その他

蛇神はたくらみ龍神は斬る(16)神々の出雲 感情の解放Ⅰ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年01月10日

 

神々の出雲  (Ⅰ)感情の解放

 

 出雲大社の神職養成学校は、半日勉強し、半日は社頭奉仕といって、出雲大社で神職の仕事を手伝う。女子の生徒は巫女の仕事を手伝うことも多かった。夏や冬の長期休暇には他所の神社に一週間ほど研修に出向く。年に数回、御神跡巡り、大祓い百巻奏上、大寒禊といった荒行が行われ、2年目の冬には伊勢神宮で他の神職養成学校の生徒と合同の研修会があり、五十鈴川での禊もある。

 

 一年目が始まると、出雲の地で早朝から規則正しい生活をしているおかげで自尊心が出来てきたのだろう。次第に周りの同級生のやり方に腹が立つようになった。年下ばかりだったせいもあるだろう。ぶっきら棒で自分本位な過去の自分が周囲に見えて、腹が立って仕方がなかった。誰かに向けて思いっきり怒りをぶつけたのも初めての経験だった。フラクタル心理学では、外側に腹が立つ相手がいるときは、今は変えたいと思っている過去の自分の姿を見ているのだが、その当時は勿論知らなかった。

 2年目に下級生が入って来ると益々頭にくる出来事ばかりが増えた。過って不良で、散々親不孝し、上級生にぞんざいな口をきき、脅し、バカにする下級生は、父に反発し、見下している過去の自分の姿だった。だが、内側に神がいると信じていた当時の私は、脅されても怯まなかった。散々真っ向から睨み合い、毎日学校行事が終わると出雲大社の境内にある社を拝んで回り、裏山にある滝まで行って朗詠を叫んで気持ちの憂さを晴らしていた。それでも収まらない怒りを勉強に向けたおかげで、卒業する時は最優秀賞を受けることができた。5人しかいないのだから大したことはないが、頭にくるとこんなに勉強に集中できるものかと思うくらい怒ってばかりいた2年間だった。

 

 過っての自尊心が低い自分は、本当はいつも怒っていたのにも関わらず、怒りを表現するのが苦手だった。だから、自分の気持ちが自分でもよくわからなかったのだろう。内心では気持ちを言葉にして誰かに理解してもらいたいと心の底から願っていた。怒りを表現するには自尊心が必要なのだった。

 

 出雲大社で自分が腹を立てる原因が、もう一つあった。

それは男女の差だった。

 出雲大社では男性が入れても女性が入れない場所があった。同じ神職養成学校の生徒でも、そこは変わらなかった。生理になると女性は社頭に出てはならないという決まりもあった。生理は不浄という解釈なのだ。私は神社の娘だったが、初めて聞く解釈だったので、まるで女性そのものが不浄だと言われたようなショックを受けた。差別を受けるとこういう気持ちになるのか、と感じたものだった。(続く)

稲佐の浜

団体訓練、龍笛の練習をしていた思い出深い場所

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (15)神々の出雲

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2019年01月07日

神々の出雲

 

 神職の学校に行くことに決めたのは、長女が亡くなって4年後、銀行に勤めて5年目のことだった。岡山で看護師をしていた次女が家を継ぐつもりで帰って来ていたが、本人も父も本心では気が乗らないようだった。権威的で古い考えの父と、自由で行動的な次女は、もともとそりが合わなかった。姉は恐らく父の妹の、尊敬する叔母様(当時川崎医科大学附属病院で総婦長をしておられた)に説得されたのだろう。父は自分の性格と似ている3女に継がせたいようだったが、3女にはその気がまったくないのは明らかだった。当時の私は姉達を父から解放したかった。長女と同じように運命を父に決めさせたくなかったのだ。父に任せればまた姉が不幸になると思い込んでいた。自分が継ぐつもりで神職の学校に行くと言えば、姉達は父から解放され、すべてが丸く収まるような気がしたのだった。

「親に感謝出来ない者はこの世で幸せになれない」という生長の家の教えを知らなければ、とても考えられない決断だった。当時の自分には、どうすれば父に感謝出来るのかまったくわからなかったが、そこにこだわり続けることで出した結論でもあった。

 

 

 出雲大社にある神職養成学校での2年間の寮生活は、他では経験できない、なんとも特別な時間だった。それは団体訓練という軍隊さながらのⅠ週間から始まる。上下関係は徹底していた。私は当時24歳で社会人経験者だったが、ひとり自衛隊員だった年上の上級生がいただけで、他は全員年下の社会経験がない者ばかりで、ほとんどの者が社家の出(神社の跡取り)だった。毎年生徒数は異なるが、この年は上級生5人下級生6人の、総勢11人でのスタートだった。

 

 1週間の団体訓練の間は、午前中は東京の国学院大学から来られた教授の講義に始まり、午後は稲佐の浜までランニングし、砂浜でのダッシュ、声出し、規律正しく行動が出来るように号令に合わせて整列、行進する訓練が夕方まで続く。声出しは声帯が潰れ、喉から血が出るまで大声で叫ぶことを繰り返す。そうすることで祝詞を読む声が、腹から出るよく通る声になるのだそうだ。上級生が下級生をしごく感じとでもいうのだろうか。毎年最初のⅠ週間でその厳しさに逃げだす者がいると聞いたが、私達のときも1人が脱落した。男性ばかりの中に私以外に女性が一人いたのが救いだった。もし女性が私一人だったら、とても2年間は持たなかっただろう。ついこの間まで銀行業務をしていた自分が、稲佐の浜で軍隊のように整列して、軍歌を歌い、年下の上級生にしごかれながら訓練していることがなんとも不可思議で現実離れしており、内心可笑しかったのを思い出す。

 

 ここでも、親元を離れて、早朝から決められた規則正しい生活をする生長の家の道場での経験が役に立った。この頃はもう自分の中に神がいると信じていた私は、出雲大社にいることも決して偶然ではなく、内なる神様のお導きだと感じていた。(続く)

 

出雲大社の拝殿

巫女舞の笛と太鼓は生徒に担当させてもらえる

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る(14)蛇神のたくらみⅡ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年12月23日

蛇神のたくらみ(Ⅱ)

 

 これで私が高校を卒業する頃になっても、夢に向かって頑張る気持ちになれなかった理由がわかった。当時の私は、その気で頑張れば漫画家の夢をいくらでも追えたはずだった。だが、頑張る気力がなかった。それは自分を池の底に沈めたときに、自分だけでなく周囲まで破滅させかねない欲望も一緒に沈めてしまったからだ。つまり、早い段階で欲望を持つことを諦めたのだ。

 欲望は生きるエネルギーに等しい。欲望を抑えれば、生きる気力も抑えることになる。だからあんなに無気力だったのだ。夢を叶えられないなら、欲望なんか、はなから持たない方が楽だと早い段階で諦めたのだった。

 子どもの脳の持つ欲望は、人に依存し、人に満たしてもらおうとする。感情だけで生きているようなものなので、欲求を満たせないとなると感情が爆発する。子どもの感情の攻撃エネルギーは強大だ。「大嫌いだ!」「〇〇なんか死んじゃえ!」と短絡的に思う強い感情が現実化することを知っている龍の意識も、内側には存在する。だから、周囲を破滅させかねない怒りが爆発する前に欲望の方を封印するのだ。

 だが、欲望を封印しても怨みだけは残る。誰かに叶えてもらうのが当たり前になっている限り、どうせ欲望を持っても満たしてくれないのでしょ!と恨み続けるのだ。

 末子である私は、家族の誰からも可愛がられる位置に生れている。もちろんそれが欲しかったからその位置を自分で選んだのだ。下に姉妹を持たなかったので、自分で自分の欲望を満たすという発想が持てないくらいその恩恵に浸りきっていたのだろう。だが、「可愛がる」というのは相手を下に見るということなのだ。エッセンス的には思考の量が増えれば「バカにする」と同じ意味になる。ペットや赤ちゃんは可愛いが、思わず「なんて可愛いおバカさんなの。」と感じたことはないだろうか。

 「可愛い」を褒め言葉だと思ってはいけない。例えば男性から「可愛い」と言われて喜ぶ女性は多いが、これは男性から見れば女性を自分とは同列に並べようがないくらい下に見ているということなのだ。女性の方には、バカなふりをすれば可愛がって貰える、という下心が隠されている。なので、女性の方から相手を振ったりすると男性は猛烈に怒り、ストーカー化することすらある。それは、下に見ていた相手からバカにされたと感じるからだ。自分が可愛がる(下に見る=バカにしている)相手からバカにされると人は猛烈に怒る。つまり、男性から可愛がられたい女性ほど、人を下に見る傾向が強く、すぐに馬鹿にされたと怒るのだ。この世界はどこまでいってもフラクタル構造の鏡の世界なのだ。可愛いがる=可愛がられる、は表裏一体だ。それはバカにする=バカにされる、世界でもある。この世界から抜け出したいなら、自分の夢は自分で叶える(自立する)と決めることで「可愛い」から卒業し、子どものときに創った、見下す相手をつくることで自分の方が偉いと思う思考パターンを変える必要があるのだった。

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (13)蛇神のたくらみ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年12月16日

 

蛇神のたくらみ

 

 ここまで書いてきて、メッセージ性の強い夢を見た。それは自分が人柱となって池の底に沈められている夢だった。目が覚めてもずっと考え続けた。このイメージには覚えがあったのだ。以前誰かから聞いた話に、備後の服部の大池には、昔、若い娘が人柱として埋められたという。夢の中では、その埋められた娘が自分なのだった。そして、その上に大きな柱が杭として立っていた。

 人は自分に関係ないことをイメージ出来ない。ということは、私の中に人柱にされたような被害者の感情があるということになる。思考が現実化するこの世に、偶然はないのだ。

 そういえばその話を聞いたばかりのときも同じような夢を見たことを思い出した。とんでもない被害者意識が今も自分の中にあるということのようだ。自分が誰かに踏みつけにされ、今も日の当たらない場所で身動きできない状態にあるということを意味しているのだから。この思考を修正しなければ、地表(表舞台)に出ていくことは出来ない。

 

 私は夢とうつつの間で、必ず蛇を穴から引きずり出してやると決め、考え始めた。

 私を踏みつけにしている柱はどう考えても父だった。私はどうやら小さい頃、父に踏みつけにされたと感じる出来事があったようだ。具体的には思い出せないが欲望を止められた記憶が蘇る。ものを買ってもらえなかったとか、塾に行かせてもらえなかった、そんな誰にでも一つや二つはあるような思い出だった。

 フラクタル心理学は、100パーセント思考は現実化するという一元論だ。つまり、親も先祖も自分の思考が創り出したと考える。こう聞くと荒唐無稽に思えるかもしれないが、思考のエッセンスがフラクタル構造で現実化していることが見えてくると、実際その通りだと次第に納得がいくようになっていくのだ。

 私が郷里の古い歴史について書いた部分を思い出してほしい。金山銀山で栄えていたが、室町時代に落盤事故で鉱夫が何十人も埋まったままだと書いた。実はこれも私の思考なのだ。つまり私は、贅沢が好きで、一攫千金を夢見るような、刹那的な欲望の持ち主の自分を(自分の思考を)地中深くに埋めているのだった。

 エッセンスの相似形(フラクタル)は他にも見て取れる。実は、病気で亡くなった実家の祖父の父親は賭け事にハマり、借金を抱えたまま、祖父がまだ3歳の頃に北海道に追放されている。家の前も裏の畑も向かいの山も、すべて借金のカタにとられていたのを苦労して取り戻したのだとは、祖母に聞いた話だった。これは、登場人物や時代背景が違っていても、実は自分の脳の中にあるパターンを拡大投影して見ているのだ。

 つまり、私は人一倍欲望が強く贅沢で遊び好きな自分を、父親を杭にして地中深くに埋めているのだった。その杭がなければ、夢ばかりみて働こうとせず欲望のままに散財し、借金を重ねるような意志の弱い人間が表に出てくると知っているのだ。地中に埋めたのは自分自身なのだが、父に踏みつけにされたせいだと思っている限り、そんな自分を認めなくて済むのだった。「父のせいで」という被害者意識があるから渋々働いているが、父がいなければ働こうとさえしなかっただろう。

 自分の中にあるパターンは、やたらと気になるニュースを見ると分かりやすい。2年前オリンピック目前で、賭博が原因で無期限謹慎になったバトミントン選手のニュースを見たとき、自分の感情が大きく動いた。このとき「LDP」をやって、自分の中にこのパターンがあることに気がついていた。その後何度も思考修正を重ねてきたが、最近その選手は、以前の弱点を克服して見事な復活を果たし、世界ランク1位に返り咲いて素晴らしい活躍をしている。謹慎期間にたゆまぬ努力を重ねて、自分自身の弱さに見事に打ち勝っている彼の姿を自分のことのように喜ぶ自分がいるのは、もちろんそこに未来の自分を重ねて見ているからだ。人は自分の脳を通してしか外側を認識できない。他人事といえどもそこに感情が動くとき、自分自身のことを見ている。

 子どもの脳(感情脳)はもともと遊び好きだ。消費することしか考えられない。自分が稼ぐことはⅠミリも考えず、お金は親からもらうのが当たり前になっている。だから、稼ぐ人の気持ちが理解できず、使うことだけを考えるのだ。つまり、賭博にはまるような人の思考は、お金のありがたみ=親の愛がわかっていない人だと言える。そういう人は、お金は汚いものだ、とか、お金持ちには碌な人間がいないと思っている。平気でお金をどぶに捨てるような行為(いらないものを買う、賭け事、騙されて損をする)をし、消費するばかりでお金を活かすことができない。

 お金には親の愛が詰まっている。親は楽しい、とか、面白い、というような自分の子ども心を満たす為に仕事をしているわけではない。そもそも子ども心では仕事にならない。子どもを育てる為にはお金がかかり続ける。やれ大嫌いだ、疲れた、面白くない、そんな感情(子ども心)を使ってばかりいては仕事を続けられないのだ。だから、感情(子ども心)を殺して仕事に励む。子どもは、そんな日頃感情を押し殺して頑張る父親を、笑ってくれなかった、褒めてくれなかった、と感情脳で恨んでいたりする。これは、日本人が日本語しか理解できないように、子ども脳(感情脳)は感情表現しか理解できないからだ。父親が日夜感情を押し殺して働くのは家族の為なのだが、理性脳が育っていない子どもは、理屈を言う父親を感情が薄い=冷たい人だと判断し、母親のように身近で絶えず世話をしたり、声を掛けてくれたり、笑ってくれない父には自分への愛がないと思ってしまうのだ。だから、平気でお父さんなんか邪魔だ!と考えたりする。そのせいで父親の愛(=お金の価値)がわからない人間になってしまうのだ。

 私は父親の愛が分かっていなかった。自分がいつも消費する方を選ぼうとするから、その自分を養う為には猛烈に働く人を周りにつくる必要があったのだ。だから自分の人生に、いつも休日も返上して働き続ける人を見続けていたのだった。そして、表層意識では「そんなに働くから病気になるのだ。」と意味付け、自分は遊ぶ方を選んで家族が病気にならないようにバランスをとっている気でいたのだから、子ども心には恐れ入る。だから、いざ自分が働こうとすると、昼夜も休日もなく働かされると思うから(自分がそうやって周囲を働かせていたから)仕事に没頭するのが怖くなるのだ。それだけではなく、どんなに頑張ったとしても、自分の働きを認めることができないのだった。

 

 

 

 何度も言うが、感情脳は子どもの脳なのだ。なので、大人になっても感情を使う人ほど人生は山あり谷ありのジェットコースター人生になっていく。最初のうちはそのスリルを楽しむ余裕があるが、感情を満たすことだけに夢中になるうちに、手に負えない出来事を創り出す。子どもやペットを天使のように無垢で可愛いと思っているなら、感情脳の修正すら出来ないだろう。正義はそちらにあると信じ込んでいるからだ。だが実際は違う。残酷なのは子どもであり、無垢のほうなのだ。無垢が良いものだと思っていると、無垢であり続けようとする。それは敢えて無知であり続けようとすることなのだ。親をどんなに働かせても、傷つけても、親なら我慢して自分を養うのが当り前だと思っている。それは自分がそっち(養う)側に回ったことがないから、その痛みがわからないのだ。そして、出来れば永遠に回りたくないと考えている。だから大人になっても無垢な子どものままでい続けようとするのだ。だが、それは成長しようとしないことに等しい。

 子どもは楽しいことが好きだ。一度面白いと熱中すると自分しか見えなくなる。相手の嫌がる姿を見て楽しむ残酷さも、視野の狭さからだ。ちょっとからかっただけのつもりがエスカレートしていじめにまで発展し、ちょっとスリルを楽しんだだけがストーカーになっていく。だが、本人はさほど酷いことをしたとは思っていない。それは子ども心の延長上だからだ。子どものときは当たり前にやっていたが逮捕されたりしなかった。もっと刺激的な感情を味わう為に行動がエスカレートしていくのが子ども脳(感情)の特徴なのだ。なので、無垢な子どものままで生きることは自分の首を絞めることになる。そのうち知らないでは済まされない事態を創り出すからだ。

 

 もしも、あなたに大嫌いな人がいて、そいつのせいで○○出来ない!といつも腹を立てているとしたら、

あなたは、深層意識を正しく翻訳できていない。

 

 本当は、あなたはその嫌な奴の、まさにその嫌な部分が大好きなのだ。だから、人生で何度も同じような嫌な人物を身の回りに創り出す。むしろ、その人物がいないと困るのだ。その嫌な人物がいるおかげで、自分の人生に集中して本当にやるべきことから、納得出来る理由をつけて逃げられるのだから。本音はまったく別のところにある。バカに出来る(傲慢でいられる)。会社を辞める理由が出来る。(怠慢でいられる)人のことで悩んでいると頑張っている気がする。(自分自身を誤魔化せる)等々

 あなたが本当に嫌っているのはその人物ではなく、悪者を創り出すことで今やるべきことから逃げる卑怯な子ども心(感情脳)なのだ。もし、嫌な奴を創り出さなければ、その攻撃の矛先は自分に向かい、真実に対峙しざるを得なくなる。だから、必死に子ども心(感情脳)は自分自身を誤魔化し続けるのだ。

闇龗の一の降りで修行する修験道の僧侶

 

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (12)龍の教え

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年12月07日

 

 

龍の教え

 神職の家に生まれて、なぜ他の宗教に入る必要があるのだろうかと思われるかも知れない。実は神道には教義が存在しない。古くは山や岩などをご神体とする自然崇拝から始まっているからかもしれない。「大和は言挙げしない国」と言われるように、もともと理屈を好まない国民性もあると思う。教義はなくとも、日本人の祭りや清浄を好む意識、伝統や家庭のあり方、生活、神話(古事記など)の中に、神道の持つ教義的なものが息づいている。明治の文明開化で海外の価値観がどっと入ってきたために、それまでの生活習慣が急激に変わり、日本人の精神性を維持することが危ぶまれた結果、大本教から始まる新興宗教が次々と世に出てきたのではないだろうか。そう思えるくらい宗教「生長の家」の教えは自分の肌になじんだ。

 生長の家では「人は神の子」というが、神道では生まれると百日祝い(ももかのいわい)として氏神様にご報告にいく。その後も七五三、成人式、厄払い、還暦と、亡くなるまで氏神様との付き合いは続く。亡くなると名前に命(みこと)の文字を入れて神として祀る。まさに人は氏神様の子なのだ。毎朝神棚に御神撰を供えて手を合わせるのは、我が家では子どもの役目だった。そのご神前には中央に御神鏡が置かれ、神前を拝む行為は鏡に映った自分を拝むことでもあった。「かがみ」の中の「が」を取れば「かみ」となるように、人が神に見えないのは我があるからだとは、父に聞いた記憶がある。誰が見ていなくてもお天道様が見ているともよく言っていた。

「人は神の子」というフレーズには、今さら当たり前のようで、やっと故郷に戻ってきたような懐かしささえ感じて、心底納得できるのだった。それまで、自分の性格を散々嫌っていたが、生長の家の教えから、自分の実相は神なのに自分にはそう思えないのは、曇った眼鏡(我の眼鏡)をかけて自分を見ているからで、いくらメガネが曇っていようがその奥には完全な神の実相がある、と思うことが救いになった。日々、曇りを取るために神想観という座禅をして、神のエネルギーが自分の中に流れ入り、満たされていくのをイメージするのだった。そして、人と向き合うときは「有り難うございます」と手を合わせて、相手の神性を拝むのだ。

 最初のうちは「親に感謝出来ない者はこの世で幸せになれない」という言葉には抵抗があった。感謝行に参加して、親への感謝の言葉を一日中繰り返し唱えると、「なんで私が親に感謝しなくてはならないのだ!?こんな想いをするのは親(父)のせいなのに!!」と歯ぎしりするほど悔しさがこみ上げてきたものだった。だが、私はどうしてもこの世で幸せになりたかった。

 

 

 銀行勤めを続けながら、生長の家の様々なセミナーに参加し、本を配り、神想観をする生活を4~5年続けるうちに、向かい合う相手が神に見えないとしたら、自分の方に問題があるのだと自然と考えられるようになった。相手を一方的に責めるのではなく、自分を変えようと努力するようになったのだ。自分の我(眼鏡の曇り)を取り去ることが出来れば、相手は神の様に見えるはずだった。だが、自分のどこをどう変えればいいのかを自分では自覚しづらく、相手を否定したい感情は動き続ける。なので、否定的な感情が強く動くときほど絶対に逃げないと決め、相手を鏡にして、良い人だと思えるまで自分の内面を変える努力をやり続けるしかなかった。

 このやり方は、生長の家から離れて、30年後にフラクタル心理学に出会うまで続けていた。3年、5年、ときには十年以上も時間をかけて、確実に相手が変わるようになっていった。一度その実感を持つと、その度に「やっぱり人は神なのだ。相手に問題がある訳ではない。自分の迷い(我)を相手に映して見ているだけで、自分の迷いを取れば相手も良い人に変わる!」という思いは強くなる一方だった。そして、誰の中にも神性があるという実感も深まるのだった。

 

 

 ところで、フラクタル心理学では、問題となる部分をピンセットで摘まみ上げ、ここをこう変えれば相手だけでなく現実もこう変わるとわかる「LDP」という方法がある。それは、的確な部分さえ摘まみ上げれば、あっという間に、ときには一瞬で変わることすらある。そういうときは、大嫌!怖い!というような強い感情も、狐が落ちたように一瞬で消えてしまうのだ。それは霊能力のような不思議な力によってではない。数式のように矛盾のない、現象学を元にした心理学理論によって可能なのだった。更に、将来の方向性まで的確に見通せるのだから、この心理学に出会ったときの私にとっては、まるで一家に一台あった電話機がいきなり最新機能付きの携帯電話にバージョンアップしたようなものだった。この理論を一から創り上げられた一色先生にお会いしたとき、「スサノオノミコトの草薙の剣を手に入れたような気分です!」と興奮して話したことを覚えている。本当にそれが実感だった。だが実際、多機能の携帯電話を手に入れたとしても、使いこなすまでには訓練が必要なのだった。(続く)

 

高龗神社のご神体である三つの瀧(闇龗)の一つ 二の降り

各地にある高龗(たかおかみ)と闇龗(くらおかみ)は対の神様といわれ、必ず高龗は山の上の高い場所に、闇龗は日が差さないような低い暗い場所にある。心理とフラクタルに考えれば、高龗が表層意識で闇龗が深層意識という言い方も出来る。

 

 

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る」(11)東の龍と西の虎Ⅲ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年12月02日

 

東の龍と西の虎Ⅲ

 もう一つ気がついたことがある。長女にとって私は、ライバルにはなり得ない、気が置けない存在として、いつも面白いことをいって笑い合える癒しの存在なのだと自分では自負していた。

 だが本当にそうだろうか?

 確かにそういう面もあった。子どものときから姉妹で集まってバカ話をして大笑いすることがあった。そういうとき、私は張り切って姉達を笑わすのだった。話がツボに入ると長女も涙を流して笑い転げたものだ。私は姉妹で持てるこういう時間が大好きだった。

 だが、それは長女の一面でしかなかった。最近子どもの頃の長女のことを母に尋ねたとき、「あの子は子どものときからしっかりした、きつい子だった。」と言っていた。確かに長女はとてもしっかりしていた。仕事の役割分担はいつも長女が決め、指揮をとって姉妹にやらせていた。私にとっては煙たい部分も多かったはずだ。私が高校生の頃には「この子は家から出さんといけんよ。」と盛んに両親に進言していたのを覚えている。それは、依存的でいつまでたっても自分の進路を自分で考えようといない私を心配しての言葉だったはずだ。だが、当時の、いつまでも両親の庇護のもとに依存し続けたいわたしには、それが愛のある言葉には聞こえなかったはずだ。私の中にも姉をきついと思う気持ちがあったはずなのに、自覚できないのはなぜだろうか?

 姉が嫁いだ先は大きな和裁学校だったが、嫁いでからも益々好調に業績を伸ばし、学校を建て替え、規模を大きくしていた。若くして夫を亡くしたお姑さんが一人で大きくされた学校で、育てられた4人のお子さまも外交官から京都の和服問屋や大学教授の奥様など、立派な方々ばかりだった。

 姉は厳しいお姑さんの指導を受け、大変そうだった。泣きながら実家で母と話している姿も見ていた私は、姉に呼ばれて預金集めに行くたびに面白い話をして、姉の笑う姿を見て、私なりに姉の役に立っているつもりでいた。だが、姉にとっては、むしろそんな大変な状態にあっても私のことが心配だったのだ。銀行のノルマをちょっとでも助けてやろうと絶えず気に掛けてくれていたのだった。そんな姉の視点が当時の私の中にはなく、姉の大きな愛に気づけなかった。

 父に勧められ、あまり気乗りではなかったが決めた結婚、厳しいお姑さんの指導、中々出来ない子ども、上手くいっていないらしい夫婦の仲。

 実際に姉の気持ちを聞いたわけでもないのに、自分で勝手に姉の気持ちを想像し、姉の人生を悲劇と決めつけて見ていなかったか?

 努力が好きで、自分の能力で人の役に立つことが何よりも生き甲斐だという人にとっては、姉の人生はやりがいがある毎日だと感じるかもしれない。だが、仕事嫌いで、努力が嫌い、空想の世界で遊ぶのが一番楽しいと感じている私には、当時の姉の人生から喜びを見出すことが出来なかったのだった。

 人は自分の脳を通してしか何も認識できない。姉の悲劇のような人生をつくったのは私の脳なのだ。それは自分の中にパターンとして存在する。もし自分が長女のような立場を選んだら、私は姉と同じように若死にするだろう。だから、絶対に頑張り過ぎない道を選ぶ。そのパターンをつくったのは子どもの自分だ。祖父の死に接して、「頑張り過ぎたら病気になって死んでしまう。」と意味付けたのだ。

 

 これも自分への呪いだった。脳には主語がないとフラクタル心理学ではいう。つまり、私が見ている現実では、だれであっても頑張り過ぎたら死んでしまうというパターンに当てはめられる。これは、元々は頑張らない自分への言い訳として意味付けたのだが、その後の人生を法律のように支配する。実際、そういう現実を姉以外にも度々見ることになるのだった。

 この呪いを解くには、仕事を好きになる必要があった。コツコツと努力することを好きになり、本物の能力をつけて、その能力で人の役に立つ喜びや達成感を知ることが、呪いを解く一番の近道なのだ。だが、そう聞いたとしても、仕事嫌いの人間には、それこそが一番遠い道のりに思えるだろう。感情の抵抗には敵わないことを散々身を持って知っているからだ。一度子どもの頃についてしまった思考パターンを変えることはそれくらい難しい。

 

 ずっと自由に夢ばかりみていたい、なんの責任も負いたくない。自分で努力しなくては夢を現実のものには出来ないとわかっていても、どうしてもやる気になれない甘えた自分自身を愛することが出来なくなっていた当時の私に、生長の家という宗教が救いの道を示してくれたのだった。(続く)

 

イチョウの御神木

 

 

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る(10)東の龍と西の虎Ⅱ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年11月22日

東の龍と西の虎Ⅱ

 

 私の母は、上に二人の兄、下には妹と弟の5人兄妹の長女で、母の母親は教員を退職したのちに地元の婦人会から支持を受けて、広島県内では初めての女性の県議会議員となり、地元神石ではその名を知らぬ者がいないくらいに活躍されていたと聞いている。母の父親は市の職員で、母が高校を卒業する頃に結核で亡くなっていた。

 この祖母は、長く議員として地域に貢献された立派な人だったが、短気でもあった。当時はどこの家でもそうだが、お盆や正月に家族で母の実家に墓参りに行くと、母の兄妹弟が子ども同伴で集合し、大人数だった。そのときの大人達が祖母の機嫌を損ねないよう緊張していたのが子どものわたしにも伝わってきたものだ。父もこの祖母には頭が上がらないようだった。

 母もこの祖母の性格と似たところがあった。普段は朗らかでおっとりとして夫にも従順で、祖母とは正反対の性格に見えるが、お正月やお盆や祭りが近づきその準備が始まると、人が変わったように命令して人を動かすようになる。そういうときの母は取り付く島もないくらい次から次へと仕事を指示し、言葉使いまで祖母そっくりになった。父はそうなった時の母を「のぼせとる」と表現していた。

 引退後は広島市で一人暮らしをしていた祖母が、我が家に一度だけ遊びに来たことがあった。そのとき、母と祖母がそっくりだなと感じた瞬間があった。祖母が家に来てゆっくりするのは、私の記憶の中ではこの時が最初で最後のことだったと思う。祖母が議員になって地元の若者に流行らせたという「百人一首」を、わたしが読み手となり、母と祖母がとりあったときのことだ。読み手の私がちょっとでも詰まろうものなら、容赦なく双方から罵声が飛んできたものだ。お互いの集中力と闘争心の凄まじさに、怖さを通り越して呆れるくらいだった。祖母はその後老衰で亡くなったが、母は90歳近い今も百人一首の歌をよく覚えており、孫たちが集まると一緒にとるのを楽しみにしている。最近ついに二十歳を越えた孫に敵わなくなったが、今も2番手を維持している。

 

 

 

 母が父と対抗するときは、当時独身のまま広島女学院大学の理事長をされていた母の父方の叔母や、県議会議員を務める自分の母親の大物ぶりを自慢するのだった。そして自分の父親がいかに優しく、地域や職場で信頼されていたかを話すのだ。それは地域の住民と言い争ってばかりいるプライドの高い父への皮肉も込められていた。それに対して父はいつも「女性が男を差し置いて仕事をするのはダメだ!家庭を守ってこそ女性の真価だ!」と対抗していた。するとすかさず母は父の妹の独身の看護婦長を持ち出し、「それじゃあ彼女はどうなのだ⁈」と迫る。すると父は「社会で結婚もせずに活躍する女性は、人間としては半端ものだ!」と言い放ったものだ。そして「強い女は男を食う。」と祖母の夫が亡くなった原因を、あたかも祖母のせいのように話すのだった。その会話は度々繰り返されていたが、私は子ども心に、父の言い分にいつも反発を感じていた。

 

 これはフラクタル心理学の一元の理論からみると、どういうことだろうか。

 人は常に自分の脳を通してしか外側を認識できない。小さい時の記憶は、未熟な子どもの脳を通して認識したものを事実として記憶している。だが、それは本当に事実といえるのだろうか。もし私の姉達に同じように記憶をたどるようにいうと、恐らく全く違うことを言うだろう。父や母への認識も異なるはずだ。もちろん同じ体験をしていないのだから違うに決まっていると言いたくなるかもしれない。だが、三日前に食べたものさえ覚えないのに、何十年も前の記憶の一点を捕まえて絶対的な事実だと言い張りたい自分がいるとしたら、それは何故だろう。

 

 自分の脳を通してしか認識できないということは、過去を語るときも、他人を語るときも、今の自分の脳が語っている。過去に問題があったというなら、それは現在にも同じ問題があるから脳はそう認識するのだ。必ず今の自分の中にあるものでしか、過去も未来も、他人のことも語ることは出来ない。

 ということは、母の様に短気ですぐに怒っていたのはわたしであり、自分以外の人の業績を自慢して張り合うのも、忙しくなるとすぐに頭に血が上り、のぼせるのも私だ。「女は家庭の中に納まり男が養うべきだ!」と父に言わせて、一見従順なふりをしながら、なんだかんだと父にケチをつけていたのも私なのだった。それは、今現在の自分の現実の中にも存在する自分の問題だから、過去にも同じ問題があったといいたくなるのだった。

 実際の母は、何も知らないところから兼業農家の社家に嫁ぎ、神職で留守がちの父に代わって、人を雇って梨農園を切り盛りし、家族が食べる野菜作りから、祭りの準備、果ては本家の親戚付き合いから近所付き合いまで立派にこなしていたのだった。朝は早い時には4時前には畑に入り、夜は夜なべして誰よりも遅く寝ていた。私が小さい頃はまだ洗濯機がなく洗濯板と足をつかっていた。ということはそれ以外にも家族の洗濯をし、掃除をし、食事を作り、動物(山羊、猟犬、猫、鶏)の世話までしていたのだ。時には山へ薪を拾いに行くのについて行ったりもしていたが、子どもの私の記憶には、いつも生き生きと動いていた母の姿があった。夜なべして子どもの衣類や靴下のほつれを縫いながらうたた寝している母の顔に、父が墨で〇☓を描いてからかっていたのを思い出す。

 

 いつも働いている両親の姿を見ると、夢見がちな子どもの私は、苦しくなるのだった。その苦しさの原因を、「両親が働き過ぎだからだ!そんなに働いたら祖父のように病気になって死んでしまう!」と思うことで、働くのが嫌いで家業を手伝いたくない怠慢な自分の中にある、両親への罪悪感を誤魔化していただけなのだ。そして、普段は猫のように振る舞っているが、隙あらば主人に牙で噛み付こうとする虎のような自分を母に投影し、両親が対抗する姿を見ているのだった。

 「父が言うように、自分が頑張り過ぎたら男性を食ってしまうかもしれない。だから頑張らずに、男性の後ろをついて行った方が良いのだ」と、まんまと自分の人生の責任を放棄する理由をつけて、いつまでも空想や本や漫画の世界で遊び、何かあったら父に責任を押し付けて責めるのだった。

 子どもの頃の両親への被害者意識は、必ず子どもの自分にとって怠慢、傲慢な自分を正当化できるというメリットがあるから、被害者を選んでいるのだ。それは、現在の現実の中にも同じメリットが存在するので、脳は過去の記憶を手放そうとせず、「絶対にこうだった!」と言い張るのだ。だが被害者意識は攻撃のエネルギーだ。結局は自分の首を絞めることになる。私の場合は、大人になっても自分で決めることができず、責任がとれず、常に上からの許可がないと動けず、いざ自分が人の上に立とうとしても立てないという事態を引き起こす。そして、その度に被害者意識に囚われて誰かを責めることを繰り返すのみで、現状を変える力を持てないのだ。そして、被害者意識の裏に隠れた罪悪感があるから、自分が幸せになることを阻まれる不安から常に逃れられない。

 さらに、頑張り過ぎたら男性(上)を食う!という言葉は、自分への呪いとなって生き続ける。身の回りでそういう現実を度々見ることになるのだ。それくらい私たちの感情のパワーは現実化の力を持っている。だからこそ、父にそういわせることで自分のパワーを封印したともいえるのだった。

 その呪いは、物語「眠りの森の美女」のように、いつか未来で解くことが出来る。だがそれは、王子様が現れて解いてくれるわけではない。感情のパワーから攻撃のエネルギー(被害者意識)が抜けてもう安全だと未来の自分が認めたとき、やっと封印が解け、本来のパワーを全力で解き放つことができるのだ。(続く)

 

白滝山の中腹にある高龗神社の第2の鳥居

鳥居は結界となってエネルギーを封印しているという説もある

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (9)東の龍と西の虎1

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年11月18日

東の龍と西の虎1

 

 長女の死が私にもたらしたものは、将来を自分の頭でしっかり考えていた次女と三女とは違い、頭をもがれた大蛇(おろち)のような状態だった。姉が生きていた頃は、大蛇の頭が長女で、胴体は次女と三女、さながら私はいつ切り捨てられてもよい尾の部分だと感じていたのだ。だから何も考えず前の動きに従って後ろをついて行くだけでよかった。だが頭がもがれたため、自分の胴体に自分の頭をつけなくては前に進めない状態になってしまっていた。

 

 末子の私は、小さい時から当然のように母に一番甘えていた。狭い山間の集落に同性の同級生が5人もいたので遊び相手に困らなかった私は、外で遊んで帰ると畑にいる母のもとにいき、よくおやつをねだっていた記憶がある。母は仕事の手を止め、家に帰っておやつを与えてくれたものだ。一つ上の姉はおばあちゃん子で、母にあまり面倒をみてもらった記憶がないと言うが、私は祖母に面倒をみてもらったという記憶があまりない。それでも気がつけば近くで草取りをしている祖母をよく見ていたので、きっと友達と遊ぶのを見守ってくれていたのだろう。そのうち祖父が病気になると祖母は孫の面倒どころではなくなり、母は祖父に栄養をつけてもらう為にヤギを飼い始めた。複数頭いたヤギの世話も、母について乳しぼりをしたり、小屋から畑まで移動させたりしていたのは、姉妹では私だけだったと思う。一番小さいせいもあってか、当り前のように母を独占していた。

 母は、私にとって気安く何でも言える存在だった。空気のように気を使わず、言いたいことを言い、当り前のように世話をしてもらっていたのだ。それは、幼児のときなら当然だと感じる人もいるかもしれない。だが、世話をしてもらうことはもちろんだが、気安く何でも言えることが良いことだと思っている思考回路を大人になっても使い続けると、依存的な自分を変えるのは難しい。何でも言いやすい人間関係が一番だと思うから、社会の厳しい上下関係や横のつながりの乏しい無言が求められるような職場環境は耐えられなくなるのだ。しかも、幼い頃につくった感情のパターンは、耐えられない環境の方を「悪」と認識して、自分を環境に合わせて成長させるべきとは思わないのだ。そのうち傍若無人な言葉使いをする無礼な人に悩まされるようになるだろう。それは大人になっても母親に言いたい放題のままの自分の姿が鏡のように外側に投影され、母親に感じさせている嫌な想いを自分が受け取っているだけなのだが。

 

 

 これまで私は、父が祖父の代わりにやりたくもない神職をやらざるを得なくなったころ、農業では必要なかった人間関係に苛立ち、母に八つ当たりしていたと思っていた。だが、父と母との当時の会話を思い出すにつれて、なぜ今まで目の前に見えていたのに気がつかなかったのだろうと思うくらいに、父に従順な母というイメージとはかけ離れていたことに気がついた。母は、東の龍と西の虎のように、父に対抗していたのだ。そういえば大人になってからも父への愚痴を随分聞かされていたな、と思いあたる。

 ひとは自分の脳を通してしか外側を認識できない。幼児といえども、同じなのだ。私は未熟な自分を母に投影して、父に対抗していたのだった。(続く)

 

 

 

 

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (8)龍の目

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年11月13日

 

龍の目

 

 しばらくは職場で涙が出そうになると、こっそり抜け出して「生命の実相」をむさぼり読んだ。すると心が落ち着いて、何気ない顔をして職場に戻って仕事を続行出来るのだった。

 

 

 フラクタル心理学の一元の理論から読み解けば、自分がこうなってしまったのは、すべては与えられるものだと思い込んでいる蔓の思考ルートのせいだった。蔓はいつも巻き付く木を探している。子どものときは親に巻き付いて生きている。親が与えてくれる栄養で生きるのが当たり前なのだが、大人になるにつれて自分の足で立つことを覚えていかないといけない。それが分かっている大人の自分もいるのだが、いつまでたっても誰かに巻き付こうとし、与えて貰おうとする蔓のルートが残ったままなのだ。それは無意識の思考ルートなので、なかなか自分で気がつくことも、変えることも難しい。

 理性の脳を使っているときは確かにそれが当り前だと思うのだが、感情の脳に切り替ると途端に依存的な6歳児に戻ってしまうのだ。脳は頻繁に切り替わっていることを当時の私は知らなかった。しかも感情脳で考えたり行動したことを、理性脳は数に入れない。時にはないものとし、時にはあるものとして、自分の都合よく利用することはあっても。

 私の感情脳は、「父は、私のほしいものをもっと与えてくれるべきなのにくれなかった!」と、責めていた。本やテレビを見て派手できらびやかな世界に憧れ、空想の世界を楽しむことばかりしていれば、いつか自分も自動的にそうなれると思っていたのかもしれない。実際は自分が地道に努力し、手に入れた能力だけが、自分の未来に満足や豊かさをもたらすことを知らなかった。父に従って銀行に勤めても、実際は事務をこなす地味な毎日の繰り返しだった。将来結婚したとしても、幸せよりも思いどおりにならない苦労の方が多いことは、亡くなった姉を見ていて感じていた。地道に生きたとしても楽しいことは一つもありそうになかった。

 当時の私は、自分が欲しいものが何ひとつ手に入っていないじゃないか!と父に対して怒り、思い通りにならない人生にヒステリーを起こしていたのだった。

「生まれたまま(自然のまま)が一番でしょ!」

「楽しいのが人生!」

「生れたままが一番」とは、何も努力する必要がないと感じているのだ。「楽しいのが人生」とは、楽しいことしかやろうとせず、それ以外のことはつまらなく無意味にしか感じられないのだ。

これが6歳の私がつくった感情の思考パターンになっていた。

 

なぜこんなに能天気な依存脳になってしまったのか、それは、私が4人姉妹の末子に生れたことも大きく影響していた。(続く)

 

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (7)龍の目

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年11月09日

 

龍の目

 姉に続くように祖母もその翌年亡くなると、私は銀行での仕事が手につかなくなるくらい精神的に追い詰められた。仕事中涙が止まらないのだ。誰にも気づかれないように度々誰もいない更衣室まで抜け出して、心を落ち着かせなくてはならなかった。

 私は自己嫌悪の極地だった。夢に向かって自分の将来を自分で掴むという気概がまったく持てない。何よりも、誰からの評価も高かった長女が亡くなったのに、自分が生きている意味がわからなかった。自分は生きる価値がない人間に思えた。

「死にたい」

 そう思っては涙がこぼれた。

こんな状態の自分を、まだ誰にも気づかれないうちに早くなんとかしなくてはと焦っているとき、家にあった、以前母から「良い内容だから読んでみたら?」と勧められたことがある本を、手に取ってみた。

それは、「生長の家」という宗教の教祖が書いた「生命の実相」という本だった。読むなり引き込まれ、貪るように読んだ。

 本の内容の中で、今でも特に心に残っているのは、この言葉だ。

 

「人は神の子」

「父母に感謝出来ない者はこの世で幸せになれない」

 

今思うと、当時の私は、父への恨みで一杯だった。

父の言う通りにしたから姉が死んだ!父は間違っていたじゃないか!

姉が死んでも自分が姉の代わりにはなれない。父にとって私はやっぱりどうでもいい存在なのだ!

自分なんか生きている価値がない!

 

自己嫌悪と怒りと罪悪感で、身動き出来なくなっていた。

だが、当時の私は、自分のどこがどう間違っているから、今の状態になっているのかがわからなかった。

ただ、この「生命の実相」という本に書いてあることは真実だと思えるのだった。(続く)

 

 

 

 
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