2018年

蛇神はたくらみ龍神は斬る(14)蛇神のたくらみⅡ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年12月23日

蛇神のたくらみ(Ⅱ)

 

 これで私が高校を卒業する頃になっても、夢に向かって頑張る気持ちになれなかった理由がわかった。当時の私は、その気で頑張れば漫画家の夢をいくらでも追えたはずだった。だが、頑張る気力がなかった。それは自分を池の底に沈めたときに、自分だけでなく周囲まで破滅させかねない欲望も一緒に沈めてしまったからだ。つまり、早い段階で欲望を持つことを諦めたのだ。

 欲望は生きるエネルギーに等しい。欲望を抑えれば、生きる気力も抑えることになる。だからあんなに無気力だったのだ。夢を叶えられないなら、欲望なんか、はなから持たない方が楽だと早い段階で諦めたのだった。

 子どもの脳の持つ欲望は、人に依存し、人に満たしてもらおうとする。感情だけで生きているようなものなので、欲求を満たせないとなると感情が爆発する。子どもの感情の攻撃エネルギーは強大だ。「大嫌いだ!」「〇〇なんか死んじゃえ!」と短絡的に思う強い感情が現実化することを知っている龍の意識も、内側には存在する。だから、周囲を破滅させかねない怒りが爆発する前に欲望の方を封印するのだ。

 だが、欲望を封印しても怨みだけは残る。誰かに叶えてもらうのが当たり前になっている限り、どうせ欲望を持っても満たしてくれないのでしょ!と恨み続けるのだ。

 末子である私は、家族の誰からも可愛がられる位置に生れている。もちろんそれが欲しかったからその位置を自分で選んだのだ。下に姉妹を持たなかったので、自分で自分の欲望を満たすという発想が持てないくらいその恩恵に浸りきっていたのだろう。だが、「可愛がる」というのは相手を下に見るということなのだ。エッセンス的には思考の量が増えれば「バカにする」と同じ意味になる。ペットや赤ちゃんは可愛いが、思わず「なんて可愛いおバカさんなの。」と感じたことはないだろうか。

 「可愛い」を褒め言葉だと思ってはいけない。例えば男性から「可愛い」と言われて喜ぶ女性は多いが、これは男性から見れば女性を自分とは同列に並べようがないくらい下に見ているということなのだ。女性の方には、バカなふりをすれば可愛がって貰える、という下心が隠されている。なので、女性の方から相手を振ったりすると男性は猛烈に怒り、ストーカー化することすらある。それは、下に見ていた相手からバカにされたと感じるからだ。自分が可愛がる(下に見る=バカにしている)相手からバカにされると人は猛烈に怒る。つまり、男性から可愛がられたい女性ほど、人を下に見る傾向が強く、すぐに馬鹿にされたと怒るのだ。この世界はどこまでいってもフラクタル構造の鏡の世界なのだ。可愛いがる=可愛がられる、は表裏一体だ。それはバカにする=バカにされる、世界でもある。この世界から抜け出したいなら、自分の夢は自分で叶える(自立する)と決めることで「可愛い」から卒業し、子どものときに創った、見下す相手をつくることで自分の方が偉いと思う思考パターンを変える必要があるのだった。

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (13)蛇神のたくらみ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年12月16日

 

蛇神のたくらみ

 

 ここまで書いてきて、メッセージ性の強い夢を見た。それは自分が人柱となって池の底に沈められている夢だった。目が覚めてもずっと考え続けた。このイメージには覚えがあったのだ。以前誰かから聞いた話に、備後の服部の大池には、昔、若い娘が人柱として埋められたという。夢の中では、その埋められた娘が自分なのだった。そして、その上に大きな柱が杭として立っていた。

 人は自分に関係ないことをイメージ出来ない。ということは、私の中に人柱にされたような被害者の感情があるということになる。思考が現実化するこの世に、偶然はないのだ。

 そういえばその話を聞いたばかりのときも同じような夢を見たことを思い出した。とんでもない被害者意識が今も自分の中にあるということのようだ。自分が誰かに踏みつけにされ、今も日の当たらない場所で身動きできない状態にあるということを意味しているのだから。この思考を修正しなければ、地表(表舞台)に出ていくことは出来ない。

 

 私は夢とうつつの間で、必ず蛇を穴から引きずり出してやると決め、考え始めた。

 私を踏みつけにしている柱はどう考えても父だった。私はどうやら小さい頃、父に踏みつけにされたと感じる出来事があったようだ。具体的には思い出せないが欲望を止められた記憶が蘇る。ものを買ってもらえなかったとか、塾に行かせてもらえなかった、そんな誰にでも一つや二つはあるような思い出だった。

 フラクタル心理学は、100パーセント思考は現実化するという一元論だ。つまり、親も先祖も自分の思考が創り出したと考える。こう聞くと荒唐無稽に思えるかもしれないが、思考のエッセンスがフラクタル構造で現実化していることが見えてくると、実際その通りだと次第に納得がいくようになっていくのだ。

 私が郷里の古い歴史について書いた部分を思い出してほしい。金山銀山で栄えていたが、室町時代に落盤事故で鉱夫が何十人も埋まったままだと書いた。実はこれも私の思考なのだ。つまり私は、贅沢が好きで、一攫千金を夢見るような、刹那的な欲望の持ち主の自分を(自分の思考を)地中深くに埋めているのだった。

 エッセンスの相似形(フラクタル)は他にも見て取れる。実は、病気で亡くなった実家の祖父の父親は賭け事にハマり、借金を抱えたまま、祖父がまだ3歳の頃に北海道に追放されている。家の前も裏の畑も向かいの山も、すべて借金のカタにとられていたのを苦労して取り戻したのだとは、祖母に聞いた話だった。これは、登場人物や時代背景が違っていても、実は自分の脳の中にあるパターンを拡大投影して見ているのだ。

 つまり、私は人一倍欲望が強く贅沢で遊び好きな自分を、父親を杭にして地中深くに埋めているのだった。その杭がなければ、夢ばかりみて働こうとせず欲望のままに散財し、借金を重ねるような意志の弱い人間が表に出てくると知っているのだ。地中に埋めたのは自分自身なのだが、父に踏みつけにされたせいだと思っている限り、そんな自分を認めなくて済むのだった。「父のせいで」という被害者意識があるから渋々働いているが、父がいなければ働こうとさえしなかっただろう。

 自分の中にあるパターンは、やたらと気になるニュースを見ると分かりやすい。2年前オリンピック目前で、賭博が原因で無期限謹慎になったバトミントン選手のニュースを見たとき、自分の感情が大きく動いた。このとき「LDP」をやって、自分の中にこのパターンがあることに気がついていた。その後何度も思考修正を重ねてきたが、最近その選手は、以前の弱点を克服して見事な復活を果たし、世界ランク1位に返り咲いて素晴らしい活躍をしている。謹慎期間にたゆまぬ努力を重ねて、自分自身の弱さに見事に打ち勝っている彼の姿を自分のことのように喜ぶ自分がいるのは、もちろんそこに未来の自分を重ねて見ているからだ。人は自分の脳を通してしか外側を認識できない。他人事といえどもそこに感情が動くとき、自分自身のことを見ている。

 子どもの脳(感情脳)はもともと遊び好きだ。消費することしか考えられない。自分が稼ぐことはⅠミリも考えず、お金は親からもらうのが当たり前になっている。だから、稼ぐ人の気持ちが理解できず、使うことだけを考えるのだ。つまり、賭博にはまるような人の思考は、お金のありがたみ=親の愛がわかっていない人だと言える。そういう人は、お金は汚いものだ、とか、お金持ちには碌な人間がいないと思っている。平気でお金をどぶに捨てるような行為(いらないものを買う、賭け事、騙されて損をする)をし、消費するばかりでお金を活かすことができない。

 お金には親の愛が詰まっている。親は楽しい、とか、面白い、というような自分の子ども心を満たす為に仕事をしているわけではない。そもそも子ども心では仕事にならない。子どもを育てる為にはお金がかかり続ける。やれ大嫌いだ、疲れた、面白くない、そんな感情(子ども心)を使ってばかりいては仕事を続けられないのだ。だから、感情(子ども心)を殺して仕事に励む。子どもは、そんな日頃感情を押し殺して頑張る父親を、笑ってくれなかった、褒めてくれなかった、と感情脳で恨んでいたりする。これは、日本人が日本語しか理解できないように、子ども脳(感情脳)は感情表現しか理解できないからだ。父親が日夜感情を押し殺して働くのは家族の為なのだが、理性脳が育っていない子どもは、理屈を言う父親を感情が薄い=冷たい人だと判断し、母親のように身近で絶えず世話をしたり、声を掛けてくれたり、笑ってくれない父には自分への愛がないと思ってしまうのだ。だから、平気でお父さんなんか邪魔だ!と考えたりする。そのせいで父親の愛(=お金の価値)がわからない人間になってしまうのだ。

 私は父親の愛が分かっていなかった。自分がいつも消費する方を選ぼうとするから、その自分を養う為には猛烈に働く人を周りにつくる必要があったのだ。だから自分の人生に、いつも休日も返上して働き続ける人を見続けていたのだった。そして、表層意識では「そんなに働くから病気になるのだ。」と意味付け、自分は遊ぶ方を選んで家族が病気にならないようにバランスをとっている気でいたのだから、子ども心には恐れ入る。だから、いざ自分が働こうとすると、昼夜も休日もなく働かされると思うから(自分がそうやって周囲を働かせていたから)仕事に没頭するのが怖くなるのだ。それだけではなく、どんなに頑張ったとしても、自分の働きを認めることができないのだった。

 

 

 

 何度も言うが、感情脳は子どもの脳なのだ。なので、大人になっても感情を使う人ほど人生は山あり谷ありのジェットコースター人生になっていく。最初のうちはそのスリルを楽しむ余裕があるが、感情を満たすことだけに夢中になるうちに、手に負えない出来事を創り出す。子どもやペットを天使のように無垢で可愛いと思っているなら、感情脳の修正すら出来ないだろう。正義はそちらにあると信じ込んでいるからだ。だが実際は違う。残酷なのは子どもであり、無垢のほうなのだ。無垢が良いものだと思っていると、無垢であり続けようとする。それは敢えて無知であり続けようとすることなのだ。親をどんなに働かせても、傷つけても、親なら我慢して自分を養うのが当り前だと思っている。それは自分がそっち(養う)側に回ったことがないから、その痛みがわからないのだ。そして、出来れば永遠に回りたくないと考えている。だから大人になっても無垢な子どものままでい続けようとするのだ。だが、それは成長しようとしないことに等しい。

 子どもは楽しいことが好きだ。一度面白いと熱中すると自分しか見えなくなる。相手の嫌がる姿を見て楽しむ残酷さも、視野の狭さからだ。ちょっとからかっただけのつもりがエスカレートしていじめにまで発展し、ちょっとスリルを楽しんだだけがストーカーになっていく。だが、本人はさほど酷いことをしたとは思っていない。それは子ども心の延長上だからだ。子どものときは当たり前にやっていたが逮捕されたりしなかった。もっと刺激的な感情を味わう為に行動がエスカレートしていくのが子ども脳(感情)の特徴なのだ。なので、無垢な子どものままで生きることは自分の首を絞めることになる。そのうち知らないでは済まされない事態を創り出すからだ。

 

 もしも、あなたに大嫌いな人がいて、そいつのせいで○○出来ない!といつも腹を立てているとしたら、

あなたは、深層意識を正しく翻訳できていない。

 

 本当は、あなたはその嫌な奴の、まさにその嫌な部分が大好きなのだ。だから、人生で何度も同じような嫌な人物を身の回りに創り出す。むしろ、その人物がいないと困るのだ。その嫌な人物がいるおかげで、自分の人生に集中して本当にやるべきことから、納得出来る理由をつけて逃げられるのだから。本音はまったく別のところにある。バカに出来る(傲慢でいられる)。会社を辞める理由が出来る。(怠慢でいられる)人のことで悩んでいると頑張っている気がする。(自分自身を誤魔化せる)等々

 あなたが本当に嫌っているのはその人物ではなく、悪者を創り出すことで今やるべきことから逃げる卑怯な子ども心(感情脳)なのだ。もし、嫌な奴を創り出さなければ、その攻撃の矛先は自分に向かい、真実に対峙しざるを得なくなる。だから、必死に子ども心(感情脳)は自分自身を誤魔化し続けるのだ。

闇龗の一の降りで修行する修験道の僧侶

 

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (12)龍の教え

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年12月07日

 

 

龍の教え

 神職の家に生まれて、なぜ他の宗教に入る必要があるのだろうかと思われるかも知れない。実は神道には教義が存在しない。古くは山や岩などをご神体とする自然崇拝から始まっているからかもしれない。「大和は言挙げしない国」と言われるように、もともと理屈を好まない国民性もあると思う。教義はなくとも、日本人の祭りや清浄を好む意識、伝統や家庭のあり方、生活、神話(古事記など)の中に、神道の持つ教義的なものが息づいている。明治の文明開化で海外の価値観がどっと入ってきたために、それまでの生活習慣が急激に変わり、日本人の精神性を維持することが危ぶまれた結果、大本教から始まる新興宗教が次々と世に出てきたのではないだろうか。そう思えるくらい宗教「生長の家」の教えは自分の肌になじんだ。

 生長の家では「人は神の子」というが、神道では生まれると百日祝い(ももかのいわい)として氏神様にご報告にいく。その後も七五三、成人式、厄払い、還暦と、亡くなるまで氏神様との付き合いは続く。亡くなると名前に命(みこと)の文字を入れて神として祀る。まさに人は氏神様の子なのだ。毎朝神棚に御神撰を供えて手を合わせるのは、我が家では子どもの役目だった。そのご神前には中央に御神鏡が置かれ、神前を拝む行為は鏡に映った自分を拝むことでもあった。「かがみ」の中の「が」を取れば「かみ」となるように、人が神に見えないのは我があるからだとは、父に聞いた記憶がある。誰が見ていなくてもお天道様が見ているともよく言っていた。

「人は神の子」というフレーズには、今さら当たり前のようで、やっと故郷に戻ってきたような懐かしささえ感じて、心底納得できるのだった。それまで、自分の性格を散々嫌っていたが、生長の家の教えから、自分の実相は神なのに自分にはそう思えないのは、曇った眼鏡(我の眼鏡)をかけて自分を見ているからで、いくらメガネが曇っていようがその奥には完全な神の実相がある、と思うことが救いになった。日々、曇りを取るために神想観という座禅をして、神のエネルギーが自分の中に流れ入り、満たされていくのをイメージするのだった。そして、人と向き合うときは「有り難うございます」と手を合わせて、相手の神性を拝むのだ。

 最初のうちは「親に感謝出来ない者はこの世で幸せになれない」という言葉には抵抗があった。感謝行に参加して、親への感謝の言葉を一日中繰り返し唱えると、「なんで私が親に感謝しなくてはならないのだ!?こんな想いをするのは親(父)のせいなのに!!」と歯ぎしりするほど悔しさがこみ上げてきたものだった。だが、私はどうしてもこの世で幸せになりたかった。

 

 

 銀行勤めを続けながら、生長の家の様々なセミナーに参加し、本を配り、神想観をする生活を4~5年続けるうちに、向かい合う相手が神に見えないとしたら、自分の方に問題があるのだと自然と考えられるようになった。相手を一方的に責めるのではなく、自分を変えようと努力するようになったのだ。自分の我(眼鏡の曇り)を取り去ることが出来れば、相手は神の様に見えるはずだった。だが、自分のどこをどう変えればいいのかを自分では自覚しづらく、相手を否定したい感情は動き続ける。なので、否定的な感情が強く動くときほど絶対に逃げないと決め、相手を鏡にして、良い人だと思えるまで自分の内面を変える努力をやり続けるしかなかった。

 このやり方は、生長の家から離れて、30年後にフラクタル心理学に出会うまで続けていた。3年、5年、ときには十年以上も時間をかけて、確実に相手が変わるようになっていった。一度その実感を持つと、その度に「やっぱり人は神なのだ。相手に問題がある訳ではない。自分の迷い(我)を相手に映して見ているだけで、自分の迷いを取れば相手も良い人に変わる!」という思いは強くなる一方だった。そして、誰の中にも神性があるという実感も深まるのだった。

 

 

 ところで、フラクタル心理学では、問題となる部分をピンセットで摘まみ上げ、ここをこう変えれば相手だけでなく現実もこう変わるとわかる「LDP」という方法がある。それは、的確な部分さえ摘まみ上げれば、あっという間に、ときには一瞬で変わることすらある。そういうときは、大嫌!怖い!というような強い感情も、狐が落ちたように一瞬で消えてしまうのだ。それは霊能力のような不思議な力によってではない。数式のように矛盾のない、現象学を元にした心理学理論によって可能なのだった。更に、将来の方向性まで的確に見通せるのだから、この心理学に出会ったときの私にとっては、まるで一家に一台あった電話機がいきなり最新機能付きの携帯電話にバージョンアップしたようなものだった。この理論を一から創り上げられた一色先生にお会いしたとき、「スサノオノミコトの草薙の剣を手に入れたような気分です!」と興奮して話したことを覚えている。本当にそれが実感だった。だが実際、多機能の携帯電話を手に入れたとしても、使いこなすまでには訓練が必要なのだった。(続く)

 

高龗神社のご神体である三つの瀧(闇龗)の一つ 二の降り

各地にある高龗(たかおかみ)と闇龗(くらおかみ)は対の神様といわれ、必ず高龗は山の上の高い場所に、闇龗は日が差さないような低い暗い場所にある。心理とフラクタルに考えれば、高龗が表層意識で闇龗が深層意識という言い方も出来る。

 

 

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る」(11)東の龍と西の虎Ⅲ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年12月02日

 

東の龍と西の虎Ⅲ

 もう一つ気がついたことがある。長女にとって私は、ライバルにはなり得ない、気が置けない存在として、いつも面白いことをいって笑い合える癒しの存在なのだと自分では自負していた。

 だが本当にそうだろうか?

 確かにそういう面もあった。子どものときから姉妹で集まってバカ話をして大笑いすることがあった。そういうとき、私は張り切って姉達を笑わすのだった。話がツボに入ると長女も涙を流して笑い転げたものだ。私は姉妹で持てるこういう時間が大好きだった。

 だが、それは長女の一面でしかなかった。最近子どもの頃の長女のことを母に尋ねたとき、「あの子は子どものときからしっかりした、きつい子だった。」と言っていた。確かに長女はとてもしっかりしていた。仕事の役割分担はいつも長女が決め、指揮をとって姉妹にやらせていた。私にとっては煙たい部分も多かったはずだ。私が高校生の頃には「この子は家から出さんといけんよ。」と盛んに両親に進言していたのを覚えている。それは、依存的でいつまでたっても自分の進路を自分で考えようといない私を心配しての言葉だったはずだ。だが、当時の、いつまでも両親の庇護のもとに依存し続けたいわたしには、それが愛のある言葉には聞こえなかったはずだ。私の中にも姉をきついと思う気持ちがあったはずなのに、自覚できないのはなぜだろうか?

 姉が嫁いだ先は大きな和裁学校だったが、嫁いでからも益々好調に業績を伸ばし、学校を建て替え、規模を大きくしていた。若くして夫を亡くしたお姑さんが一人で大きくされた学校で、育てられた4人のお子さまも外交官から京都の和服問屋や大学教授の奥様など、立派な方々ばかりだった。

 姉は厳しいお姑さんの指導を受け、大変そうだった。泣きながら実家で母と話している姿も見ていた私は、姉に呼ばれて預金集めに行くたびに面白い話をして、姉の笑う姿を見て、私なりに姉の役に立っているつもりでいた。だが、姉にとっては、むしろそんな大変な状態にあっても私のことが心配だったのだ。銀行のノルマをちょっとでも助けてやろうと絶えず気に掛けてくれていたのだった。そんな姉の視点が当時の私の中にはなく、姉の大きな愛に気づけなかった。

 父に勧められ、あまり気乗りではなかったが決めた結婚、厳しいお姑さんの指導、中々出来ない子ども、上手くいっていないらしい夫婦の仲。

 実際に姉の気持ちを聞いたわけでもないのに、自分で勝手に姉の気持ちを想像し、姉の人生を悲劇と決めつけて見ていなかったか?

 努力が好きで、自分の能力で人の役に立つことが何よりも生き甲斐だという人にとっては、姉の人生はやりがいがある毎日だと感じるかもしれない。だが、仕事嫌いで、努力が嫌い、空想の世界で遊ぶのが一番楽しいと感じている私には、当時の姉の人生から喜びを見出すことが出来なかったのだった。

 人は自分の脳を通してしか何も認識できない。姉の悲劇のような人生をつくったのは私の脳なのだ。それは自分の中にパターンとして存在する。もし自分が長女のような立場を選んだら、私は姉と同じように若死にするだろう。だから、絶対に頑張り過ぎない道を選ぶ。そのパターンをつくったのは子どもの自分だ。祖父の死に接して、「頑張り過ぎたら病気になって死んでしまう。」と意味付けたのだ。

 

 これも自分への呪いだった。脳には主語がないとフラクタル心理学ではいう。つまり、私が見ている現実では、だれであっても頑張り過ぎたら死んでしまうというパターンに当てはめられる。これは、元々は頑張らない自分への言い訳として意味付けたのだが、その後の人生を法律のように支配する。実際、そういう現実を姉以外にも度々見ることになるのだった。

 この呪いを解くには、仕事を好きになる必要があった。コツコツと努力することを好きになり、本物の能力をつけて、その能力で人の役に立つ喜びや達成感を知ることが、呪いを解く一番の近道なのだ。だが、そう聞いたとしても、仕事嫌いの人間には、それこそが一番遠い道のりに思えるだろう。感情の抵抗には敵わないことを散々身を持って知っているからだ。一度子どもの頃についてしまった思考パターンを変えることはそれくらい難しい。

 

 ずっと自由に夢ばかりみていたい、なんの責任も負いたくない。自分で努力しなくては夢を現実のものには出来ないとわかっていても、どうしてもやる気になれない甘えた自分自身を愛することが出来なくなっていた当時の私に、生長の家という宗教が救いの道を示してくれたのだった。(続く)

 

イチョウの御神木

 

 

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る(10)東の龍と西の虎Ⅱ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年11月22日

東の龍と西の虎Ⅱ

 

 私の母は、上に二人の兄、下には妹と弟の5人兄妹の長女で、母の母親は教員を退職したのちに地元の婦人会から支持を受けて、広島県内では初めての女性の県議会議員となり、地元神石ではその名を知らぬ者がいないくらいに活躍されていたと聞いている。母の父親は市の職員で、母が高校を卒業する頃に結核で亡くなっていた。

 この祖母は、長く議員として地域に貢献された立派な人だったが、短気でもあった。当時はどこの家でもそうだが、お盆や正月に家族で母の実家に墓参りに行くと、母の兄妹弟が子ども同伴で集合し、大人数だった。そのときの大人達が祖母の機嫌を損ねないよう緊張していたのが子どものわたしにも伝わってきたものだ。父もこの祖母には頭が上がらないようだった。

 母もこの祖母の性格と似たところがあった。普段は朗らかでおっとりとして夫にも従順で、祖母とは正反対の性格に見えるが、お正月やお盆や祭りが近づきその準備が始まると、人が変わったように命令して人を動かすようになる。そういうときの母は取り付く島もないくらい次から次へと仕事を指示し、言葉使いまで祖母そっくりになった。父はそうなった時の母を「のぼせとる」と表現していた。

 引退後は広島市で一人暮らしをしていた祖母が、我が家に一度だけ遊びに来たことがあった。そのとき、母と祖母がそっくりだなと感じた瞬間があった。祖母が家に来てゆっくりするのは、私の記憶の中ではこの時が最初で最後のことだったと思う。祖母が議員になって地元の若者に流行らせたという「百人一首」を、わたしが読み手となり、母と祖母がとりあったときのことだ。読み手の私がちょっとでも詰まろうものなら、容赦なく双方から罵声が飛んできたものだ。お互いの集中力と闘争心の凄まじさに、怖さを通り越して呆れるくらいだった。祖母はその後老衰で亡くなったが、母は90歳近い今も百人一首の歌をよく覚えており、孫たちが集まると一緒にとるのを楽しみにしている。最近ついに二十歳を越えた孫に敵わなくなったが、今も2番手を維持している。

 

 

 

 母が父と対抗するときは、当時独身のまま広島女学院大学の理事長をされていた母の父方の叔母や、県議会議員を務める自分の母親の大物ぶりを自慢するのだった。そして自分の父親がいかに優しく、地域や職場で信頼されていたかを話すのだ。それは地域の住民と言い争ってばかりいるプライドの高い父への皮肉も込められていた。それに対して父はいつも「女性が男を差し置いて仕事をするのはダメだ!家庭を守ってこそ女性の真価だ!」と対抗していた。するとすかさず母は父の妹の独身の看護婦長を持ち出し、「それじゃあ彼女はどうなのだ⁈」と迫る。すると父は「社会で結婚もせずに活躍する女性は、人間としては半端ものだ!」と言い放ったものだ。そして「強い女は男を食う。」と祖母の夫が亡くなった原因を、あたかも祖母のせいのように話すのだった。その会話は度々繰り返されていたが、私は子ども心に、父の言い分にいつも反発を感じていた。

 

 これはフラクタル心理学の一元の理論からみると、どういうことだろうか。

 人は常に自分の脳を通してしか外側を認識できない。小さい時の記憶は、未熟な子どもの脳を通して認識したものを事実として記憶している。だが、それは本当に事実といえるのだろうか。もし私の姉達に同じように記憶をたどるようにいうと、恐らく全く違うことを言うだろう。父や母への認識も異なるはずだ。もちろん同じ体験をしていないのだから違うに決まっていると言いたくなるかもしれない。だが、三日前に食べたものさえ覚えないのに、何十年も前の記憶の一点を捕まえて絶対的な事実だと言い張りたい自分がいるとしたら、それは何故だろう。

 

 自分の脳を通してしか認識できないということは、過去を語るときも、他人を語るときも、今の自分の脳が語っている。過去に問題があったというなら、それは現在にも同じ問題があるから脳はそう認識するのだ。必ず今の自分の中にあるものでしか、過去も未来も、他人のことも語ることは出来ない。

 ということは、母の様に短気ですぐに怒っていたのはわたしであり、自分以外の人の業績を自慢して張り合うのも、忙しくなるとすぐに頭に血が上り、のぼせるのも私だ。「女は家庭の中に納まり男が養うべきだ!」と父に言わせて、一見従順なふりをしながら、なんだかんだと父にケチをつけていたのも私なのだった。それは、今現在の自分の現実の中にも存在する自分の問題だから、過去にも同じ問題があったといいたくなるのだった。

 実際の母は、何も知らないところから兼業農家の社家に嫁ぎ、神職で留守がちの父に代わって、人を雇って梨農園を切り盛りし、家族が食べる野菜作りから、祭りの準備、果ては本家の親戚付き合いから近所付き合いまで立派にこなしていたのだった。朝は早い時には4時前には畑に入り、夜は夜なべして誰よりも遅く寝ていた。私が小さい頃はまだ洗濯機がなく洗濯板と足をつかっていた。ということはそれ以外にも家族の洗濯をし、掃除をし、食事を作り、動物(山羊、猟犬、猫、鶏)の世話までしていたのだ。時には山へ薪を拾いに行くのについて行ったりもしていたが、子どもの私の記憶には、いつも生き生きと動いていた母の姿があった。夜なべして子どもの衣類や靴下のほつれを縫いながらうたた寝している母の顔に、父が墨で〇☓を描いてからかっていたのを思い出す。

 

 いつも働いている両親の姿を見ると、夢見がちな子どもの私は、苦しくなるのだった。その苦しさの原因を、「両親が働き過ぎだからだ!そんなに働いたら祖父のように病気になって死んでしまう!」と思うことで、働くのが嫌いで家業を手伝いたくない怠慢な自分の中にある、両親への罪悪感を誤魔化していただけなのだ。そして、普段は猫のように振る舞っているが、隙あらば主人に牙で噛み付こうとする虎のような自分を母に投影し、両親が対抗する姿を見ているのだった。

 「父が言うように、自分が頑張り過ぎたら男性を食ってしまうかもしれない。だから頑張らずに、男性の後ろをついて行った方が良いのだ」と、まんまと自分の人生の責任を放棄する理由をつけて、いつまでも空想や本や漫画の世界で遊び、何かあったら父に責任を押し付けて責めるのだった。

 子どもの頃の両親への被害者意識は、必ず子どもの自分にとって怠慢、傲慢な自分を正当化できるというメリットがあるから、被害者を選んでいるのだ。それは、現在の現実の中にも同じメリットが存在するので、脳は過去の記憶を手放そうとせず、「絶対にこうだった!」と言い張るのだ。だが被害者意識は攻撃のエネルギーだ。結局は自分の首を絞めることになる。私の場合は、大人になっても自分で決めることができず、責任がとれず、常に上からの許可がないと動けず、いざ自分が人の上に立とうとしても立てないという事態を引き起こす。そして、その度に被害者意識に囚われて誰かを責めることを繰り返すのみで、現状を変える力を持てないのだ。そして、被害者意識の裏に隠れた罪悪感があるから、自分が幸せになることを阻まれる不安から常に逃れられない。

 さらに、頑張り過ぎたら男性(上)を食う!という言葉は、自分への呪いとなって生き続ける。身の回りでそういう現実を度々見ることになるのだ。それくらい私たちの感情のパワーは現実化の力を持っている。だからこそ、父にそういわせることで自分のパワーを封印したともいえるのだった。

 その呪いは、物語「眠りの森の美女」のように、いつか未来で解くことが出来る。だがそれは、王子様が現れて解いてくれるわけではない。感情のパワーから攻撃のエネルギー(被害者意識)が抜けてもう安全だと未来の自分が認めたとき、やっと封印が解け、本来のパワーを全力で解き放つことができるのだ。(続く)

 

白滝山の中腹にある高龗神社の第2の鳥居

鳥居は結界となってエネルギーを封印しているという説もある

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (9)東の龍と西の虎1

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年11月18日

東の龍と西の虎1

 

 長女の死が私にもたらしたものは、将来を自分の頭でしっかり考えていた次女と三女とは違い、頭をもがれた大蛇(おろち)のような状態だった。姉が生きていた頃は、大蛇の頭が長女で、胴体は次女と三女、さながら私はいつ切り捨てられてもよい尾の部分だと感じていたのだ。だから何も考えず前の動きに従って後ろをついて行くだけでよかった。だが頭がもがれたため、自分の胴体に自分の頭をつけなくては前に進めない状態になってしまっていた。

 

 末子の私は、小さい時から当然のように母に一番甘えていた。狭い山間の集落に同性の同級生が5人もいたので遊び相手に困らなかった私は、外で遊んで帰ると畑にいる母のもとにいき、よくおやつをねだっていた記憶がある。母は仕事の手を止め、家に帰っておやつを与えてくれたものだ。一つ上の姉はおばあちゃん子で、母にあまり面倒をみてもらった記憶がないと言うが、私は祖母に面倒をみてもらったという記憶があまりない。それでも気がつけば近くで草取りをしている祖母をよく見ていたので、きっと友達と遊ぶのを見守ってくれていたのだろう。そのうち祖父が病気になると祖母は孫の面倒どころではなくなり、母は祖父に栄養をつけてもらう為にヤギを飼い始めた。複数頭いたヤギの世話も、母について乳しぼりをしたり、小屋から畑まで移動させたりしていたのは、姉妹では私だけだったと思う。一番小さいせいもあってか、当り前のように母を独占していた。

 母は、私にとって気安く何でも言える存在だった。空気のように気を使わず、言いたいことを言い、当り前のように世話をしてもらっていたのだ。それは、幼児のときなら当然だと感じる人もいるかもしれない。だが、世話をしてもらうことはもちろんだが、気安く何でも言えることが良いことだと思っている思考回路を大人になっても使い続けると、依存的な自分を変えるのは難しい。何でも言いやすい人間関係が一番だと思うから、社会の厳しい上下関係や横のつながりの乏しい無言が求められるような職場環境は耐えられなくなるのだ。しかも、幼い頃につくった感情のパターンは、耐えられない環境の方を「悪」と認識して、自分を環境に合わせて成長させるべきとは思わないのだ。そのうち傍若無人な言葉使いをする無礼な人に悩まされるようになるだろう。それは大人になっても母親に言いたい放題のままの自分の姿が鏡のように外側に投影され、母親に感じさせている嫌な想いを自分が受け取っているだけなのだが。

 

 

 これまで私は、父が祖父の代わりにやりたくもない神職をやらざるを得なくなったころ、農業では必要なかった人間関係に苛立ち、母に八つ当たりしていたと思っていた。だが、父と母との当時の会話を思い出すにつれて、なぜ今まで目の前に見えていたのに気がつかなかったのだろうと思うくらいに、父に従順な母というイメージとはかけ離れていたことに気がついた。母は、東の龍と西の虎のように、父に対抗していたのだ。そういえば大人になってからも父への愚痴を随分聞かされていたな、と思いあたる。

 ひとは自分の脳を通してしか外側を認識できない。幼児といえども、同じなのだ。私は未熟な自分を母に投影して、父に対抗していたのだった。(続く)

 

 

 

 

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (8)龍の目

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年11月13日

 

龍の目

 

 しばらくは職場で涙が出そうになると、こっそり抜け出して「生命の実相」をむさぼり読んだ。すると心が落ち着いて、何気ない顔をして職場に戻って仕事を続行出来るのだった。

 

 

 フラクタル心理学の一元の理論から読み解けば、自分がこうなってしまったのは、すべては与えられるものだと思い込んでいる蔓の思考ルートのせいだった。蔓はいつも巻き付く木を探している。子どものときは親に巻き付いて生きている。親が与えてくれる栄養で生きるのが当たり前なのだが、大人になるにつれて自分の足で立つことを覚えていかないといけない。それが分かっている大人の自分もいるのだが、いつまでたっても誰かに巻き付こうとし、与えて貰おうとする蔓のルートが残ったままなのだ。それは無意識の思考ルートなので、なかなか自分で気がつくことも、変えることも難しい。

 理性の脳を使っているときは確かにそれが当り前だと思うのだが、感情の脳に切り替ると途端に依存的な6歳児に戻ってしまうのだ。脳は頻繁に切り替わっていることを当時の私は知らなかった。しかも感情脳で考えたり行動したことを、理性脳は数に入れない。時にはないものとし、時にはあるものとして、自分の都合よく利用することはあっても。

 私の感情脳は、「父は、私のほしいものをもっと与えてくれるべきなのにくれなかった!」と、責めていた。本やテレビを見て派手できらびやかな世界に憧れ、空想の世界を楽しむことばかりしていれば、いつか自分も自動的にそうなれると思っていたのかもしれない。実際は自分が地道に努力し、手に入れた能力だけが、自分の未来に満足や豊かさをもたらすことを知らなかった。父に従って銀行に勤めても、実際は事務をこなす地味な毎日の繰り返しだった。将来結婚したとしても、幸せよりも思いどおりにならない苦労の方が多いことは、亡くなった姉を見ていて感じていた。地道に生きたとしても楽しいことは一つもありそうになかった。

 当時の私は、自分が欲しいものが何ひとつ手に入っていないじゃないか!と父に対して怒り、思い通りにならない人生にヒステリーを起こしていたのだった。

「生まれたまま(自然のまま)が一番でしょ!」

「楽しいのが人生!」

「生れたままが一番」とは、何も努力する必要がないと感じているのだ。「楽しいのが人生」とは、楽しいことしかやろうとせず、それ以外のことはつまらなく無意味にしか感じられないのだ。

これが6歳の私がつくった感情の思考パターンになっていた。

 

なぜこんなに能天気な依存脳になってしまったのか、それは、私が4人姉妹の末子に生れたことも大きく影響していた。(続く)

 

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (7)龍の目

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年11月09日

 

龍の目

 姉に続くように祖母もその翌年亡くなると、私は銀行での仕事が手につかなくなるくらい精神的に追い詰められた。仕事中涙が止まらないのだ。誰にも気づかれないように度々誰もいない更衣室まで抜け出して、心を落ち着かせなくてはならなかった。

 私は自己嫌悪の極地だった。夢に向かって自分の将来を自分で掴むという気概がまったく持てない。何よりも、誰からの評価も高かった長女が亡くなったのに、自分が生きている意味がわからなかった。自分は生きる価値がない人間に思えた。

「死にたい」

 そう思っては涙がこぼれた。

こんな状態の自分を、まだ誰にも気づかれないうちに早くなんとかしなくてはと焦っているとき、家にあった、以前母から「良い内容だから読んでみたら?」と勧められたことがある本を、手に取ってみた。

それは、「生長の家」という宗教の教祖が書いた「生命の実相」という本だった。読むなり引き込まれ、貪るように読んだ。

 本の内容の中で、今でも特に心に残っているのは、この言葉だ。

 

「人は神の子」

「父母に感謝出来ない者はこの世で幸せになれない」

 

今思うと、当時の私は、父への恨みで一杯だった。

父の言う通りにしたから姉が死んだ!父は間違っていたじゃないか!

姉が死んでも自分が姉の代わりにはなれない。父にとって私はやっぱりどうでもいい存在なのだ!

自分なんか生きている価値がない!

 

自己嫌悪と怒りと罪悪感で、身動き出来なくなっていた。

だが、当時の私は、自分のどこがどう間違っているから、今の状態になっているのかがわからなかった。

ただ、この「生命の実相」という本に書いてあることは真実だと思えるのだった。(続く)

 

 

 

 

蛇神はたくらみ龍神は斬る (6)龍の目Ⅰ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年10月29日

 

龍の目(Ⅰ)

 私が中学生の頃、印象深い思い出がある。父の人生にとっては、その後の生涯に大きな影響を与えた出会いだ。それは晩年父が本を書くきっかけともなった。

その最初の出会いは、父が書いた本「葦原 中つ国の物語」の中に詳しいが、中学生だった私は、食事時の父の話が印象に残っただけだ。

 それは「今日東京から変わった人達が訪ねてきた。一人は60~70歳位の横浜大学の教授だという男性と、60代の女性霊能者だ。あと皇(スメラギ)という苗字の学生がひとりついてきていた。なんでもその霊能者が何度も神がかりしてこの場所にいくように言われたから来た」というのだ。父は日頃から霊能者という類の人間と付き合うことはなかったし、むしろそういうものを信じるなとよく言っていた。大学教授と霊能者の組み合わせも興味深かったが、所詮その時は自分には関係ない出来事でしかなかった。

 それが変わったのは、その後弟子だという大学生を6,7人連れて、霊能者の女性(父はI先生と呼んでいた)が滝修行に来られたのだ。明治や早稲田というそうそうたる都会の有名大学の男子学生が突然大挙して目の前にあらわれたのである。四方を囲まれた山の中の女姉妹の中で育った私には、動物園でライオンを見る位の驚きと、もの珍しさがあった。地元の集会所に泊まり込み、昼間は修行の合間に我が家に来て、I先生の凄さについて口々に話してくれたものだ。

 「夢で平安時代の言葉をしゃべる。」とか「未来のことをその場にいるようにしゃべったことが、その言葉通りに現実になる」「釣りに行って憑りつかれた土座衛門を払ってもらった」など、聞いているだけで面白かった。

 その後何回滝修行に来られたかよく覚えていないが、その学生の中の一人が長女に結婚を申し込んだのだ。それは父の反対もあり、上手くいかなかった。その話が壊れて後、姉は習っていた大きな和裁学校の先生に跡取り息子の嫁にと請われ、結婚して家を出た。父は、長女を嫁に出すことへの葛藤はあっただろうが、山の中の過疎集落にいるよりも姉に相応しい将来が得られると思ったのかもしれない。出すことに決めた。

 だが、残された姉妹の胸中は複雑だった。長女は跡取りとして特別な存在だった。美しく毅然として、学校の教師からも特別に可愛がられる存在だった。誰も、姉の抜けた穴を埋められないと感じていたし、それまで家を継ぐことなど考えたこともなかった。父の一存で結婚が決まることへの反発も感じていた。私は、これで長女が幸せにならなかったらどうするのだ?と父への反発を益々深めていた。

 そして、予感が的中するように結婚して3年後、姉は病気で突然亡くなった。気分が悪いと寝込んで一週間後だった。将来に夢を持てない18歳の私は、当時高校から父の進めるままに銀行に就職していた。クラスで進学せず就職したのは私だけだった。そんな私の為に、長女は銀行で預金を集めるノルマによく付き合ってくれた。姉に呼ばれて預金契約に行くたびに、私の銀行での話を聞いてはコロコロ笑って面白がってくれたものだ。私と姉との付き合いはいつもこんな感じだった。長女にとって一番年下の私は息抜きの出来る存在だったのだろう。

 その姉の突然の死が私達家族に与えたショックと悲しみは、言葉に出来ないくらい大きかった。その悲しみを癒すには長い時間が必要だった。

 

 

 

 その姉の死から随分後に、父がぼそりと言った言葉に驚いた。

「I先生(霊能者)の言った通りになったな。」

例の学生が父と一緒に姉との結婚のことをI先生に相談したとき、目の前で言われた言葉は

「彼女はやめておきなさい。子宮を患って若死にするよ」だったという。

 父親の前でいくらそう思っているにしても非常識だと思うが、実際姉は26歳で子宮から脳に転移したがんで亡くなった。父はどういう気持ちでその言葉を聞いたのだろう。初対面で滝に案内したとき、なんの躊躇もなく男3人の目の前でポンポン服を脱ぎ捨て、真裸になって滝に入ったという、常識では測れないI先生の言動なのだから、取り合わなかっただろうか。それとも、その逆だろうか。

 とにかく、姉はI先生の言葉通りに早死にし、父は最初の彼らの訪問を機に古事記や地域の歴史を猛勉強するようになっていた。それは彼らに請われて車で備後の神社を案内する折に、車中で聞いた様々な話がきっかけだった。母は、それ以来早起きして古事記を貪るように読むようになったと父の変化を話していた。

 それまでの父は神社よりも農業の方がはるかにやる気だったと思う。むしろ神職には乗る気ではなかったのだ。だからやりたくもない仕事をやらざるを得ないことに苛立ち、母との喧嘩が増えたのだ。だが、あの出会い以降、父は神職の仕事を天職さながらに務めるようになり、地域の歴史に精通し、本まで書き、その歴史を地元に広めようと死ぬまで神主としての責任を果たしたのだった。

 姉の結婚より後I先生のことを父から聞いたのはあの時だけだったと思う。横浜大学の教授と父とは、しばらく手紙のやり取りがあったようだ。「神縁を結びたい」と高龗神社の神前に実印を置いて行かれ、今も本殿の御扉の中に残っている。

 その方が、村山節という「文明周期説」を唱えられ、沢山の本も書き残された有名な方だったことは、父が亡くなる3年前、父の本のあとがきを考えている頃に知り、本当に驚いたものだ。偶然にもその方の本を読んだばかりだったのだ。百幾つまで長生きされ、数年前に亡くなられていることもその時知った。

 神縁とはそういうことなのか、と何とも言えない不思議な因縁を感じたものだった。その方の唱える説は、私がフラクタル構造というエッセンスに触れる最初の機会でもあった。(続く)

 

 

I先生と村山節先生との出会いから始まる

父が書き残した本

(扉や中のイラスト、あとがきは私がかいた)

 

 

邪神はたくらみ龍神は斬る (5)蛇の目 Ⅱ

カテゴリー/ その他 |投稿者/ カウンセリングルーム「桜」
2018年10月04日

 

蛇の目 (Ⅱ)

 

 私の父は、神職を継ぐのが嫌で19歳で神職養成学校を中退し、志願して戦争に行っている。満州の飛行部隊に配属され、終戦後は3年間のシベリア抑留生活を経て復員した。その間、どれほど祖父母は心配したことだろう。父が無事に帰ることを祈って祖母が通ったお百度石が、今も神社の参道に立っている。

 父は、7人姉弟の真ん中の長男で、下に病弱な弟が一人いただけで、女姉妹に囲まれて育っている。その病弱だったという叔父様も神職の資格は持っていたと聞くが、私が生まれた頃には所帯を持ち、会社員として働かれていた。

 父は、両親から待望の跡取りとして大事にされ、甘やかされ放題で育ったとは、伯母様方からよく聞いた話だ。もっぱら父に厳しかったのは次女三女の伯母様方だったようだ。お正月やお盆、お彼岸にそろって墓参りに来られると、小さい頃の父との待遇の差や、傲慢ぶりを聞かされたものだ。まるで自分の一挙手一投足を非難されているようで、いつも緊張していたのを覚えている。

 一番下の叔母様は、一人だけ独身で、他の姉妹よりも実家である我が家に滞在される日数が多かった。兄を慕って兄妹仲がよく、綺麗で優しく、私達姉妹の憧れの存在だった。いつも勤め先のある岡山から帰省されるのを楽しみにしていたものだ。

 この叔母様には良い刺激をたくさん与えて貰ったと思う。「子どものときから大人が読む本を読みなさい。」と文学全集を買ってくださったのも叔母様だ。岡山で看護婦をされていたが、後に川崎医科大学附属病院の総婦長にまで上りつめられた。その後仕事を続けながら結婚もされたが、現職中に惜しまれながら病気で亡くなられている。

 

 子どもの頃の私から見ると、山での生活を知り尽くしている父は、スーパーマンのような存在だった。嫁ぐまで神職のことも農業も知らなかった母は、何でも父に聞いて動いていた。祖父は決して力仕事や畑仕事はしなかった。

 小さい頃の記憶はおぼろげだが、甘えんぼうで泣き虫の私は、泣きやむまでよく納屋に閉じ込められたものだ。そんな時の父は怖い存在だった。姉達を見て、父からどうすれば怒られないかを学んだと思う。いつも一つ上の姉と一緒に、父とお風呂に入っていた記憶がある。五右衛門風呂なので、冷めると誰かが薪を焚いて湯加減を調節していた。父は湯船の中でタオルを膨らまして遊んでくれたものだ。「欲張ると逃げるが、与えようとすると入ってくる。」とお湯を手でかいて見せてくれたのを覚えている。姉妹で何か取り合いの喧嘩をしているのを見て、たしなめてくれたのかもしれない。

 

 父は、祖父が病気で亡くなる前(私が幼稚園の頃)から神職の仕事が増え始めると、一時期母との言い争いが増えた。農業は自然相手だが、神職は人を相手にしなければならない。父がいる食卓は、父が外での出来事を話すのを黙って聞く時間だった。一度父が母との会話に激高し、母を叩いたことがあった。姉達は母に味方し、父に非難の眼差しを向けるようになり、まだよく事情がわからない私は、父が一人ぼっちに思えて可愛そうでしかたがなかった。

 神職も農業も、時間が不規則で日曜も祭日もない。父が家にいる時間が減り、農業の母に掛かる負担は増える一方だった。家族はギスギスし、姉同士もいつもライバルとして競い合っているように見えていた幼い私には、頑張ることや競い合うことが争いの原因に思えた。だから、バカ話をして姉達の笑いを取るのが自分の役目だと思っていた。頑張り過ぎると祖父のようにいつか病気になる、だから自分が家族の中でピエロの役を引き受けるのだと思っていたのだ。

 

 6歳までの子どもは感情の生き物だ。理屈を考える脳は6歳以降に発達を始める。なので、子ども時代にこう思っていたという記憶は当てにならない。理屈の脳は、物事の良し悪しを決めた感情の流れの上にのっかっている。善悪は幼児の自分がすでに決めているのだ。印象に残った感情の記憶の断片に、後から自分に都合のよい理屈を当てはめているだけなのだ。要するに私は頑張ることや競い合うことが嫌で、家族の中で一番楽な道を選んだだけなのだ。

 実際は、仕事をすれば疲れると思ったのは子どもの私の方だ。それを勝手に父母もきっとそうに違いないと思うから都合のよい理屈をつけたのだ。父も母も、今から思うと仕事が大好きだった。母が嫌そうに畑仕事をするのを見た記憶がない。むしろいつも活き活きと楽しそうだった。神職の仕事も一年中忙しいわけではない。神事から帰ると父は休む時間も惜しんで畑に出ていた。実際、梨栽培は軌道に乗り、忙しい時期は近所の主婦を3,4人雇っていたし、途中から桃の栽培も始め軌道に乗せた。子どもの頃の記憶は本当に自分に都合よく塗り替えられているのだ。

 

 私は自然相手が好きで、人付き合いが苦手だった。そんな自分を父に投影して見ていた。上手くいかないと人にあたり、そのせいで一人ぼっちになる性質は私の中にあった。そして、なにより傲慢だった。すぐに人を見下すので上手く人間関係が築けない。上に反発し、素直に従えない。なので一人ぼっちになる。父にそんな自分を重ねて、可愛そうだと思っていたのだ。

 本当のところは、忙しい両親に仕事の方ばかり向かず、もっと自分をかまって欲しかったのだ。自分よりも仕事が大事に見える両親に腹を立てていた。だから、一番楽な道を選び、忙しい両親を手伝わずに空想に逃げる自分を正当化したのだ。だが、いくら都合のよい理屈を考えついたとしても、自分を誤魔化して楽な道を選ぶことへの罪悪感は消えない。空想は、やるべきことからの現実逃避に過ぎないからだ。

 

 

 大きくなる毎に私は父から愛されている自信がなくなっていく。「どうせ私は愛されていない。」自分の自己評価の低さはお父さんに愛されなかったからだ。それは「今度こそ男の子だと期待されていたのにまた女の子だった」と聞かされたときのトラウマだと自分では思っていた。実際父は、綺麗で聡明だった長女や、体格がよく運動神経がよかった三女を自慢していた。絵を描いたり、本を読むのが好きだった私は、父に褒めてもらった記憶があまりない。

 

 だが実際は、父を愛せなかったのは自分の方だったのだ。

 よく親からしっかり愛され、認めてもらっていれば自己評価が上がったのにと考えがちだが、これは間違いだ。自分が自分を認められない限り自己評価は決して上がらない。これを知らないと人のせいにして努力することから逃げる蛇の思考ルートを手放せない。仕事を、人の顔色ばかり見てやるようになり、褒められないと失望し、すぐにやる気を無くす。そして自分が努力出来ないことを、褒めても認めてもくれない誰かのせいにするのだ。実際は行動力や努力が足りないから実力が身につかず、自分に自信がもてないのを親のせいにしているだけなのだ。その誤魔化しに気がついているから自分を愛せない。自分を愛せないから、誰からも愛されている自信が持てないのだ。

 私と同じように絵を描いたり、読書好きだった2番目の姉は、高校生のときにはマーガレットという漫画雑誌で漫画家デビューをはたしている。東京の雑誌編集者からよく電話がかかってきたものだが、高校卒業と同時にあっさりと漫画を捨て、叔母様のような看護婦になると決めて岡山の看護学校に旅立った。行動的な姉だった。この姉のことを、母が「今そこにいたのに、振り向いたらもういない。思いついたら誰にも相談せず、すぐに行動に移す子どもだった。」というのを聞いたことがある。私の記憶でも、後ろを追いかけてもあっという間に見失っていた印象がある。空想に浸り、行動しない私とは大違いで、動くことがまったく苦にならないタイプの姉だった。

 一方で、私は小学3年生くらいまで授業そっちのけで空想ばかりしていた。当然成績も振るわなかったが、父母から「畑仕事を手伝え」とは言われても「勉強しろ」とは一度も言われないことをいいことに、別にそれが問題だとも思わなかった。

 そんな自分の目を覚ましてくれたのは学年一成績の良い同級生だった。友達になったのはお互い本好きがきっかけだったと思う。よく一緒に行動するようになると勉強も一緒にするようになった。すると、ことある毎に「こんな問題もわからんの!?」と彼女にバカにされるのだ。おそらくバカにするというよりも本当に驚いていたのだろう。だが、もともとプライドだけは高い私は、バカにされたと感じたのだった。それ以来、突然目が覚めたかのように勉強するようになった。彼女のお蔭で私の中の負けん気が目覚めたのだ。それまでは、周りからどう見られているかに関心がなかったし、どうせ誰も私に期待していないと感じていたのだ。

 友人と一緒に行動するようになると、彼女の高いプライドや人を小ばかにする性格が、嫌でたまらなくなった。それは父にも共通していた。わたしは中学になった頃には父が大嫌いだった。協調性がなく、頑固で人の意見を聞かず、自分が一番偉いと思っている。自慢ばかりして、周りの人のことはけなす。父や友人が嫌いだと感じると同時に、同じ性質を持っている自分のことも大嫌いだった。ひとりでボーと空想している間はそんな自分の性格に気づかずにすんだのだ。人と関わると必ず認めたくない自分の内面が鏡のように相手に映し出されるのを見ることになる。それを見たくないのも空想に走る一因だったのかもしれない。

 結局、人はどこまでいっても自分の脳の中にあるものでしか周りを認識出来ないのだ。大嫌いな人のことを話している時も、大好きな人の話をしている時も、実は自分自身のことを話しているにすぎない。

 

 彼女のお蔭で現実が見え始めた私は、高校受験で地元の進学校に進むことが出来た。だが、高校に入ったら勉強する意欲は途端になくなってしまう。もともと努力が嫌いで、飽きっぽい性格だ。父への反発心も大きかった。勉強よりも、クラブ活動や漫画研究会に入り、身体を動かしたり、ストーリーを練ったりする方が面白かった。なにより高校から先の目標がまったく見えてこなかった。

(蛇の目 龍の目(Ⅲ)に続く)

 

 

高龗神社の拝殿の屋根に現れた

龍にしか見えなかった松の枯枝

 

 
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