとしない表層意識は、なかなか納得しない。自分では「1パーセントくらいはあるかもね」と思う意識が、実は深層では大半を占め、「100%そう思っています!」と感じていても、深層意識に入ると2,3パーセントにすぎなかったりする。すると現実化するのは、ちょっとくらいは感じてたかもね、の方なのだ。そのときに、人生は自分では制御不能で、思いもかけないことが起きると感じるのだ。

 フラクタル心理学で深層意識の捉え方を学ぶと、理論通りに理路整然と思考が現実化していることに納得出来るようになる。今どんなに嫌な思いをしていても、過去に自分が何を望んだから今こんな気持ちを味わっているかに気がつけるようになる。そして、気がつくことができれば、変えることも出来るのだ。

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る(27)無駄な経験はないⅡ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年05月22日

無駄な経験はない2

 フラクタル心理学にLDPという、感情を基にして自分の進むべき方向が分かるという独自の手法がある。これをやるとき、秋祭りの神輿の巡業をいつも思い出す。祭りに参加したことがあるなら、神輿の一番前を歩く、天狗のような長い鼻のお面を被った猿田彦命という神様を見たことはないだろうか。神輿は祭神を乗せて、何か所かのお旅所を巡って最終的に元の神殿に帰るのだが、猿田彦命はその先頭に立って神輿を道案内する神様だ。実家の神社に祭神の一柱としても祀られている。秋祭りの神輿の巡業には毎年神職として参加して、猿田彦命のすぐ後ろをついて歩いたものだった。

 この神輿の巡業は、LDPそのものじゃないか?といつも思うのだ。先頭で道案内をする猿田彦命は、感情を上手に操って神輿を進むべき方向(目標)に向かわせるフラクタル心理学を学んだあとの表層意識のように私には思えるのだ。神輿を担ぐのは感情脳のエネルギーなのだが、感情脳は子どもの脳なので根気がなく、飽きやすい。それでもお祭り騒ぎが大好きなので、自分に何の責任も生じないニュースやスポーツイベントなどで盛り上がり、他人の神輿を一時的に担いだ気になってばかりいる。もし自分が乗った神輿を担いで次の目標(お旅所)までいけと言われれば、「つまらない、退屈だ、キツイ、シンドイ」などと言って抵抗するのだ。だが、他人の神輿をいくら担いだふりをしても、うっぷん晴らしになるくらいで、自分の現実には何一つ積み上らない。自分の乗った神輿を次の目標(お旅所)まで担いでこそ、達成感が得られる豊かな人生になるのだが、表層意識にフラクタル心理学の一元の理論が入っていない場合、外側に見えるものばかりに心を奪われ、自分に集中することが出来ないのだ。

 

 そもそも感情とは地縛霊のようなものだと思う。感情的になると、地球に呪縛された月のように、いつも同じ面だけを固定して見てしまう。強迫観念で行動するので、抽象度が低い視野の狭い状態だ。一歩目線を上げて別な角度から全体を見るということが出来なくなるのだ。フラクタル心理学を学んだ表層意識は、LDPや誘導瞑想で感情脳に一つ高い目線を与え、そのパターンとなっている固定された感情の呪縛を解くことが出来る。すると、これまでとは違う広い視野ができ、別の行動がとれるようになるのだ。そうやって呪縛を解いた感情エネルギーが増えていけば、自分を乗せて目標まで辛抱強く神輿を担ぐようになり、やっと達成感を味わう人生に変わることが出来るのだ。

 

 

 フラクタル心理学では、私のような末子は、保護が欲しくて末子を選んで生まれて来るという。末子にとっては保護=愛なのだ。確かに振り返ってみれば、私のこれまでの人生はいつも大きな後ろ盾に守られていた。大家族の末子として家族に守られ、神社の娘という家柄に守られ、神職の父に仕事で守られ、自営の夫に金銭で守られ、成功した彫刻家の義父の肩書に守られているように、常に誰かの後ろ盾があった。つまり、保護をいつも得ていたのだった。

 私の場合、保護は空気と同じくらい、努力しなくても常に手に入れている。つまり、保護を得ることが自動操縦になっているのだ。だが、保護されていると限定的な自由しか手に入れられないし、地位も手に入らない。だから自分にはない自由や地位が欲しくなり、現状に不満が生まれるのだが、保護を手放さなくてはそれらが手に入らないことがわからない。しかも、空気のようにいつも手にしているので持っている自覚すらない。両手に保護を抱えたまま自由や地位が欲しいと思うから、常に葛藤を繰り返すしかなかったのだ。守られることが愛になっている末子である私は、長子のように責任をとって地位を得れば誰からも守ってもらえなくなると感じるし、中間子のように自由に行動すれば一人ぼっちになってしまうと感じる。だから一旦手に入れようとしても、やっぱり愛がない!と途中で放り投げてしまうのだった。

 そもそも自分の中に「保護を得る」という感情(思考)があることにすら気が付けないのだから、表面上の心(表層意識)で懸命に自由や地位を求めて行動しても、地表が地殻に逆らって動くようなもので、そのうちずれた分だけを元に戻すような大きな出来事が起きて(思考の地殻変動が起きて)、元の状態に引き戻されていたのだった。それを繰り返す度に頑張ることに疲れ、少しづつあきらめの人生に向かっていく。

 それがいつも問題を起こしていた。ものには必ず表と裏があるように、同じ思考を続けていると裏面ばかりが見えてくる。保護ばかりを得ていると、そのうち保護を束縛と感じるようになり、自由を求めるようになる。そもそも大人になったら自立する必要があるのに、いつまでも誰かの保護を得ようとすれば、それが親であっても、相手にとっては大変な重荷になってくるのだ。砂糖や塩でも大量にとると毒に変わるように、思考も大量になると出世魚の様に呼び名が変わり、誰かを束縛して利用していることと同じになる。それでも保護を求め続けていると、そのうち「自分の利益の為に人を利用するな!」と言いたくなるような、お金にならない行動ばかり要求する誰かに自分自身が振り回される人生になっていく。もっと大量になると、それは支配される恐怖へと変わっていく。保護に限らず、同じ感情に呪縛され続けると最終的にはそこに行き着くのだ。今自分が味わっている感情こそ、実は周囲に自分が味あわせていたのだと気がつくことが出来れば目の前の問題は解決するのだが、感情の呪縛を解かない限りそこに気がつくことは出来ない。

 

 

 だが、保護を得る為に手に入れた能力もある。保護を得る為には人の機嫌を取る必要があった。場を和ませたり、人の顔色を読んだり、相手によって態度を変えるのも、話題を振って笑いをとるのも無意識でやっていた。それは少量であれば社会で役立てる能力になる。だが、無意識ということは自動操縦なので自分では止めることも加減することも出来ない。どんなこともやり過ぎれば意味合いが変わり、必ず悪い影響を及ぼすようになる。だから一旦自動操縦から抜け出して、自分の意志で加減出来るようにならないと能力として使うことは出来ないのだ。その為にもフラクタル心理学理論を表層意識に入れ、神(思考の現実化の構造、仕組み)の知恵を持った猿田彦命にする必要があった。

祭りの先頭で榊を持って歩く猿田彦命

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る(26)無駄な経験はない

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年04月25日

 

無駄な経験はない

 父の祭りの手伝いを続けながらアルバイトを転々としていくうちに30歳近くなっていた私は、父が結婚相手にと離婚経験のある神社関係者を強引に引き合わせたことが引き金となって、当時アルバイト先で出会い、付き合っていた相手と結婚して家を出る決意をする。結婚して家を出ることは、両親だけでなく、神社関係者の期待も裏切ることになると分かっていたが、このまま意に染まない相手と結婚したとしても決して幸せになれない!自分が幸せになることが一番の親孝行になるのだ!と言い聞かせながらの結婚だった。

 だが、これも子どものときの思考パターン通りに人生を創り上げたに過ぎない。羨ましがって自分もやりたいと手を上げるが、いざやってみるとそこには自由がなく、責任が重くのしかかって来るのがわかってくると、誰かに押し付けて逃げてしまうのだ。私の人生は、このパターンを何度も繰り返しているのがわかる。

 

 夫の父親は彫刻家だった。まだ独身の頃初めて義父のアトリエを訪れたとき、「こここそ私の本来いるべき場所だ!」と感じたことを今もはっきりと覚えている。義父のアトリエは、子どもの頃から憧れていた自由と才能と創造の象徴のように感じられた。絵を描いたり、本を読んだりするのが好きで、儀式や社交儀礼が苦手だった私は、自分は生まれる場所を間違ったのだとずっと感じていたので、「本来居るべき場所にやっとたどり着いた!」と思えたのだった。

 結婚してひと月もたたないうちに、義父は待望だった日本で一番大きな美術展の審査員になり、翌年には広島県で最初の県民栄誉賞も受賞した。夫は同じ年に仕事を独立し、収入は3倍にも4倍にも増え、長男も生まれた。そこから先は、その2年後に生れた娘も加えて、毎年アジアのリゾート地でダイビング三昧の旅行を楽しむのが恒例となった。モルディブ、プーケット、グアム、サイパン、ニューカレドニア、グレートバリアリーフなど、アジアの主要なダイビングスポットにはほとんど家族4人で行き、現地で多くの方と関わり合うことができ、まさに子どもの頃の夢がすべて叶ったような生活だった。

 結婚を機に習い始めた生け花の華展では、毎年義父との合作のような作品を仕上げて出品した(それは今も続いている)。人の背を越えるような大作を作る時、義父に相談すれば、彫刻で使った残りの廃材を使って、すぐにその土台の部分をイメージ通りにつくってもらえるのだ。私が頭の中にあるイメージを義父に伝えると、義父はすぐに理解し、互いにああでもないこうでもないとイメージだけで会話しているのに、確かに同じイメージを共有していると思えることが不思議だった。

 

 気がつけば19歳の頃の自分とは比較にならないくらい幸せな生活を手に入れていた。嫁ぎ先の義父母は、天気がよいとふらっと一緒にデッサンや旅行に出かけ、私と夫の生活にあまり干渉しないので、肩の凝らない自由な家風だった。夫は真面目で優しく働き者で、私は宝物のような子どもを得ていた。

 その半面、型にはまり自由が許されない神職の仕事と、嫁ぎ先とは対照的な家風の実家とを行き来する生活に、何故私の人生はこうも両極端を行ったり来たりするのだろうと納得がいかなかった。早く神職を辞めて自由にやりたいことだけをしていたかった。35歳を過ぎてから10年間漫画家を目指したことも、神職を辞めたい一心からだったが、東京の色々な出版社に持ち込んで、たまに良い手ごたえを感じたことはあっても、結局は実力不足を痛感して諦めるしかなかった。

 今ならわかるが、もともと漫画家になって成功したい気持ちなどなかったのだから、なれるわけがなかった。人は本当に欲しいものは必ず手に入れるからだ。「なるぞ!なるぞ!」と思考すればそのうち空気のように当り前に手に入れているものなのだ。もし、10年間必死でやり続けても手に入れられていないなら、それは感情の部分では欲しくないのだ。私が漫画家を目指したのは、型にはまり、責任をとる神職の仕事を辞めて、自由にやりたいことだけをしていたかったからだ。もし漫画家になってしまえば、今度は漫画家として型にはまり、責任をとらなくてはならない。つまり、私の本当の願いは「自由にやりたいことをする」ことで、それはもう叶っていたのだった。空気のように当り前に手に入れていたので、自分では気がつくことが出来なかっただけなのだ。

 だが、10年間漫画家を目指して頑張ったことも決して無駄にはならない。それが結果的に自分のイメージ脳を鍛え、自分の中からどんな感情でもひょいと掴み上げることができる能力として、今役に立っているからだ。誰もがフラクタル心理学の理解が深まれば深まるほど、過去に頑張った経験が未来に生きてくることを実感するはずだ。どんなに嫌な出来事も、その経験が欲しいから自分で創っているのだということも。

 両極端を行ったりきたりする度に、八方塞がりのように感じていた私の人生は、責任を放り投げて自由にやりたいことだけをやろうとする自分と、人生を思うように創造する神のようになりたい自分とが、常に葛藤していたからだった。

義父との合作?作品

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る(25)龍神

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年04月15日

 

(25)龍神

 

 不思議な現象はもう一つあった。桜が降る5,6年前、祭りの前の掃除を終えて高龗神社から下ろうとしていたとき、姪が大きな声で「あっ!龍がいる!」と叫んだ。指さす方向を見ると、本当に龍がいた。皆、興奮して口々に「龍がいる!」といい合った。近くにいって下から見ると、それは枯れた松の枝の先が、本殿から眺めると、龍そっくりに見えるのだとわかった。

 

 

 

 

 人は神の子、内側に神性を持っている、アセンションして誰もがその神の力を発揮して人生を思うように創造していく時代が始まるのだから、神社は必要なくなる。もしかしたら、神社にある鳥居は神を閉じ込めておくための結界なのかもしれない。当時そう思っていた私は、「神社に閉じ込められていた龍神が外界へ飛び立とうとしている」と感じたものだった。そして、桜が降った一か月後頃、強風が吹き荒れた一夜が明け、その龍に見えた枝が折れて落ちた、と聞いたとき「龍が放たれた!」と確信したのだった。

 その頃の私は、神社を継がず、人に明け渡す行動にでる決心をしても、「本当にこれでいいのだろうか?」と日夜悩み続けていた。桜が降っても、龍神が空に放たれた!と確信しても、一方で心は常に揺れ動いていた。このままいけば自分の故郷も、その歴史も消えていくことになる。それが何よりもつらかった。

 よく眠れない日が続いていたころ、朝方印象的な夢を見た。夢の中で自分の育った里があっという間に木々に覆われていく様を見ていた。心の中で「寂しい」とつぶやくと、「元の姿に戻るだけ」という声が返ってきた。「そうか。元の状態に戻るだけなのか。」と、妙に納得し、目覚めたのだった。それ以来迷いがなくなり、神職を辞すために行動する決心が決まったのだった。

 今考えてみれば、フラクタル心理学を知る前は、脳は気がつけば受け身の思考パターンになっていた。「いつも(邪魔者に)される」「どうせ(いらない子)なんだ」。()の中身は人それぞれだが、このパターンの中に毎回登場人物を当てはめては自分を憐れむ受け身の人生を生きていた。だが、フラクタル心理学を知ってからは、この受け身の思考パターンを修正することで、誰も憐れむ必要がない能動的な人生に少しづつ変えてきた。すると、面白いことに脳が自分で答えを出し始めるという感覚に何度も陥るのだ。「ああ、そういうことか!」この感覚を得る度に、脳にとっては受け身ではなく能動的な方が自然(あるべき状態)なのだな、と納得するのだった。

 

 

 ところで、不思議な現象を創り出す思考とは、フラクタル心理学で考えるとどういうことだろうか?当時の私は、神とは超常的な存在で、どんな不可能なことでも出来ないことは何もないと思っていたのだ。だからアセンション(次元上昇)すれば、自分が魔法の様に願い通りの人生をあっという間に創り出せる存在になると思っていた。(実際は、時間をかけて思考を貯め、法則通りに現実化する。そのルールを知って使いこなすようになるということなのだ。)だから、もうすぐアセンションするぞ!するぞ!と思考すればするほど不思議現象を創り出していたのだった。

 不思議を創り出す人は、自分は特別な存在だと周囲からも思われたい欲求が強い。だが、社会で特別な存在になって尊敬を得るには、社会に通用する(お金になる)能力をコツコツと身に付ける必要がある。それには人の下について学ぶ必要があり、時間もかかり、労力も忍耐もいる。元来特別だと思っている人にとっては、苦手なことばかりなのだ。だから、手っ取り早く不思議現象を創り出して、今のままで周囲から特別扱いされ、敬われようとするのだ。

 だが、この不思議思考も最初のうちは狙い通りの結果を得られるが、いき過ぎる(思考の量が増えすぎる)とマイナスの結果を生むようになる。例えば、霊能者と呼ばれるような人は、最初のうちは病気を治してもらったとか、事故を未然に防いでもらえたなどと感謝されるが、やり過ぎると必ず裏を見ることになる。外側に「なんて嫌な奴なのだ!」といいたくなる人を見るようになったら、その時が止め時なのだが、やめることが出来ないと必ずトラブルに見舞われ、自分自身が制御出来ない力を畏れ(恐れ)、従わざるを得なくなっていく。自分には特別な力があると周囲に信じ込ませ、畏れ(恐れ)させることで人を従わせようとする行為は、思考のエッセンスにすれば「傲慢」であり「怠慢」なのだ。自分の未来は、抽象化された思考のエッセンスで創造され、過去に人に与えた感情を次は自分が味わうことになるのだ

 すべての思考は法則に従って現実化するだけなので、傲慢な人には傲慢が返って来るし、怠慢な人には怠慢が返って来る。返って来るとは、「なんて○○なのだ!!」といいたくなる相手が現れ、苦しめられるということなのだ。これ以上苦しめられたくないと思うのなら、相手に言いたいことを自分が止めればいいだけなのだが、思考を抽象化し、エッセンスに戻す能力がないと、どこで自分が同じことをやっているのか、見つけだすことが出来ないのだ。

 この受け身の思考ルートは、もともとは本来やるべきことから逃げるために、外側に敵をつくって、逃げる自分を正当化したことから始まっているので、上に従って、本来やるべきこと(コツコツと能力をつける)を素直にやる自分にならない限り、問題は次々と湧きおこることになる。心の底でこの誤魔化しに気がついているので、戦いを続けるかぎり深層意識の中に罪悪感が貯まり続ける。この罪悪感が自分を苦しめ、不幸をつくりだす種なのだが、インナーチャイルドが戦いを止めることは、自分の負けを認めて、怠慢、傲慢な自分に向き合わなくてはならなくなるということなのだ。

 深層意識のインナーチャイルドを方向転換させることが出来、罪悪感から解放させられるのは、表層意識の自分だけである。だが、思考の現実化の法則を知らない無知な表層意識では、自分(創造主)の夢を叶えるエネルギーであるインナーチャイルドの信頼を得ることも、納得させることも出来ない。インナーチャイルドの納得が得られなければ、どんなに叶えたい夢があってもそこに向かってエネルギーを使うことが出来ないのだ。

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る(24)罪悪感

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年04月02日

罪悪感

 

 父が亡くなる7,8年前に不思議な現象に遭遇した。当時私は、「自分は父の為といいながら、実際は父に復讐したいだけなのではないか?」と感じ、焦り始めていた。父が亡くなる前に、必ず自分の中にある父に対するマイナーな想いをひっくり返してみせる、と思っていた。その頃スピリチュアルの世界では「アセンション」について書かれた本が盛んに出回り始めていた。私もそういう本を貪るように読んでは、アセンション(次元上昇)して父への想いを昇華出来るはずだと信じていたころだった。

 それは、同じ出雲の学校を卒業して神職の資格をとった甥(亡くなった長女の忘れ形見)と一緒に実家の神社のご神体の一つ、三の降り(滝)で龍笛という横笛を吹いていた時のことだった。季節外れにも関わらず桜の花びらが滂沱と降ってきたのだ。滝の淵の、木々に覆われて薄暗い中で、木漏れ日に光りながらひらひらと舞い落ちてくる桜の花弁を「なんて美しいのだろう!」と思いながら龍笛を吹いていた。「そういえば今年、福山城に花見に行ったときは桜吹雪だったなあ。あれもきれいだった。」とそこまで考えてハッと我に返った。それはもう一か月以上も前のことで、季節はすでに青葉茂れる初夏に入っていることに気がついたのだ。じゃあ、この桜の花びらはどこから落ちてきているのだ?と見上げても、見渡す限り桜の木は見当たらず、若葉が茂る木々の間からわずかに青空が見えるだけなのだ。

「ねえ、この桜の花びらはどこから落ちてきていると思う?」と思わず甥に声を掛けると、甥も笛を置いてしばらく不思議そうに見上げていたが、すぐに立ち上がって、走って桜の木を探し始めた。散々周囲を走りまわって息を切らせて帰ってきた甥は、「桜の木なんか1本もないよ!」といった。私達は、もう今は降ってはいないが、滝の淵にたまった桜の花びらを、声もなく茫然と眺めるしかなかった。

 家に帰って父に確認しても、三の降りの周辺に桜の木はない、といっていたが、その後も年が変わると、桜の開花前後にあわせて何度か足を運んで、桜の木がないか確かめに行ったものだった。信じがたい不思議な体験だった。

 

 私はこの現象の意味を、甥と一緒にいたせいか、亡くなった長姉が「これでいい!」と背中を押してくれたと感じていた。なので「必ずアセンション(次元上昇)出来る!だったら私は神職を辞めて、次は次元上昇の橋渡しをする仕事をするのだ!」と心に決めたのだった。

 そこから先は迷うことなく神職の仕事を引き継いでもらえる人を探し、地域の神社関係者に、私が神職を辞めることを理解して頂く為に動き始めたのだった。父は、「神職を辞めることは絶対に出来ないよ。自分も若い頃は辞めたくて仕方なかったが、結局辞めることは出来なかった。」とよく私にこぼしていた。確かに当時は難しく思われたが、私の決意は固く、父が動けなくなり神職を退くと同時に、私も周囲と摩擦を起こすことなく、なんとか神社を次の神職に引き渡すことが出来たのだった。

 

 この時はもの凄い安堵感を得ることが出来たが、父や先祖に対しては、申し訳ない!という気持ちでいっぱいだった。そう感じる度に「必ず将来次元上昇の橋渡しを仕事にして、日本中を飛び回って活躍します!」と心に誓い、決意を固めるのだった。

 父が亡くなる前、滅多に褒めない父が病院のベッドの上で「お前の良いところは、決めたことは信念を持ってやり遂げることだ」と言ってくれた。意外だった。絶対に出来ないと思っていた神職を辞めたことを言っているのだとしたら、父は長女を嫁に出したときに、子どもに実家を継がせることを半分諦めていたのかもしれない。もしかしたら、女の子しか産まれなかったと分かったときに、すでにそう思っていたのかもしれない。それは、父と一緒に仕事をするようになってからも時々言葉の節々にふっと感じてきたことでもあった。その度に少なくとも父は、私が父の神社を引き継がなくても、「先祖に申し訳ない!」と切腹したくなるほど落胆はしないようだと安堵したものだった。

 

 

 父が亡くなったとき、私はまだアセンションといえるものに出会っていなかった。父が亡くなる前に絶対に出会い、心から父に感謝出来ると思っていた私は、父の死に直面し、茫然自失してしまった。自分の内側には神がいると信じていたのに、その信念がガラガラと足元から崩れていくようだった。このまま何事もなく日々が過ぎていくだけならば、父や先祖に申し訳なく、自分が生きている意味がないとさえ感じていた。

  その半月後にフラクタル心理学に出会い、「これだ!ついに出会った!やはり私の中に神は存在した!!」と感じたときの安堵感と感動は、言葉にできないくらい大きなものだった。なぜ、父が生きている間に出会えなかったのだろう?という疑問も、フラクタル心理学を勉強するうちに理解できたのだった。

 それは、傲慢な自分に向き合うことが出来ないからだ。今では過疎集落といえども、何百年も続いた神社の神主の娘を現実化した私は、生まれながらに「自分は特別」という色眼鏡をかけているようなものなのだ。「生まれながらに特別」という思考は、あたり前に人を見下し、努力をしようとしない。自分の傲慢さに気がつくことが出来ないのだ。緑色の色眼鏡をかけて生まれ、いつもそれで世界を眺めていれば、自分が緑色の世界にいることにすら気が付けない。あたり前の思考とはそういうものなのだ。

 だが、それではフラクタル心理学を理解することは出来ない。一旦自分が掛けている色眼鏡を外し、ありのままの現実を見ることが出来ないと、世界を創り変えられないからだ。一度外すことさえできれば、あとはどんな色の眼鏡をかけるか自分で好きなように選べばいい。そうすれば、そこから色々な色の人生を楽しむことが出来るのだから。

 もし、父が生きていたら、傲慢な私には自分が色眼鏡をかけていることを認めることが出来なかっただろう。依存や傲慢が強いと、外側から変われと言われても、受け入れ難いものなのだ。大袈裟にいうなら「無礼者!拙者をなんと心得る!!この印籠が目に入らぬか!?」というくらいの感情が動くのだ。父は自分の死によって、傲慢な私の鼻をへし折って、小さくなることを教えてくれたのだった。

 そう考えると、自分のそれまでの人生のすべてが、フラクタル心理学に出会い、この理論を理解する為には必要だったのだと、今では完璧に理解出来る。

 

「天変地異が起こる」という父の言葉が印象に残ったのも、自分の中の罪悪感のせいだと気がついた。それはいまもまだ、自分が日本中を飛び回って活躍する!といえる状態になれないからだ。もっと家族で楽しく生活を楽しみたい、忙しいのは嫌、自信がない、、、なかなか前に進めない感情を罪悪感で誤魔化そうとしているからだ。罪悪感が貯まれば、自分を滅ぼそうとする。それが大災害を現実化する思考につながるのだと、今になってやっと気がつくことが出来たのだった。

 

桜が降った三の降りの淵

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る(23)復讐

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年03月26日

 

 復讐

「古事記の舞台はここにある」

 晩年父が、神職ならだれもが祭りで使う「大祓」という祝詞について印象深いことを言っていたことを思い出した。それは、「大祓」の祝詞は、素戔嗚命は善い行いもたくさんされたのに、皆で悪者扱いして懲らしめる内容になっている、というものだ。この部分が父から見て感情が動く箇所なのだ。内容のどこに興味を持ち、どう意味付けるかで、その人の持っている思考パターンがわかる。

 古事記を読むと、天照大御神と素戔嗚尊は姉弟関係になる。天皇は男系と決まっているのに、何故皇祖神は女性なのだろうかと思ったことはないだろうか?

 フラクタル心理学では脳にはヒエラルキーがあるという。それは社会のヒエラルキーと相似形になっている。なので、ヒエラルキーを守らないと社会で活躍しようと思っても問題が起きて上手くいかない。

 古事記の冒頭、神代の記述の中では、何故かヒエラルキーが逆転しているように見える。姉の天照大御神が弟の素戔嗚命より上に位置して天を治め、素戔嗚命は地上を治めている。早くに亡くなった母を恋しがる素戔嗚が、姉に会いに天に昇って大暴れした為に、姉神は天の岩戸にお隠れになる。岩戸からでてこられたこころ優しい姉神の許しを得て心を入れ替えた弟神は、地上に戻ってその後は良い行いをしたことになっている。男兄弟の末子である大国主命も、嫉妬した兄たちに何度も殺されそうになるが、心やさしい性分のお蔭で周囲に助けられて難を逃れ、ついに兄を差し置いて国を素戔嗚命から引き継いで治めることになる。だが、その国も、後に天から降りてきた天照大御神の子ども(天皇につながる系譜)に引き渡しを要求され、最終的に手渡すことになる。

 

 

 神代の話を、姉兄弟のエッセンスに戻して考えると、完全にヒエラルキーが逆転しているのがわかる。

 私の父は長男だが、上に姉が3人おり、父の子どもの頃の乱暴ぶりをよく伯母様方から聞かされていた。私が小学生に上がる前、姉達と母が団結して、食事時になると父と争っていたようにも感じていた。それを見ながら、父が一人ぼっちに思えて、可哀想だと思っていたのだ。

 父は、自分の置かれた立場を素戔嗚命と重ねて見ていたのではないか。

 そう言いたいとしたら、それは私の思考なのだ。つまり、私が父を素戔嗚尊に重ねて見ていたのだ。

 私の頭の中のヒエラルキーが逆転していたので、横暴で自分勝手な父(子どもの自分にはそう見えた)を散々頭で批判して、父を一人ぼっちにするような現実を創ったのだ。そして、父を可哀想だと思うことで、それを望んで現実化した自分を誤魔化しているに過ぎない。優しいとか可哀想という気持ちは、深い部分にある真逆の感情を誤魔化し、自分を美化できる便利な言葉なのだ。文字通りに受け取ると未来で裏切られる。

 神職の資格まで取って家を継ぐといいながら、結局父の期待を裏切り、結婚して家を出て、最終的に父が持っていた神社をすべて人手に渡してしまうのだから、これは父への裏切り以外の何物でもないだろう。

 だから、生涯に渡って父に「古事記の舞台はここにある!」と狂ったように言わせ続けていたのかもしれない。ヒエラルキーの逆転した現実がここにある!と未来の自分が父に言わせ続けていたのではないか。

 

 生長の家で「親に感謝出来ない者はこの世で幸せになれない」と知り、自分ながらに一生懸命そのことにこだわり続けたつもりだったが、父が亡くなるまで、私はまだ心から父に感謝出来ていないと深い心でわかっていた。もしかしたら私は父に復讐したいのかもしれないと何度も感じたものだった。でも、そうならないようにしようと思っているのに、どうしても結果的にはそっちに行く現実しか選べないのだ。それが子どものときに創った感情の思考パターンのせいだとは勿論わかるはずがなかった。表層意識と深層意識がまったく別の脳で、自分の中に表層の自分とは別のことを考えている自分が何人もいるとは知らなかった。父を悪者にする目的は、父から母を独占し、自分の為だけに召使の様に母を使いたいという、視野の狭い身勝手で独占欲の塊のような子どもの自分がいることに気づけなかった。自分が本当に避けているのは責任をとることだとも気づくことが出来なかった。もちろん深層意識の思考パターンを変える方法も知らないから、いくら変えようとしても変わらないということすらわからなかった。

 だが、父が亡くなるまでには必ず見つける!そういうものに絶対に出会うはずだ!と固く信じていたのも事実だった。

 

 
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