その他

蛇神はたくらみ龍神は斬る (9)東の龍と西の虎1

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年11月18日

東の龍と西の虎1

 

 長女の死が私にもたらしたものは、将来を自分の頭でしっかり考えていた次女と三女とは違い、頭をもがれた大蛇(おろち)のような状態だった。姉が生きていた頃は、大蛇の頭が長女で、胴体は次女と三女、さながら私はいつ切り捨てられてもよい尾の部分だと感じていたのだ。だから何も考えず前の動きに従って後ろをついて行くだけでよかった。だが頭がもがれたため、自分の胴体に自分の頭をつけなくては前に進めない状態になってしまっていた。

 

 末子の私は、小さい時から当然のように母に一番甘えていた。狭い山間の集落に同性の同級生が5人もいたので遊び相手に困らなかった私は、外で遊んで帰ると畑にいる母のもとにいき、よくおやつをねだっていた記憶がある。母は仕事の手を止め、家に帰っておやつを与えてくれたものだ。一つ上の姉はおばあちゃん子で、母にあまり面倒をみてもらった記憶がないと言うが、私は祖母に面倒をみてもらったという記憶があまりない。それでも気がつけば近くで草取りをしている祖母をよく見ていたので、きっと友達と遊ぶのを見守ってくれていたのだろう。そのうち祖父が病気になると祖母は孫の面倒どころではなくなり、母は祖父に栄養をつけてもらう為にヤギを飼い始めた。複数頭いたヤギの世話も、母について乳しぼりをしたり、小屋から畑まで移動させたりしていたのは、姉妹では私だけだったと思う。一番小さいせいもあってか、当り前のように母を独占していた。

 母は、私にとって気安く何でも言える存在だった。空気のように気を使わず、言いたいことを言い、当り前のように世話をしてもらっていたのだ。それは、幼児のときなら当然だと感じる人もいるかもしれない。だが、世話をしてもらうことはもちろんだが、気安く何でも言えることが良いことだと思っている思考回路を大人になっても使い続けると、依存的な自分を変えるのは難しい。何でも言いやすい人間関係が一番だと思うから、社会の厳しい上下関係や横のつながりの乏しい無言が求められるような職場環境は耐えられなくなるのだ。しかも、幼い頃につくった感情のパターンは、耐えられない環境の方を「悪」と認識して、自分を環境に合わせて成長させるべきとは思わないのだ。そのうち傍若無人な言葉使いをする無礼な人に悩まされるようになるだろう。それは大人になっても母親に言いたい放題のままの自分の姿が鏡のように外側に投影され、母親に感じさせている嫌な想いを自分が受け取っているだけなのだが。

 

 

 これまで私は、父が祖父の代わりにやりたくもない神職をやらざるを得なくなったころ、農業では必要なかった人間関係に苛立ち、母に八つ当たりしていたと思っていた。だが、父と母との当時の会話を思い出すにつれて、なぜ今まで目の前に見えていたのに気がつかなかったのだろうと思うくらいに、父に従順な母というイメージとはかけ離れていたことに気がついた。母は、東の龍と西の虎のように、父に対抗していたのだ。そういえば大人になってからも父への愚痴を随分聞かされていたな、と思いあたる。

 ひとは自分の脳を通してしか外側を認識できない。幼児といえども、同じなのだ。私は未熟な自分を母に投影して、父に対抗していたのだった。(続く)

 

 

 

 

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (8)龍の目

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年11月13日

 

龍の目

 

 しばらくは職場で涙が出そうになると、こっそり抜け出して「生命の実相」をむさぼり読んだ。すると心が落ち着いて、何気ない顔をして職場に戻って仕事を続行出来るのだった。

 

 

 フラクタル心理学の一元の理論から読み解けば、自分がこうなってしまったのは、すべては与えられるものだと思い込んでいる蔓の思考ルートのせいだった。蔓はいつも巻き付く木を探している。子どものときは親に巻き付いて生きている。親が与えてくれる栄養で生きるのが当たり前なのだが、大人になるにつれて自分の足で立つことを覚えていかないといけない。それが分かっている大人の自分もいるのだが、いつまでたっても誰かに巻き付こうとし、与えて貰おうとする蔓のルートが残ったままなのだ。それは無意識の思考ルートなので、なかなか自分で気がつくことも、変えることも難しい。

 理性の脳を使っているときは確かにそれが当り前だと思うのだが、感情の脳に切り替ると途端に依存的な6歳児に戻ってしまうのだ。脳は頻繁に切り替わっていることを当時の私は知らなかった。しかも感情脳で考えたり行動したことを、理性脳は数に入れない。時にはないものとし、時にはあるものとして、自分の都合よく利用することはあっても。

 私の感情脳は、「父は、私のほしいものをもっと与えてくれるべきなのにくれなかった!」と、責めていた。本やテレビを見て派手できらびやかな世界に憧れ、空想の世界を楽しむことばかりしていれば、いつか自分も自動的にそうなれると思っていたのかもしれない。実際は自分が地道に努力し、手に入れた能力だけが、自分の未来に満足や豊かさをもたらすことを知らなかった。父に従って銀行に勤めても、実際は事務をこなす地味な毎日の繰り返しだった。将来結婚したとしても、幸せよりも思いどおりにならない苦労の方が多いことは、亡くなった姉を見ていて感じていた。地道に生きたとしても楽しいことは一つもありそうになかった。

 当時の私は、自分が欲しいものが何ひとつ手に入っていないじゃないか!と父に対して怒り、思い通りにならない人生にヒステリーを起こしていたのだった。

「生まれたまま(自然のまま)が一番でしょ!」

「楽しいのが人生!」

「生れたままが一番」とは、何も努力する必要がないと感じているのだ。「楽しいのが人生」とは、楽しいことしかやろうとせず、それ以外のことはつまらなく無意味にしか感じられないのだ。

これが6歳の私がつくった感情の思考パターンになっていた。

 

なぜこんなに能天気な依存脳になってしまったのか、それは、私が4人姉妹の末子に生れたことも大きく影響していた。(続く)

 

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (7)龍の目

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年11月09日

 

龍の目

 姉に続くように祖母もその翌年亡くなると、私は銀行での仕事が手につかなくなるくらい精神的に追い詰められた。仕事中涙が止まらないのだ。誰にも気づかれないように度々誰もいない更衣室まで抜け出して、心を落ち着かせなくてはならなかった。

 私は自己嫌悪の極地だった。夢に向かって自分の将来を自分で掴むという気概がまったく持てない。何よりも、誰からの評価も高かった長女が亡くなったのに、自分が生きている意味がわからなかった。自分は生きる価値がない人間に思えた。

「死にたい」

 そう思っては涙がこぼれた。

こんな状態の自分を、まだ誰にも気づかれないうちに早くなんとかしなくてはと焦っているとき、家にあった、以前母から「良い内容だから読んでみたら?」と勧められたことがある本を、手に取ってみた。

それは、「生長の家」という宗教の教祖が書いた「生命の実相」という本だった。読むなり引き込まれ、貪るように読んだ。

 本の内容の中で、今でも特に心に残っているのは、この言葉だ。

 

「人は神の子」

「父母に感謝出来ない者はこの世で幸せになれない」

 

今思うと、当時の私は、父への恨みで一杯だった。

父の言う通りにしたから姉が死んだ!父は間違っていたじゃないか!

姉が死んでも自分が姉の代わりにはなれない。父にとって私はやっぱりどうでもいい存在なのだ!

自分なんか生きている価値がない!

 

自己嫌悪と怒りと罪悪感で、身動き出来なくなっていた。

だが、当時の私は、自分のどこがどう間違っているから、今の状態になっているのかがわからなかった。

ただ、この「生命の実相」という本に書いてあることは真実だと思えるのだった。(続く)

 

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (6)龍の目Ⅰ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年10月29日

 

龍の目(Ⅰ)

 私が中学生の頃、印象深い思い出がある。父の人生にとっては、その後の生涯に大きな影響を与えた出会いだ。それは晩年父が本を書くきっかけともなった。

その最初の出会いは、父が書いた本「葦原 中つ国の物語」の中に詳しいが、中学生だった私は、食事時の父の話が印象に残っただけだ。

 それは「今日東京から変わった人達が訪ねてきた。一人は60~70歳位の横浜大学の教授だという男性と、60代の女性霊能者だ。あと皇(スメラギ)という苗字の学生がひとりついてきていた。なんでもその霊能者が何度も神がかりしてこの場所にいくように言われたから来た」というのだ。父は日頃から霊能者という類の人間と付き合うことはなかったし、むしろそういうものを信じるなとよく言っていた。大学教授と霊能者の組み合わせも興味深かったが、所詮その時は自分には関係ない出来事でしかなかった。

 それが変わったのは、その後弟子だという大学生を6,7人連れて、霊能者の女性(父はI先生と呼んでいた)が滝修行に来られたのだ。明治や早稲田というそうそうたる都会の有名大学の男子学生が突然大挙して目の前にあらわれたのである。四方を囲まれた山の中の女姉妹の中で育った私には、動物園でライオンを見る位の驚きと、もの珍しさがあった。地元の集会所に泊まり込み、昼間は修行の合間に我が家に来て、I先生の凄さについて口々に話してくれたものだ。

 「夢で平安時代の言葉をしゃべる。」とか「未来のことをその場にいるようにしゃべったことが、その言葉通りに現実になる」「釣りに行って憑りつかれた土座衛門を払ってもらった」など、聞いているだけで面白かった。

 その後何回滝修行に来られたかよく覚えていないが、その学生の中の一人が長女に結婚を申し込んだのだ。それは父の反対もあり、上手くいかなかった。その話が壊れて後、姉は習っていた大きな和裁学校の先生に跡取り息子の嫁にと請われ、結婚して家を出た。父は、長女を嫁に出すことへの葛藤はあっただろうが、山の中の過疎集落にいるよりも姉に相応しい将来が得られると思ったのかもしれない。出すことに決めた。

 だが、残された姉妹の胸中は複雑だった。長女は跡取りとして特別な存在だった。美しく毅然として、学校の教師からも特別に可愛がられる存在だった。誰も、姉の抜けた穴を埋められないと感じていたし、それまで家を継ぐことなど考えたこともなかった。父の一存で結婚が決まることへの反発も感じていた。私は、これで長女が幸せにならなかったらどうするのだ?と父への反発を益々深めていた。

 そして、予感が的中するように結婚して3年後、姉は病気で突然亡くなった。気分が悪いと寝込んで一週間後だった。将来に夢を持てない18歳の私は、当時高校から父の進めるままに銀行に就職していた。クラスで進学せず就職したのは私だけだった。そんな私の為に、長女は銀行で預金を集めるノルマによく付き合ってくれた。姉に呼ばれて預金契約に行くたびに、私の銀行での話を聞いてはコロコロ笑って面白がってくれたものだ。私と姉との付き合いはいつもこんな感じだった。長女にとって一番年下の私は息抜きの出来る存在だったのだろう。

 その姉の突然の死が私達家族に与えたショックと悲しみは、言葉に出来ないくらい大きかった。その悲しみを癒すには長い時間が必要だった。

 

 

 

 その姉の死から随分後に、父がぼそりと言った言葉に驚いた。

「I先生(霊能者)の言った通りになったな。」

例の学生が父と一緒に姉との結婚のことをI先生に相談したとき、目の前で言われた言葉は

「彼女はやめておきなさい。子宮を患って若死にするよ」だったという。

 父親の前でいくらそう思っているにしても非常識だと思うが、実際姉は26歳で子宮から脳に転移したがんで亡くなった。父はどういう気持ちでその言葉を聞いたのだろう。初対面で滝に案内したとき、なんの躊躇もなく男3人の目の前でポンポン服を脱ぎ捨て、真裸になって滝に入ったという、常識では測れないI先生の言動なのだから、取り合わなかっただろうか。それとも、その逆だろうか。

 とにかく、姉はI先生の言葉通りに早死にし、父は最初の彼らの訪問を機に古事記や地域の歴史を猛勉強するようになっていた。それは彼らに請われて車で備後の神社を案内する折に、車中で聞いた様々な話がきっかけだった。母は、それ以来早起きして古事記を貪るように読むようになったと父の変化を話していた。

 それまでの父は神社よりも農業の方がはるかにやる気だったと思う。むしろ神職には乗る気ではなかったのだ。だからやりたくもない仕事をやらざるを得ないことに苛立ち、母との喧嘩が増えたのだ。だが、あの出会い以降、父は神職の仕事を天職さながらに務めるようになり、地域の歴史に精通し、本まで書き、その歴史を地元に広めようと死ぬまで神主としての責任を果たしたのだった。

 姉の結婚より後I先生のことを父から聞いたのはあの時だけだったと思う。横浜大学の教授と父とは、しばらく手紙のやり取りがあったようだ。「神縁を結びたい」と高龗神社の神前に実印を置いて行かれ、今も本殿の御扉の中に残っている。

 その方が、村山節という「文明周期説」を唱えられ、沢山の本も書き残された有名な方だったことは、父が亡くなる3年前、父の本のあとがきを考えている頃に知り、本当に驚いたものだ。偶然にもその方の本を読んだばかりだったのだ。百幾つまで長生きされ、数年前に亡くなられていることもその時知った。

 神縁とはそういうことなのか、と何とも言えない不思議な因縁を感じたものだった。その方の唱える説は、私がフラクタル構造というエッセンスに触れる最初の機会でもあった。(続く)

 

 

I先生と村山節先生との出会いから始まる

父が書き残した本

(扉や中のイラスト、あとがきは私がかいた)

 

 

邪神はたくらみ龍神は斬る (5)蛇の目 Ⅱ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年10月04日

 

蛇の目 (Ⅱ)

 

 私の父は、神職を継ぐのが嫌で19歳で神職養成学校を中退し、志願して戦争に行っている。満州の飛行部隊に配属され、終戦後は3年間のシベリア抑留生活を経て復員した。その間、どれほど祖父母は心配したことだろう。父が無事に帰ることを祈って祖母が通ったお百度石が、今も神社の参道に立っている。

 父は、7人姉弟の真ん中の長男で、下に病弱な弟が一人いただけで、女姉妹に囲まれて育っている。その病弱だったという叔父様も神職の資格は持っていたと聞くが、私が生まれた頃には所帯を持ち、会社員として働かれていた。

 父は、両親から待望の跡取りとして大事にされ、甘やかされ放題で育ったとは、伯母様方からよく聞いた話だ。もっぱら父に厳しかったのは次女三女の伯母様方だったようだ。お正月やお盆、お彼岸にそろって墓参りに来られると、小さい頃の父との待遇の差や、傲慢ぶりを聞かされたものだ。まるで自分の一挙手一投足を非難されているようで、いつも緊張していたのを覚えている。

 一番下の叔母様は、一人だけ独身で、他の姉妹よりも実家である我が家に滞在される日数が多かった。兄を慕って兄妹仲がよく、綺麗で優しく、私達姉妹の憧れの存在だった。いつも勤め先のある岡山から帰省されるのを楽しみにしていたものだ。

 この叔母様には良い刺激をたくさん与えて貰ったと思う。「子どものときから大人が読む本を読みなさい。」と文学全集を買ってくださったのも叔母様だ。岡山で看護婦をされていたが、後に川崎医科大学附属病院の総婦長にまで上りつめられた。その後仕事を続けながら結婚もされたが、現職中に惜しまれながら病気で亡くなられている。

 

 子どもの頃の私から見ると、山での生活を知り尽くしている父は、スーパーマンのような存在だった。嫁ぐまで神職のことも農業も知らなかった母は、何でも父に聞いて動いていた。祖父は決して力仕事や畑仕事はしなかった。

 小さい頃の記憶はおぼろげだが、甘えんぼうで泣き虫の私は、泣きやむまでよく納屋に閉じ込められたものだ。そんな時の父は怖い存在だった。姉達を見て、父からどうすれば怒られないかを学んだと思う。いつも一つ上の姉と一緒に、父とお風呂に入っていた記憶がある。五右衛門風呂なので、冷めると誰かが薪を焚いて湯加減を調節していた。父は湯船の中でタオルを膨らまして遊んでくれたものだ。「欲張ると逃げるが、与えようとすると入ってくる。」とお湯を手でかいて見せてくれたのを覚えている。姉妹で何か取り合いの喧嘩をしているのを見て、たしなめてくれたのかもしれない。

 

 父は、祖父が病気で亡くなる前(私が幼稚園の頃)から神職の仕事が増え始めると、一時期母との言い争いが増えた。農業は自然相手だが、神職は人を相手にしなければならない。父がいる食卓は、父が外での出来事を話すのを黙って聞く時間だった。一度父が母との会話に激高し、母を叩いたことがあった。姉達は母に味方し、父に非難の眼差しを向けるようになり、まだよく事情がわからない私は、父が一人ぼっちに思えて可愛そうでしかたがなかった。

 神職も農業も、時間が不規則で日曜も祭日もない。父が家にいる時間が減り、農業の母に掛かる負担は増える一方だった。家族はギスギスし、姉同士もいつもライバルとして競い合っているように見えていた幼い私には、頑張ることや競い合うことが争いの原因に思えた。だから、バカ話をして姉達の笑いを取るのが自分の役目だと思っていた。頑張り過ぎると祖父のようにいつか病気になる、だから自分が家族の中でピエロの役を引き受けるのだと思っていたのだ。

 

 6歳までの子どもは感情の生き物だ。理屈を考える脳は6歳以降に発達を始める。なので、子ども時代にこう思っていたという記憶は当てにならない。理屈の脳は、物事の良し悪しを決めた感情の流れの上にのっかっている。善悪は幼児の自分がすでに決めているのだ。印象に残った感情の記憶の断片に、後から自分に都合のよい理屈を当てはめているだけなのだ。要するに私は頑張ることや競い合うことが嫌で、家族の中で一番楽な道を選んだだけなのだ。

 実際は、仕事をすれば疲れると思ったのは子どもの私の方だ。それを勝手に父母もきっとそうに違いないと思うから都合のよい理屈をつけたのだ。父も母も、今から思うと仕事が大好きだった。母が嫌そうに畑仕事をするのを見た記憶がない。むしろいつも活き活きと楽しそうだった。神職の仕事も一年中忙しいわけではない。神事から帰ると父は休む時間も惜しんで畑に出ていた。実際、梨栽培は軌道に乗り、忙しい時期は近所の主婦を3,4人雇っていたし、途中から桃の栽培も始め軌道に乗せた。子どもの頃の記憶は本当に自分に都合よく塗り替えられているのだ。

 

 私は自然相手が好きで、人付き合いが苦手だった。そんな自分を父に投影して見ていた。上手くいかないと人にあたり、そのせいで一人ぼっちになる性質は私の中にあった。そして、なにより傲慢だった。すぐに人を見下すので上手く人間関係が築けない。上に反発し、素直に従えない。なので一人ぼっちになる。父にそんな自分を重ねて、可愛そうだと思っていたのだ。

 本当のところは、忙しい両親に仕事の方ばかり向かず、もっと自分をかまって欲しかったのだ。自分よりも仕事が大事に見える両親に腹を立てていた。だから、一番楽な道を選び、忙しい両親を手伝わずに空想に逃げる自分を正当化したのだ。だが、いくら都合のよい理屈を考えついたとしても、自分を誤魔化して楽な道を選ぶことへの罪悪感は消えない。空想は、やるべきことからの現実逃避に過ぎないからだ。

 

 

 大きくなる毎に私は父から愛されている自信がなくなっていく。「どうせ私は愛されていない。」自分の自己評価の低さはお父さんに愛されなかったからだ。それは「今度こそ男の子だと期待されていたのにまた女の子だった」と聞かされたときのトラウマだと自分では思っていた。実際父は、綺麗で聡明だった長女や、体格がよく運動神経がよかった三女を自慢していた。絵を描いたり、本を読むのが好きだった私は、父に褒めてもらった記憶があまりない。

 

 だが実際は、父を愛せなかったのは自分の方だったのだ。

 よく親からしっかり愛され、認めてもらっていれば自己評価が上がったのにと考えがちだが、これは間違いだ。自分が自分を認められない限り自己評価は決して上がらない。これを知らないと人のせいにして努力することから逃げる蛇の思考ルートを手放せない。仕事を、人の顔色ばかり見てやるようになり、褒められないと失望し、すぐにやる気を無くす。そして自分が努力出来ないことを、褒めても認めてもくれない誰かのせいにするのだ。実際は行動力や努力が足りないから実力が身につかず、自分に自信がもてないのを親のせいにしているだけなのだ。その誤魔化しに気がついているから自分を愛せない。自分を愛せないから、誰からも愛されている自信が持てないのだ。

 私と同じように絵を描いたり、読書好きだった2番目の姉は、高校生のときにはマーガレットという漫画雑誌で漫画家デビューをはたしている。東京の雑誌編集者からよく電話がかかってきたものだが、高校卒業と同時にあっさりと漫画を捨て、叔母様のような看護婦になると決めて岡山の看護学校に旅立った。行動的な姉だった。この姉のことを、母が「今そこにいたのに、振り向いたらもういない。思いついたら誰にも相談せず、すぐに行動に移す子どもだった。」というのを聞いたことがある。私の記憶でも、後ろを追いかけてもあっという間に見失っていた印象がある。空想に浸り、行動しない私とは大違いで、動くことがまったく苦にならないタイプの姉だった。

 一方で、私は小学3年生くらいまで授業そっちのけで空想ばかりしていた。当然成績も振るわなかったが、父母から「畑仕事を手伝え」とは言われても「勉強しろ」とは一度も言われないことをいいことに、別にそれが問題だとも思わなかった。

 そんな自分の目を覚ましてくれたのは学年一成績の良い同級生だった。友達になったのはお互い本好きがきっかけだったと思う。よく一緒に行動するようになると勉強も一緒にするようになった。すると、ことある毎に「こんな問題もわからんの!?」と彼女にバカにされるのだ。おそらくバカにするというよりも本当に驚いていたのだろう。だが、もともとプライドだけは高い私は、バカにされたと感じたのだった。それ以来、突然目が覚めたかのように勉強するようになった。彼女のお蔭で私の中の負けん気が目覚めたのだ。それまでは、周りからどう見られているかに関心がなかったし、どうせ誰も私に期待していないと感じていたのだ。

 友人と一緒に行動するようになると、彼女の高いプライドや人を小ばかにする性格が、嫌でたまらなくなった。それは父にも共通していた。わたしは中学になった頃には父が大嫌いだった。協調性がなく、頑固で人の意見を聞かず、自分が一番偉いと思っている。自慢ばかりして、周りの人のことはけなす。父や友人が嫌いだと感じると同時に、同じ性質を持っている自分のことも大嫌いだった。ひとりでボーと空想している間はそんな自分の性格に気づかずにすんだのだ。人と関わると必ず認めたくない自分の内面が鏡のように相手に映し出されるのを見ることになる。それを見たくないのも空想に走る一因だったのかもしれない。

 結局、人はどこまでいっても自分の脳の中にあるものでしか周りを認識出来ないのだ。大嫌いな人のことを話している時も、大好きな人の話をしている時も、実は自分自身のことを話しているにすぎない。

 

 彼女のお蔭で現実が見え始めた私は、高校受験で地元の進学校に進むことが出来た。だが、高校に入ったら勉強する意欲は途端になくなってしまう。もともと努力が嫌いで、飽きっぽい性格だ。父への反発心も大きかった。勉強よりも、クラブ活動や漫画研究会に入り、身体を動かしたり、ストーリーを練ったりする方が面白かった。なにより高校から先の目標がまったく見えてこなかった。

(蛇の目 龍の目(Ⅲ)に続く)

 

 

高龗神社の拝殿の屋根に現れた

龍にしか見えなかった松の枯枝

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (4)蛇の目 Ⅰ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年09月16日

 

蛇の目 (Ⅰ)

 

 何年か前、まあるく茂った庭木の中から蛇が頭だけ出して日光にあたっているのを見た。頭だけしか出ていなので、最初は蛇だと思えなかった。思索する蛙のようで、愛らしくさえ感じた。すぐそばまで顔を近づけてしげしげと見つめているのに、太陽に顔を向けたまま逃げようとしない。身体が隠れているので安心していたのかもしれない。

 

 

 

 ひとは自分を重ねてしかものをみることが出来ない。あの時、私は蛇に自分を重ねてみていた。だから、強烈な印象で記憶に残ったのだ。

 

 

 

 わたしは小さい頃から空想ばかりして楽しむ子どもだった。

 神職との兼業農家で父も母も休む暇なく働いていた。農家の家畜には仕事が与えられるように、子どもも薪を使って風呂炊きや飯炊き、当時飼っていた犬や山羊などの家畜の世話、市場へ出荷するコンニャクや梨の箱詰め作業、祭りに使う御幣作りなど、年齢に応じて様々な仕事を与えられた。とりわけ春の田植えと梨の袋掛けシーズン、秋の稲刈りや梨の収穫シーズン、正月前の大掃除から始まる祭りの準備は家族総出で夜なべしてやるのが恒例だった。夕食や掃除は、そのうち忙しい母に変わって長女が仕切って当番制にし、子どもが順番でするようになった。

 小さい時は家族が揃って畑に行き、お昼に畑の中でお弁当を囲むのが楽しかった。姉達がいれば、一番小さい私は退屈しなかった。遊びがてら、姉の見様見真似で仕事をやった気になっていたに違いない。遊びも手伝いもいつも姉達のうしろを夢中で追いかけていた。

 大きくなるにしたがって姉が幼稚園や学校に通い始めると、よく空想するようになった。山の中の生活が退屈でつまらなく感じ始めたのだ。恐らく一人で両親の手伝いをするのが嫌だったのだろう。両親の声が届かないお宮の山に入って、ひとり空想していたのを思い出す。

 空想するのは、もっぱらテレビで見た海外ドラマやアニメの主人公になりかわって自分が活躍する世界だ。テレビで見る海外ドラマは山の中の生活とはかけ離れていた。このかけ離れた世界に憧れるのも私の思考パターンだった。6歳までに感情の脳でつくった思考パターンは、その後の人生で、同じ絵柄が並ぶ絨毯のように同じパターンで織り込まれていく。

 私の場合は、今いる場所を良いと思えず、遠くに憧れるというパターンだ。

 このパターンがあると、現実の仕事をしっかりとこなすことが出来ず、失敗が多い。やれと言われたことはやるが、手元に集中しないので十分な能力は身に付かない。現実の世界に目標を持たないので中身はスカスカで、いつまでたっても責任がとれるような仕事が出来ない。現実がいい場所と思えないので、いつもここは私がいる所ではないと感じる。面白い、楽しいと感じるハラハラドキドキする感情の刺激ばかり求める。

 空想やテレビや漫画や小説の中で感情が活き活きしている時間だけが生きている気がして、それ以外の現実はつまらなく、生きている気がしないのだ。その為に益々仮想空間の中で刺激を求めるようになる。

 

「生きる」とは、現実と繋がる必要がある。目の前の必要に応じて行動することで現実と太いパイプが繋がっていく。同じ行動を繰り返すことで能力がつき、能力を持つことで人の役に立つ喜びや、目標をクリアし達成する喜びを知る。常に空想の世界にいることを望んでいるということは眠っている(夢の世界にいる)のと同じなのだ。

 自分の中に現実を生きる回路が乏しいことに気づかせてくれたのはフラクタル心理学だった。いつも現実が生き難く感じていたのはこのせいだったのだ。これまでの人生に繰り返し神話や伝説をよみがえらせようとする人物が現れるのが不思議だったが、それは不思議でもなんでもなかった。空想の世界で生きようとする私の思考パターンが現実化していただけなのだ。

 

 空想する思考パターンを持ったまま社会に出て一番困るところは、土台をつくれないことだ。空想の世界では土台づくりなどしなくともヒーローになったところから始めればいい。頭の中に土台をつくるという発想がなく、なんでも簡単に出来ると勘違いし、すぐに結果を求める。すると現実で自分が上手く出来ないことが理解できず、すぐに結果が出ないことに我慢できない。なので、上司から怒られたり注意されると、言いがかりをつける悪者に見える。厳しい人が現れたときは、出来ないことを反復して実力をつけることを促されているのに、この思考回路が邪魔をして、同じことを繰り返す努力が出来ない。そして、出来ないことを求める人物を悪者にする理由を探し、自分を正当化する言い訳が始まるのだ。散々頭の中で悪者にするので思考は現実化し、いつか本当に悪者になって、自分が苦しむことになる。上手くいっている人が狡く見えるとしたら、自分が自分のことを努力が出来ないのに成功しようとする狡い奴だとわかっているからだ。人は自分の中にあるものでしか外側を認識できないのだ。

 

 イメージするのは賽の河原に積まれた石だ。一個一個上に積み上げる石は、すぐに崩れてしまう。早く、高く積み上げようと思うから横に並べるという発想が出来ない。積んでは崩す無駄な努力を繰り返し、その度に怨みも積み上がっていく。

 社会で積み上げるとは、ピラミッドのように石をまず横に並べ土台をつくるのだ。それは、現実の求めに応じて同じ行動を何度も積み重ね、能力にするのだ。しっかりした土台が出来ると自然と一つ上の段に上がり、また次の基礎造りが始まる。そうやって一歩一歩確実に実力と成果を得ていくのだ。こんなこともフラクタル心理学を勉強しなかったら、きっと一生知らないままだっただろう。

 

 

 そもそも感情の思考パターンは、子どものとき同じ行動を積み重ねることが嫌で、その努力から逃げる自分を正当化する為につくった回路なのだ。父や母や姉達はいつも現実の世界で役立つ色んな知恵を教えてくれていたのに、子どもの私は空想の世界でいつでもヒーローになれる自分のほうが偉いと勘違いしたのだ。だから、指示される立場が不満で、蛇のように穴にこもってヒーローになった自分を空想し、穴から見える範囲で両親や姉達を批判し、裁判官のように断罪していたのだ。人への批判は自分への批判であり、人へ下した断罪は自分に下した断罪なのだとも知らずに。

 

 

 

(次回に続く)

 

 

 

白滝山の中腹に建つ高龗神社からの眺め

 

 

 

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る  ⑶神話と伝説に埋もれた里 

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年09月08日

神話と伝説に埋もれた里父尾(ちちお)と猿が城

 私が生まれたのは備後地方、広島県福山市新市町の山の中、白滝山の麓父尾(ちちお)である。先祖は、中腹の月入りの森に建立する高龗(たかおかみ)神社の神主として代々神社を守ってきた。父は62代目にあたる。ご神体は少し離れた山の谷間の三つの瀧(闇龗(くらおかみ))で、最初にこの地に神社が建立されたのは天平勝宝7年(西暦755年)と記録されている。霊験あらたかな祈雨の龍神様として福山藩主の代官が毎年幣を手向けに来ていたと公の記録にも残っている。江戸時代に建てられたという当時住んでいた家は、代官用の広い玄関、湯殿や厠がある藁ぶきの日本家屋で、祭りには近隣の村落からも人が集まり、出店(でみせ)が並び、賑やかだったことを記憶している。

 この地にあったもう一つの神社、国高依彦(くにたかよりひこ)神社は、延喜式神名帳(西暦927年)に記載された延喜式内社である。金山銀山のお蔭で、この土地が最も栄えていた頃には4千五百戸余りもある、父(ちち)母(も)市(し)と呼ばれる一大鉱山町だったことを知る人は、今ではほとんどいない。この地方の一の宮より大きかったとされるこの神社は、1463年の大火で鉱山町もろとも消失している。その前の年には、長雨の影響で坑道が落盤し、多くの鉱夫が生き埋めになったまま掘り出すことが出来ず、千人塚として今にいい伝えられている。

 

 私が生まれた頃には25戸あまりの過疎集落になっており(現在4戸)、賑やかな鉱山町の名残は、あちこちに開いた坑道の横穴の入口と、屋号や土地に残る名前(新町、湯屋町、市町、女郎屋敷、など)、畑からでるカナクロ(鉱石をふかした溶石)くらいしか偲ぶ影はなかった。

 そんな伝説のような歴史に埋もれた、山に囲まれたすり鉢の底のような集落で、私は8人家族4人姉妹の4女として生まれ育った。地域は過疎化し、神職一本の仕事では生活出来ず、父は農業を学んでコンニャクや梨を生産し、生活の糧にしていたが、松村家の家風には、まだ神話や伝説のなかで生きているかのような高いプライドが息づいていたと思う。上から順に二つ違いの姉妹同士が派手な喧嘩をしているのを見た記憶も、した記憶もない。大きな声を荒げるなんて下品だ!そう感じる位プライドが高い家族だったのだと思う。そういえば、社会人になって同僚の家に食事に招かれたとき、友人の父親への遠慮のない物言いにショックを受けたのを覚えているが、友人は私が家族と話す他人行儀な言葉使いにショックを受けたといったことがある。

 いかにプライドが高かろうが、過疎集落である。保育所や小学校には往復で8キロの道のりを毎日歩いて通うしかなかった。その片道4キロのうち3キロの間には民家も灯りもない、川に沿った一本道だった。

 そして、その山道を囲む山には猿の群れが集団で暮らしていた。赤滝山の猿として古い文献に「数万の猿が住む」と載るくらい昔から猿の多い場所だったらしい。神社のある白瀧山から尾根伝いに「猿が城」という山があり、その山頂には猿田彦命が祀られていた。その山裾の道を通っての幼稚園からの帰り道、山一面見渡す限り猿の群れに遭遇したときは、さすがに怖くなり、友人と二人隠れたのを思い出す。

 農業で生計を立てる父にとって、猿との戦いは死活問題だった。猟銃の免許を取って猟犬を飼い、猿を捉える檻を置き、日夜格闘していた。以前水上スキーをする猿のモモコがテレビで話題になったことがあるが、あの猿は父尾で父が仕掛けた檻に捉えられた子猿だとよく父が話していたが、本当だろうか?

 猿はよく集団で現れては農作物を荒らしたが、大人を警戒しても子どもは無視して相手にしなかった。頭がよく、相手が何も出来ないと判断すると、すぐ近くで追い払っても、恐れることも逃げることもなく悠然とやりたい放題だった。年上の男の子たちが、石を投げたら猿も投げ返してきた!と興奮して話していたのを覚えている。

 社会人になっても猿では忘れられない記憶がある。朝早く私の部屋へ父が偲び足で入ってきた。手には猟銃を持っている。気がついて起きようとすると父は「シッ」と口の前で指を立てた。家の裏の柿の木に猿が来ているとサインで知らせると、ゆっくりと銃の先が出るくらいだけ窓を開け、狙いを定めてぶっ放したのだ。目の覚めるような轟音とともに薬莢が飛んできたのを覚えている。確か、その時は「猿は落ちたが、逃げられた」と父は言ったと思う。

 今思うと可笑しいが、当時から父の姿を借りて私は猿と戦っていたのだ。父は未来の私だったとわかる。

 私の中で猿と蛇と蔓と子どもは相似形(フラクタル)だ。高龗神社の祭神は龍神だが、完全な龍ではなく蛇と龍の間、と聞いたことがある。蛇神とは邪心につながる。穴にこもって人目を避け、じっと外を伺い、ネチネチと陰湿なことを考える、そんなイメージだ。子どもというのは、大人から怒られたときや、兄弟姉妹で喧嘩したとき、心でネチネチと相手を悪者にし、自分を正当化するものだ。猿くらいの知恵やずる賢さはあるが、誰かに寄りかかり、何かに巻き付いていないと自立できない蔓のような思考回路の持ち主だ。

この思考回路が感情のパターンとなって、同じような問題をつくり出す人生から抜け出せなくなっていたことに、後にフラクタル心理学を学んで気づいたのだった。

高龗神社の闇龗の一つ (二の降り)

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る ⑵一元の理論

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年09月04日

 

 

 

一元の理論

人生を振り返る前に、私が学んだフラクタル心理学の一元の理論について、現在の私が理解出来る範囲で少しだけ書いておきたい。

一元の理論とは、自分の思考が人生を100パーセント創っているという理論だ。外側に見ているものは全部自分の過去の思考なので、自分のどういう思考が、どういう仕組みで今の現実をつくったかを学んでいく。「思考は現実化する!100パーセント例外なく!」だということを、頭(表層)だけでなく実感(深層)で深めていくのだ。頭で理解しただけではこの理論は使いこなせない。深層に届いて初めて実感が深まり、この理論が使いこなせるレベルになっていく。

最初は、理論を学びながら、それを表層から深層に届けるルートをつくるところから始めるが、強烈な感情の抵抗にあうことになる。感情は、自分に都合の悪いことは受け入れようとはしない。一元の理論とは数式である。矛盾なく同じ答えが出るから数式といえるのだが、感情はコロコロと都合よく答えを変え、「だって嫌なんだもん!」という感情が、数式がはじき出す答えに勝ると思っている。そのせいで人生がコントロール不能になっていることが理解できない。なので、フラクタル心理学独特の修正という方法で、感情の抵抗を小さくしていくのだ。

抵抗が小さくなるにしたがって、理論が深層に受け入れられていく。すると内側から悟りのような理解がフッと来るのである。どういう思考が自分の現実をつくったか、どこに矛盾が生じてコントロールを失っているかが、「わかる」のだ。この理解が深まるにしたがって、自分の人生に何が起きても外側の人や、出来事のせいにしなくなる。外側は自分でコントロール出来ると気がつくからだ。そして、怒りや恐怖などのネガティブな感情から解放されるにしたがって、積極的にポジティブな人生を創造し始めるのだ。

対して、従来の二元の思考とは、外側には大勢の他人がいて、自分だけの力ではどうにもならない現実があると思っている、コントロール不能の世界である。なので、常に不運や不幸がいつわが身に降り注ぐかわからない不安が付きまとう。嫌な出来事が起きたとき、運命や誰かのせいにすると益々コントロール不能に陥り、不安は増大し恐怖は深まっていく。

 

それにしても、なぜ私たちは不安(怒り)エネルギーで人生を創るようになったのだろう。

フラクタル心理学では、感情は6歳までに意味づけたパターンどおりに、その後の人生も動き続けるという。そうであるなら大人になっても無力だと感じるのも無理はない。子どもは無力で、依存的で、怠慢だ。そもそも何も出来ないところから人生は始まる。赤ちゃんが泣くのを言葉にしたら「誰か早く私の要求を満たせ!!」だ。自分でなんとかするという思考回路はない。泣けば、周囲が気持ちを察して動いてくれる。まさに裸の王様だ。その状態から、自分の事は自分でやる自立の回路をつくろうと親は奮闘するが、そう上手くはいかない。主に感情の脳だけで生きる子どもは、気持ちいいかどうかで善悪を判断するからだ。これまで王様のように親に身の回りの世話をやかせていた子どもが、急に「自分でやれ」と言われれば、怒るに違いない。「自立は悪。親のくせに俺様にやらせるなんて間違っている!」と、意味づけたとしても不思議はない。

大人になっても感情は常に動いている。もし感情をいちいち言語化すれば、それはとんでもなく依存的で、俺様のはずだ。なにせ6歳児なのだから。

「しろよ!なんでしてくれないんだ!気持ち良くないぞ!お前なんか嫌いだ!俺様を優先しろ!」。

いつも人を動かそうとし、人の顔色を伺う。期待通りの反応が返って来るかを見張り、期待外れだと怒る。善悪を自分の都合で判断する。社会人になっても感情がそれでは、周囲との摩擦が増え、疲れるのもしかたがないというものだ。

こういう脳で見る社会は、どこを見ても、奪い、奪われる争いだらけの世界に見えている。奪う相手は、奪おうとする自分の姿が鏡に映っているだけだと気がつかない。そして、依存的で怠慢な自分を正当化する為に、ますます外側の敵を巨大にし、自分を可哀想な被害者にして対抗しようとする。相手を滅ぼすことは自分を滅ぼすことだとも知らずに、正義の戦いに夢中になる。

二元の世界は、鏡に映った自分の後ろ姿を敵だと認識し、自分の背中に何度も矢を放つ世界なのだ。なので、相手に放ったつもりの矢が突然自分の背中に突き刺さり、何度も痛い思いをするのだ。一元の理論をまだ使いこなせないうちは、それに気づくたびに、こんなバカバカしい猿芝居をしていたのか!と、唖然とするのだが、またいつの間にか猿の繰り広げる「正義と悪」の戦いに夢中になっている。本当に感情を猿とは言い当て妙だと思う。

 

一元の理論を理解する過程は、この二元の思考でフル回転させていた不安エネルギーからの解放ともいえる。それは、相手に明け渡していたエネルギーが自分に帰って来ることなのだ。コントロール不能な世界からコントロールを取り戻すのだ。自分がどんどんパワフルな存在になっていくのを感じる過程なのである。

 

 

 

 最近テレビで「石油を燃やさない自然エネルギーへ転換する、エネルギー革命が世界で急速に起きている」という番組を見たとき、フッと思った。これは、思考のエネルギー革命なのだ。怒りを燃やして燃料とする不安エネルギーから、怒りを燃やさない創造エネルギーへ変換する時代が来ている。一元で生きるとはそういうことなのだ、と納得した。

 

 一元の理解を深めていくと、人生には偶然はなく無駄はない、ということが何となくわかって来る。それは、すべて完璧なフラクタル構造だからだ。過去も現在も未来も同じ曼荼羅図の中に同じ絵柄として美しい構造で並んで見えている。内側から悟りが来るとは、「あれ?こことここは同じ絵柄(構造)じゃないか!」とフラクタル(相似形)に気がつくことなのだ。同じ絵柄を使いまわしているだけなのに、見る方が意味付けを変えるので、その度に同じ構造が別の絵柄に見えてくるのだ。

例えば、私の場合、最初に目につくのは「猿」である。私の人生の曼荼羅図のそこかしこに猿の絵柄が入っているように、今の私には見えている。二元の考え方では過去は変えられないとよくいうが、「過去をどう意味付けるかは現在の自分が決めている。」という一元の理論を学んだ今では、過去は簡単に書き変わると知っている。

過去を書くうちに脳がコネクトされ、どう書き変わるのか、楽しみである。

(続く)

 

私の過去のブログ「モンキートレーナーたまこ」より

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る ⑴はじめに

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年08月23日

はじめに

 4年前フラクタル心理学のフローラプログラム(当時はビーナスプロジェクト)で初めてフラクタル心理学理論を学んだとき、「感情は、猿くらいの知恵はあるがまだ未熟な子どもの脳」だと聞いて、頭がフリーズした。「嘘でしょ⁉嘘でしょ⁉嘘でしょ⁉」本当に3か月間くらいは頭の中にその言葉がこだまし続けた。それくらい、感情を優先するのが自分らしく生きる為の正しい生き方だと信じていたからだ。

「ということは私は猿そのものじゃないか⁉ それじゃあ自分が間違っていて、これまで散々否定してきた方が正しかったのか!?」

 ずっと求めていたものに出会えたと喜び勇んで飛び込んだら、入口で棒で殴られたようなショックだった。

 代々続く神社の娘に生れてからずっと心の中に葛藤があった。もっと自分らしく好きなことをして好きなように生きたい!それなのにそれを許さない環境(神社、宗教、神職、父)の板挟みになり、なんで私の人生はいつも八方塞がりなんだろうと思っていた。

 今ではその理由はよくわかる。未来の大人の自分が、子どものままで好きなように生きようとするのを許さなかったのだと。

 現在フラクタル心理学理論を学び始めて4年半たつが(平成30年8月現在)、自分の過去の意味が「そういうことか!」という実感を伴って、内側から答えが得られるようになってきた。自分の思考で100パーセント人生を創造しているという一元の思考ルートが出来てきたからこそ得られる感覚なのだが、こういうときフラクタル心理学の素晴らしさ、凄さ、この理論に出会えた奇跡を感謝せずにはいられないと同時に、自分は本当に神なんだと実感する瞬間でもある。

 このブログを始める前に、わたしはフラクタル心理学理論を創られた一色真宇先生のカウンセリングを受け、自分の中のモヤモヤした想いを相談させて頂いていた。

「猿脳をつかってきた過去は活かせるのに、神職や精神世界を生きてきたもう半分の過去が、ストッパーがかかったように活かせないんです。」

「実家の神社の祭神は龍神ですが、まだ龍になる前の蛇だとも聞いていました。自分も、もう龍になって空を飛んでいけばいいと思うのに、まだ蛇のままで狭い穴にこもっていたい気持ちが強いんです。」

 その時一色先生から頂いたアドバイスは、「人生を過去から順を追ってブログに書きなさい。そうすれば脳がコネクトし、動きだせます。」というものだった。

脳がコネクトするという感覚は本当によくわかった。あの内側と繋がって悟りのような答えが来る感覚だ。

「書きます!」

 そう宣言したものの、どう書き出していいやら途方に暮れた。ブログは人の目に触れる。自分の未熟な過去を書くことには抵抗もある。ダラダラと書くだけではなんの意味もないだろう。迷いながら何度も書いては消すを繰り返すうちに、はっと気がついた。フラクタル心理学を学び始めてからずっと、自分の中のサルにばかり焦点を当てて修正を繰り返してきたが、このブログを書くことは自分の中の神の部分、過去の自分が自由を選ぼうとするのを許さなかったストッパーのほうに焦点をあてることなんだ!「思考は現実化する!100パーセント例外なく!」である。未熟なサル(蛇)にばかり焦点をあてて思考していたのでは、龍(神)となって飛びたてないんだと気がついた。

ストッパーの意味付けを変えるんだ!

 想い起こせば、本当に私の人生は出だしから神と猿と龍が付きまとう。先日、実家から持ち帰った古い神社の文献を読んでも、冒頭から役者が揃い、笑ってしまった。そういえばフラクタル心理学マスターコースを受講しながら、私の人生は誰かがストーリーを練りあげて書いたみたいに面白い。出来過ぎじゃないか⁉と何度も思ったのを思い出す。(もちろん未来の私が書いたのだ!)

 というわけで、これから自分の人生の記憶を辿ってみようと思う。これを書き終わったら、過去何度もイメージしていたように、蛇の皮を脱ぎ捨てて龍として空へ駆け登ろう。

 

次回に続く

 

 

天平勝宝7年(西暦755年)に建立されたと記録に残る

白瀧山の月入りの森に建つ高(タカオガミ)神社

 

 

 家族に問題が起きる時

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年06月12日

 

 

 今までなんの問題もなかったのに、何か新しいことをやろうとすると

途端に問題が起きることがあります。

 

例えば

仕事で新しい部署に移動したとき

子どもが新学期に入ったときなど

 

 

突然心配事が起きたときは

自分のことどころではなくなりがちです。

 

でも

家族の問題であっても

これは自分の問題だと考えると早期に解決できるって知っていますか?

 

むしろ、自分が問題から逃げてしまうと家族も問題から逃げ、

悩みは深刻化していきます。

 

家族にかけたい言葉が

「あきらめずに立ち向かいなさい!」であるなら

あなたが何かに立ち向かうことを避けていないか

「もっと謙虚になって人の意見を聞けば!?」であるなら

誰かの意見を無視し続けていないか

 

立ち止まって考えてみてください。

きっと思いあたることがあるはずです。

 

 

フラクタル心理学では

相手に言いたいことは自分に言いたいこと

これに例外はないと言います

 

あなたが自分の課題に立ち向かうようになれば

必ず家族も立ち向かうようになるのです。

 

そしてもう一つの大きな効果は

たまらなく不安だった

家族への心配が消えていくのです。

 

 

 

もし、ずっと同じ不満を誰かに言い続けている(心の中でも)としたら

どうしても向き合いたくない自分の課題があると考えてみましょう。

 

 

 

 

別にたいしたことじゃないと小さな問題を無視していると

 

無視できないほど大きな問題が起きて

ビックリすることになるのです

 

 

 

 

 

あなたは

自分次第で変えることが出来る世界と

 

自分ではどうにも出来ず

ずっと我慢するしかない世界と

どちらに住みたいですか?

 

 

思考は現実化する!100パーセント例外なく!

 

 

 

「人は鏡」の本当の意味を理解して

自分に起きる問題は

自分で解決できる人生にシフトしませんか?

 

 

フラクタル心理学を学びたい方は右のリンクから

 

 

カウンセリングルーム「桜」6月のセミナー「愛に気づく」

場所:広島県福山市松永町

詳細はホームページのフリースペースをご確認ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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